主張・政策論

吉良州司 感謝の集いでの眞嶋健太君の講演

みなさん、こんにちは!

吉良州司です。

さて、今回が早くも知事選終了後3回目のメッセージとなります。前回は「吉良州司感謝の集い」で話をしてもらった眞嶋さやかさんのスピーチ内容を掲載させてもらいましたが、今回はさやかさんのお兄さん、眞嶋健太君のスピーチ原稿を掲載させてもらいます。集う会でのスピーチは時間の関係で添付原稿70%程度しか話してもらえませんでしたが、今回掲載するのはスピーチ原稿全文です。

マレーシアのボルネオ島北部のコタキナバルとクアラルンプールで幼少期6年を過ごし、また長じては中学、高校の4年半をロサンゼルスで過ごした健太君は、米国で「自分は日本人なんだ、アジア人なんだ」という強烈な自覚を持ち、米国の大学への進学も有力進路ではありましたが、敢えて、祖国日本への帰国と日本の大学への進学を決意します。

しかし、待ち受けていた日本の現実は、あれだけ期待に胸膨らませた「自分の国 日本」とは程遠い中身の国だと映り、逃げ出したいような気持ちに襲われます。

その後、日本の社会的、政治的なあり様については、「もっと こうすべきだ、こうあるべきだ」という問題意識を持ち続けますが、同時に若者の政治的無関心に対して自分の無力感を感じながら、自分は「日本が誇る技術」をもっともっと磨くことで、日本のみならず世界の生活の質向上や環境保護に役立てたいと志しを立て、日夜、太陽エネルギーの有効利用やナノテク技術の勉強に励んでいます。

今回の知事選では、2回も大分入りし、先導車に乗り込んで手振りをやってくれたり、事務所であれやこれや手伝ってくれたり、吉良州司陣営の強力な助っ人になってくれました。そして、今、「自分の国 日本」の若者の政治参加について、また、改めるべき日本の政治風土について、新たな問題意識を持ち、その一端を「吉良州司 感謝の集い」で話してくれました。

眞嶋健太君の話、原稿を聞いて、読んで「まだ、日本も捨ててもんじゃない」という自信を一緒に取り戻して戴ければ幸いです。

眞嶋健太君の講演

皆さんこんにちは、眞嶋ファミリー長男の健太と申します。
今回は選挙活動中およびその後に私が感じたこと、考えたこと等お話させて頂きます。
今回の選挙では人生の厳しさを思い知らされました。打ちのめされた気分です。政治経験は無くとも、厚い人望、確固たる信念、はっきりとしたビジョンを持ち、知事給与30%カットなど分かりやすく具体的な政策を掲げ、正論を述べている吉良州司。しかしそれでも選挙の結果は敗北。吉良さんのような男でも、これほど実力と情熱がある男にでも敗北はあるのか。現実は厳しくそして冷たい。今回改めて痛感しました。

投票率の低さが組織票を上回れなかった原因の一つ。しかし、それ以外にも中央とのパイプに頼ろうとしている人が多いこと、これも原因の一つでしょう。時代に逆行している様に思いますが・・・ 吉良さんが劣っていた点?敗因?いくつかあるのでしょう、最終的には負けたのですから。しかし私には思い当たりません。

最終的には残念な結果に終わってしまいましたが、吉良さんのお手伝いとして選挙活動に参加させて頂いたことは、私にとって非常に大きな意味がありました。選挙活動に参加すること、選挙カーに乗り込むこと、これだけでも滅多にできる経験ではありません。また選挙の裏側も目にすることとなり、選挙の仕組みを少し理解することもできました。

ところがそれ以上に吉良さんの元に集まった人々、つまり皆さんが本当にすばらしい方々でした。これは事務所の方々もそうですし、選挙活動中に応援のために家の外に出てきてくださった方々もそうです。私はこの選挙活動を通して多くの方々に出会うことができ、そして大分の皆さんの日本人らしい、あったかい人情に触れることができました。これは私にとってすばらしい収穫です。やっぱり日本ていいじゃないか。やっとそう思うことができました。

父親の方からも話がありましたが私は小さい頃、マレーシアのコタキナバル、クアラルンプールで6年間過ごし、また、中学校、高校と4年半アメリカで生活をしまして、98年に大学受験の為、帰国いたしました。この時、当然アメリカの大学を受験する、そういったオプションもありました。なぜ日本に戻ってきたのか。それは、アメリカで生活をすることで自分はアジアの一員なんだ、自分は日本人なんだ、という強い意識が芽生えまして、もう一度日本を見てみたい、日本の教育機関に身をおきたい、そう考えたからです。ですので帰国する際、私は期待に胸を躍らせていました。日本に帰れる・・ アメリカの生活はとても充実したものでした。しかし、自分の生まれた国で生活できる、そのことを私はとても楽しみにしていたのです。

帰国したのは私が17歳の時です。成田空港に降り立ち、電車に乗り家に向かう初めの数十分でした。この短い時間、たった数十分の間に、私はひどく失望したことを今でもはっきりと覚えています。日本に帰国し、東京という街、そこで生活をしている人達を見て、他人に全く無関心の思いやりや暖かさから程遠い、自分さえよければいいと思っているとしか見えない醜い存在に感じました。そういう悔しさと失望感の入り混じった思いで一杯でした。

しかし、自分の国はそんな悪いところであるはずがない。田舎に行けば、東京から離れれば絶対にいい人間が、あったかい人が住んでいるはずだ。ずっとそう自分に言い聞かせてきました。そう願っていました。そのため、今まで自分が訪れたことの無い海外のいろんな国、いろんな文化を見てみたい、という願望があると同時に、18切符を片手に持ってふらっと日本の田舎にも出かけてみたい、常々そう考えておりました。

今回の選挙を通して、大分県民の人情には痛く心を打たれました。これは僕にとってすばらしい収穫です。このような光景を目にすることが出来たことを絶対に忘れません。日本もいいじゃないか。心の底から思うことができました。今回の選挙活動で大分が私の故郷になってしまいました。

しかし、皆様のようなすばらしい方々の故郷である日本という国も、放っておくと沈没してしまうのではないか、という懸念があります。日本にはすばらしい技術があります。世界に誇れる技術です。例えば最近注目されているナノテク(超微細技術)という分野で、日本はアメリカにも勝る世界最先端の研究を行っています。カーボンナノチューブという、壁掛け液晶TVの実現するに向けて有望視されている、非常に魅力的でナノテクの世界では優等生とされている材料がありますが、これを発見したのも日本の研究者です。このようにすばらしい技術はあるのですが、それを支える、受け継ぐ若い人間が非常に少ない。これは近年問題視されている学生の質の低下。若者の学力の低下とも密接に関係しています。

大学生生活を通じて、この学力低下の現実を知ることとなりました。まだ22歳のお前がどうして今の大学生と15年前の大学生の質を比較できるのだ、そう疑問に思われるかもしれません。どういうことかと言いますと、学生は年2度の期末試験を受ける際、なんとしてでも留年を間逃れねばと、必死になって過去問を集めます。多くの学生は、苦労して手に入れた過去何年分かの問題から、今までの傾向を読み取り、大胆にも思い切ったヤマを張るわけですが・・・ ピンポイントで予測が的中した学生には楽しい春休み、しかし、無残にもこの予測が外れてしまった学生には、悲しい結末が待っているわけです。かく言う私も、実は大学1年生の頃、このヤマはりを行い、見事留年しそうになりました。以後、まじめに勉強しています。

試験が厳しいことで有名な大学に身を置いていたものですから、私も結構な量の過去問を集めることになりました。そしてこの過去問を勉強することで、学生の質の低下を自分の目で知ることになるのです。つまり、ここ数年の問題はわりと易しいのですが、新しいものから古いものへ時代をさかのぼって問題を解いていくと、十数年前のある時期から急に難易度があがるのです。これらの問題を解くのに相当骨が折れたことを覚えています。大体の科目において同じ様な傾向が見られました。つまり先生方も学生に見切りを付け、出題する問題の質を下げることにしたのでしょう。

最近の若造は全然勉強していない、どうしようもない。そう思われている方も大勢いらっしゃるかと思います。しかし、中には頑張っている人間もいます。私は2年前、フランスの学会に学生派遣として参加して参りました。ここでは、その時知り合った友人、当時大阪府立大学の4年生だった小林千里さんの話をさせていただこうと思います。

既にTVや新聞でご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、日本一の工場密集地域の東大阪、この町の町工場のおっちゃん達が自分達で人工衛星を作って打ち上げたい、そう言い出しました。ご存知の通り衛星の打ち上げには巨額の資金が必要です。100億円という単位で話が進みます。当然失敗すればリスクも大きい。そのため国が資金と時間をかけて行うのが宇宙開発です。東大阪宇宙開発協同組合の青木さんはこう考えています。

 

-吉良州司-

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