吉良からのメッセージ

2015年6月24日

戦後70年を迎えて その2

先日お送りしたブログ【戦後中国大陸からの復員・引揚げにおける中国の温情】では、皆さんから多くのご意見を頂きました。

本日は、その中でも最も多かったご意見をご紹介し、そのご意見に対する吉良州司の所感をお伝え致します。

頂いたご意見の中で最も多かったのは、次のような要旨のものでした。「『以徳報怨』演説は当時の国民政府、蒋介石によるものであり、仮にお礼を言うにしても、台湾に対してなら理解できるが、現在の中国共産党政府とは切り離して考えるべきではないか。」

歴史的背景もよくご存じの方々からのご意見であり、その言わんとするところもごもっともだと思います。
ただ、当時蒋介石が総統を務めていた中国国民政府と1949年以降大陸中国の主である中国共産党政府の違いは私も当然承知の上です。

1972年、日本が台湾と国交を断絶し、当時の大陸中国と国交を結ぶ際、私は中学2年生でした。個人的な思い出話になって恐縮ですが、「恩義ある蒋介石台湾と断絶し、大陸中国共産党政権と手を結ぶことは、国家百年の大計に悖る。台湾との国交を維持すべきだ。百歩譲って蒋介石存命中は共産党政府と手を結ぶべきではない。」という主張をクラスルームの時間に発表したことを覚えています。
また、当時私の自宅の勉強机の前には、蒋介石が、大陸在住の日本人を無事復員・引揚させるため、また、対日戦後賠償請求権を放棄した際に発したとされる言葉「既往を咎めず、徳を以て恨みに報いよ」という言葉を貼り付けていました。
このようなことについては家庭環境もあり、かなり早熟でした。

歴史的認識としても、終戦当時の中国共産党が蒋介石の温情主義に対し、強く反対していたと認識しています。

しかし、十数億人の中国の人々に対してお礼のメッセージを発するには、当時の政権を誰が担っていたかを含む歴史的詳細は、私はどうでもいいことと考えています。
歴史上の細かいことを専門的にあれこれ言っていたら、現在の中国の人々にお礼を言うような材料がありません。

「終戦当時、中国の人々の温情で復員、引き揚げがスムーズにできた。感謝している」と、当時の政権(蒋介石)と中国の人々の温情をひとくくりにして「それを中国の人々の温情」と言うことで十分だと思っています。

蒋介石の演説があったとしても、恨みが骨髄に達していたのなら、当時のリーダーや政府が何を言おうとも、大陸の日本人に危害を加えたであろうし、実際に行動を起こした(この場合は危害を加えなかった)のは中国の人々だったという捉え方ができるはずです。

私の主張は、何も中国に対してへりくだり、土下座しろ、もっと自虐的に対応すべきだなどと言っているわけではありません。その逆で、日本の誇り、尊厳は大事にすべきだと思っています。
一方で、15年戦争によって多くの中国の人々の命を奪い、迷惑をかけたことは明明白白ですから、そのことについてはきちんとお詫びをすべきだとも思っています。
しかし、同時に、中国の「力」に対してはまずは「力」で対応できるよう、十分な備えをしておくべきで、そのための日米同盟強化は必要だと主張しています。
十分な備えをした上で、外交的「ソフトパワー」で、中国に対して固い握手を求めていく現実対応が必要だと思っています。

固い握手の材料のひとつとして、終戦時の中国の人々の温情を持ち出そうとしているわけです。多くの日本人、特に今の若い世代は、以徳報怨演説はもちろん、蒋介石についてもほとんど知りません。

地元、東京における講演や集会等で最近よくこの話をしますが、はじめて聞いた多くの人々は、対中国ナショナリズムについて、考え方が変わります。

今、9割以上の日本人が対中嫌悪感情を持っていますが、中国と固い握手をするためには(我が国が民主主義国家ですから)まずは、この対中嫌悪感情を和らげることが必要です。
同時平行して、中国における反日教育を少しずつ改めてもらうことも必要です。そして、中国の人々にも親日的になってもらい、ネットが普及した現代中国において、共産党政府をして対日友好を模索させることがもっとも重要です。

そのような、息の長い戦略の第一歩を提案しているのです。

私は、国の独立、尊厳と国益を追求し、かけがえのない子孫に対して、将来にわたり余計な重荷を背負わせない、という固い信念をもっています。

中国に対して、土下座ではなく、対等の関係で、我が国の尊厳を維持しながら和解できたなら、将来世代はどんなに心休まるでしょうか。
中国との末永い友好を確実なものにし、結果として、国益はもちろん、私たちの生活、心の安寧が向上していくと信じています。

吉良州司