「ニューヨークだより」について

家族と5年半過ごしたニューヨーク時代には年に1-2度「ニューヨーク便り」と称して、米国社会の様子、その米国社会で悪戦苦闘する家族の様子、私の仕事のことなどを盛り込み、日本のみなさんに送らせてもらっていました。多くの大分の方々にも読んで戴きました。このニューヨーク便りについて親友は下記のような嬉しいことを言ってくれており、その言葉に自信を得てホームページに掲載させてもらいました。但し、3人の娘たちの名前は「仮名」としていますこと、ご了解願います。


米国自宅玄関前にて家族全員

『吉良が書いたニューヨーク便りは、日本に残るおじいちゃん・おばあちゃんや知人、友人達に、米国社会の様子や子供の成長を報告するという体裁を取っており、夫人と三人の娘さん一家五人のアメリカ生活が、生き生きと、それもユーモアたっぷりに写し出されています。この中で、吉良は子供たちの成長を事細かに報告していますが、特に、学校教育との関わりを通して、アメリカ社会の底力を伝えることに成功しています。吉良が教育問題に大きな関心を持ち、造詣を深めていく過程としても、おもしろい読み物でした。』

96年12月 ニューヨーク便り追伸

えっ 親友が人質に? ペルー日本大使公邸人質事件で大分舞鶴同窓の大親友が人質に!

 
95年12月 ニューヨーク便りNo.1

失敗、チョンボを繰り返しながらだんだん米国生活に慣れていく本人と家族。末娘の可愛さがたまらず、もう本人はメロメロ。

 

96年8月 ニューヨーク便りNo.2

発展途上国のインフラストラクチャー・プロジェクト実現が主な仕事。米国での役割は中南米ビジネスの主体になることと、米州以外の市場では東京本社のサポート役。

 

96年12月 ニューヨーク便りNo.3

1996年の吉良家の10大ニュースの報告号。イエローストーンへの家族旅行、弟・卓司の来訪、次女がサッカーに熱中、吉良家にコンピューター・ブーム到来などの出来事を報告。

 

97年9月 ニューヨーク便りNo.4

ニューヨーク便り中、一番バラエティに富んだ内容の手紙。末娘が4歳で自転車に乗れるようになったのはお父さんが傷だらけになって練習したお陰。仕事上は相変わらず中南米への出張続き。ペルーのフジモリ大統領の政治姿勢を日本の政治家も学ぶべき!

 

98年賀状 ニューヨーク便りNo.5

米国生活も3年目。妻の千代美は「毎日が異国での生活との戦い」の中で、侍大将として巴御前のように華々しく奮戦。それだけに1年に1度か2度の家族旅行が何よりの楽しみ。97年はカナディアンロッキーとカリブ海へ。大分のおばあちゃんも来米し子供たちも大喜び!

 

99年賀状 ニューヨーク便りNo.6

米国の格付け機関に負けてたまるか!今にみていろ、アメリカ資本め!日本の大人はもっと節操を持って、子供への借金つけまわしを自粛すべきだ!

 

2000年賀状 ニューヨーク便りNo.7

警察官だった父は治安悪化問題を解決せずして、あの世にいけない!揺らぐことのない信念を持ち続ける高齢者層に多くを学びたい!これは面白い、米国の授業参観風景!