吉良からのメッセージ

2018年12月24日

平成最後の天皇誕生日に思う

昨日は、平成最後の天皇誕生日でした。その日を迎えるにあたって陛下が述べられたお言葉を聴きながら、次から次へと涙が溢れて出てきて止めることができませんでした。本ブログの読者のみなさんの中にも、同じく涙した方が大勢いらっしゃると思います。

お言葉の中には、自然災害の犠牲になった方々、先の大戦で尊い命をなくした方々、苦難を強いられてきた沖縄の人たちに寄り添おうとするお気持ち、戦後の日本国民が戦争と敗戦後の困窮・苦難を乗り越えて平和な国を築いてきたことへの感謝と敬意の念、障害と戦いながら力強く生きる障害者への深い愛情、災害時に被災地に赴くボランティアに対する敬意と称賛の念、が誠意溢れるお言葉で語られていました。

また、世界平和を希求する強いお気持ち、それゆえに昨今の民族紛争や宗教による対立やテロによる犠牲が多発することへの深い憂慮と懸念も述べられています。

更には、「日本民族の長」として、日本がまだ貧しかった時代に、新天地を求めて海外に雄飛していった日系人に対する愛情、その日系人を温かく迎えてくれた国々や人々に対する感謝の思いを伝え、それだからこそ、今、日本に働きにくる外国人をみんなで温かく迎えようと呼びかけます。

一方、60年間連れ添ってきた美智子皇后に対して、「国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」と感謝の念を語り、「新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。」と新しい時代を担っていくわが子への期待と信頼を表明します。

何よりも陛下が一番伝えたかったことは、戦争のない平和な国であり続けることへの切なる願いだったのではないでしょうか。昭和天皇も常に平和を希求しながら、しかし、立憲君主であるがゆえに政治の延長としての戦争をとめることができず、結果的に内外にあまたの犠牲者を出し、国土を焦土としてしまったことに胸を痛めておられたと思います。陛下御自身も物心ついてから戦争終結の11歳までは満州事変、日中戦争、太平洋戦争と戦争の真っただ中で育ち、疎開生活を余儀なくされていたこともあり、戦争のない国、平和を願う気持ちを誰よりも強く持っておられると思っています。それゆえ、昭和天皇も果たせなかった、祖国に残された家族を想いながら太平洋で散っていった戦没者への慰霊の旅を、高齢も顧みずに決行されたのは、ご自身の御代で、先の大戦の深い反省と犠牲者への慰霊に一区切りつける覚悟だったのだと思います。パラオのペリリュー島において皇后とともに深々と頭を下げられる陛下の姿に胸を打たれたことは今でも忘れられません。

陛下が如何に強く永久の平和を願っているかは、次の言葉でわかります。
「我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」
平成の世が、戦争のない、平和な時代であったことは、陛下の願いが天に通じていたのだと思います。

私がこのように要約してしまうと味気ない内容になってしまいますが、陛下の生の声を直接聴くと、忠恕を体現する陛下の愛情や思いがぎっしりと詰まっていることを実感してもらえると思います。是非、聴いてみてください。
陛下のお言葉については、新聞、テレビ、ネット上でも報道されていますが、まだ、読んでおられない方はこちらをご参照ください。

吉良州司