95年12月 ニューヨーク便りNo.1

お元気ですか。

ニューヨークには4月中旬に赴任したので、もっと早くお便りすべきでしたが、自宅を決めてから出そうと思っていたところ、自宅を決め、家族を呼び寄せた矢先に妻の母親が急逝する不幸に見舞われ、家族共々、一旦日本に戻っておりました。再赴任後も出張やら慣れない環境での多忙続きの為、ついつい遅れてしまいました。申し訳ありません。

さて、4月に赴任してから早8ヶ月が過ぎました。日本もそろそろ寒さが厳しくなる季節だと思いますが、当地はうわさには聞いていたものの、想像以上に酷寒の地で、最近は零下7-8度という日が毎日続いています。先日もかなりの雪が降り積もり一週間過ぎた今も雪が全く融けずあたり一面銀世界のままです。この先1月、2月はもっともっと寒くなり、零下10-16度という気温になるそうです。九州育ちの小生にはかなり堪えそうです。

当地には赴任前に10回程度出張に来ていましたが、短期間ホテルに滞在するのと家族共々住みつくのとは大違いで、毎日の生活の中で改めて米国のすごさ、素晴らしさ、豊かさを実感している今日此頃です。勿論、頭にくることもしょっちゅうで、愛憎が混在するのは11年前ブラジルに住んでいたときと同じ感覚、気持ちです。ただ、言える事は「愛」の方が確実に勝っているということです。それは、時間、空間、気持ちのゆとりといった本当の意味における豊かさについて自分自身、日々学ばせてもらっていますし、家族にとっても「真の豊かさ」を実感できるかけがえのない経験ができているからでしょう。何でもかんでも人のせいにする訴訟社会など日本として学ぶべきではないと思いますが、住む家や街の大らかさやゆとり、また、とことん消費者天国を追求した物流システムとその影響による物価の安さなどは漸く「豊な国」の入り口に立った日本としては是非学ぶべきだと思っています。

米国自宅の裏庭に州司がつくった雪の鎌倉

 また、あれだけ日本との摩擦が叫ばれていながら娘が通う公立小学校など、外国人の為の英語の特別クラス(後で娘の近況のところで説明します)があり、これは当然ながら住んでいる町の税金で賄われています。移民国家、他民族国家ということもあるでしょうが、外国人を受け入れる懐の深さ、広さには頭が下がる思いです。会社の先輩が、「ニューヨークに4年住んでいるが、今まで一度も「あなたどこの国の人ですか」と聞かれたことがない」と言っていました。他人のことに関心がないこともあるでしょうが、やはり国連のお膝元だけあってあらゆる人種・民族がいる為、それが(ごちゃまぜが)当たり前になっているのでしょう。

 ところで、言葉がよく通じないことや、習慣に慣れていないことが主な原因でいろいろなチョンボをやっていますが、これまでのハイライトは、何といっても冬時間への切替え日を知らなかったことです。米国では10月の最終週の土曜日の深夜に1時間の時差調整をし、夏時間から冬時間に切換るのですが、それを知らず、10月の最終の月曜日、嫁さんと長女はいつものようにスクールバスのバス亭まで行ったのですが、(1)まず、いつも渋滞する交差点でまったく渋滞せず、車の数もえらく少ないと感じた。(2)バス停では、だいたいいつも最後の方に到着するのに、その日は一番で、しかも他の誰もきていない、ということで「これはおかしい? 何かある。。。。。。。そうか!今日から冬時間か!!」と気づき家に戻ってきたのです。
聞くところによると、皆はこの日が1年で一番得をしたような気持ちになる日(1時間余分に寝坊できる)だそうですが、我が家は5時から皆で早起きをしていたわけです。それも実は2日前の土曜日の深夜0時に切換っていたとのことで、もし、その翌日の日曜日に誰かと待ち合わせの約束でもしていたら、信頼を失っていたかも(それとも、その無知や愛すべき、として却って仲良くなっていたかも)しれません。
これだけでなく、米国駐在員として恥ずかしくなる程の英語力の無さが原因のエピソードは事欠きませんが、幸い、命まで取られることなく、何とか元気に暮らしております。

上述しましたように、家族の赴任早々千代美の母が急逝するという不幸に見舞われ、一時は皆落ち込みましたが、再赴任後は何とか気を取り直し、各々の生活を順調にスタートさせています。

では、その家族一人一人の最近の様子をお知らせしましょう。

州司

州司は4月中旬に赴任してきました。ニューヨークという性格上、全世界の地域を相手にするようになったものですから、かなり忙しく(あまり使いたくない言葉ではありますが)、最初の頃は東京の時以上に夜遅くまでオフィスに居残ることが多く、アメリカという国やニューヨークという街を楽しむ余裕など全くありませんでした。これではとても身体がもたないと思い、家族の最赴任後は、パソコン、ワープロ、ファックスを自宅に取り揃え、会社だけではとても全て終わらないので(家が広く自分の仕事部屋が持てたのをいいことに)自宅からテレックスやファックスを世界中に発信できるようにしました。お陰で最近は夜8時頃までには帰宅し、家族と夕食を伴にし、少しばかり子供達の相手をした後で仕事再開という生活をやっています。もう少し慣れてきたらもっと余裕を持ってニューヨーク生活を楽しめると思いますが、今は仕事と家族が生活の中心です。これ、当たり前ですかね?それから日本と違って夏場しかできないゴルフは時々楽しんでいます

千代美

千代美は綾子(長女10歳)、ゆみこ(次女9歳)が各々違う学校に通っている為、朝からその送り迎えに大忙しです。おまけに、さちこ(三女3歳)はかなり歳が離れての3番目のせいか、自己主張が強く3人の娘の中で一番手をとる為(物事が出来るようになる早さは断突なのですが)、学齢期の児童と幼児を同時に抱える大変さに直面し、母親としては結構苦労しています。
また、赴任早々実の母を亡くしてしまう という悲しみに直面しました。異国の地での子育て故、時々亡くなった「お母さんに逢いたくなり」色々と相談したいこともあるようです。ただ、最近は悲しみを胸の奥にしまって元気を取り戻してきています。
家は46x36メートルの芝の庭と木々に囲まれた大きな家で、リスが毎日遊びに来ることもあって、とても気に入っているようです。また、今住んでいるニュージャージー州のリッジウッド(Ridgewood)という町(マンハッタンからバスで約1時間くらいの閑静な住宅地)も気に入っています。何といっても一番うれしいことは、物価がすごく安いことで、あまり値段を気にせずに買い物が出来るので主婦としてはアメリカ生活を大いに楽しんでいるようです。因みにスイカは大きなものでも1個200円、アイスクリームは日本のボーデンの一番大きい器の3倍くらいのものがやはり200円、オレンジなど20個で200円といった具合で、千代美は勿論、子供達、それからお父さんも日本では生きていけない身体になってしまいそうです。この前は赴任後初めて、ミュージカルを見に行き、大いに感動していました。少しずつ米国生活を楽しみはじめているようです。

娘たちが夢にまでみたディズニーワールド駅の前にて

綾子はニューヨーク日本人学校のニュージャージー分校(山奥の学校みたいですが)に行くことを自分の意志で決め、最近はすっかり溶け込み且つ気に入っています。5年生は綾子を含めて6人で、女の子は綾子一人です。先生も鹿児島県出身の親しみやすい立派な先生で、毎日毎日、学校に行くのが楽しくてしょうがないようです。家に帰ってきても、その日学校で繰り広げられた出来事の話ばかりしています。級友にも恵まれて面白い子が多く、綾子の話を聞く方も楽しませてもらっています。この家族的雰囲気の学校はドラマにしても視聴率30パーセントを獲得できそうな「絵になる」学校またはクラスで、家族の皆が一度その学校、授業風景を覗いて見たいものだと言っています。これまでのハイライトは、その分校の運動会の徒競走。たった一人の女の子である綾子が男の子に交じって走ったのですが、最初、見に来ていた母親達も「女の子を男の子と一緒に走らせるの?ちょっと可哀想じゃない?」という雰囲気だったらしいのですが、結果は綾子が悪餓鬼どもを抑えて見事1等賞。自分が一番早いと思っていた男の子は涙を流していたそうです。勉強の方も詰め込み教育とは縁遠い大らかな教育を受けさせてもらっており、本人も全ての分野に興味を持って意欲満々に取り組んでいます。

ゆみこ(9歳。現地のホーズ小学校3年生)

ゆみこも自分の意志で現地校を選びました。英語がまだ分からないので一般授業の方は「Art(美術・図工)」「Music(音楽)」「Gym(体育)」「Math(算数)」の授業を受けますが、それ以外の時間は「ESL(English as a Second Language)」という英語を母国語としない子供達の為の特別プログラムがあり、そこで英語の特訓を受けています。子供の上達は早いものでわずか3ヶ月ですが、もうちょっとした文章は書けるようになってきましたし、発音も親のJapanese English(Janglish)とは違って大分ネイティブに近い発音になりつつあります。親バカを披露させてもらいますと、そのESLの先生からは「ゆみこの上達は驚く程早い。1年もすると普通の授業にも問題なくついていけるようになるでしょう」とかなんとか調子のいいことを言われています。まあ、アメリカ人は人を大袈裟に誉めるのが商売みたいな人種ですから、話は半分に聞いていますが、「全く言葉の分からない世界に入っていって本当に大丈夫だろうか」と、親としては不安を抱いていましたから、その言葉を聞いてほっとしているところです。また、算数はアメリカ人のペースが遅いこともあり、いつも一番に出来てしまうようで、これも大きな自信に繋がっています。算数の計算などはアメリカ人の子供から「答えを教えて!」と聞かれることも多いらしく「言葉は分からないけどバカじゃないんだ!!」と証明できる場となっているようです。それ故、ゆみこも毎日楽しそうに学校に通っています。言葉が分からないにも拘らず楽しんで通えるというのは我が子ながら大したものだと思います。
アメリカの学校は幼稚園からコンピューターを教えており、ゆみこもワープロやコンピューターが面白くなってきているようです。また、アメリカ流の「乗り」で「ハイハイ!ハイハイ!」とリズムに乗ってみたり、手を大きく広げるようなゼスチャーが出始めたりで、無意識の行動面からも馴染んできている様子が窺えます。

さちこ(3歳)

さちこはこの前の11月で3歳になりました。我儘この上なく、かなり手を焼いていますが、3番目で断突のチビですから、泣いても笑っても可愛く、厳しくしようとは思いつつもどうしても甘くなってしまいます。何でも自分でやらないと気が済まず、一番困るのは何でもお姉ちゃんと一緒でないと気が済まないのです。この独立精神やよしですが、なにせ分不相応な要求や目的が多く、我が家のサダム・フセインになっています。アメリカに来てから随分と言葉(日本語)が上手にしゃべれるようにもなり、またまた親バカですが、今が一番可愛らしい時期で食べてしましたいくらいです。大のお父さん好きでもあります(ここがポイントです)。というのも、千代美は食事の支度やらその他の家事や子供の勉強をみていたりしていて忙しく、お姉ちゃん達は、自分で遊んでいたり、勉強をしているときなど、最後の頼りはお父さんだけで、お父さんはまるで奴隷のように我儘な要求に応え続けています。まるでさちこが中国や韓国で、お父さんは弱腰の日本の首相のようです。そうでもしないと「お父さん好き」を維持させられないのでしょう。

米国自宅の前庭にて千代美と三女

 さっちゃんにとって一番の幸せは、家の中に、ブランコ、滑り台セットがあり(お父さんが買ってきて汗まみれになって組み立てたのですが、ブランコが2本、ぶらさがり棒が1本、スイング・シーソーが1本、それに滑り台が1台あります)、それらで遊べることと、家の中で自転車を乗り回せることです。因みにお姉ちゃん達は家の中で縄跳びをしたり、ローラースケートの練習をしたりしています。ニューヨークは冬が厳しく長い為、外には出られない気候ですが、家が広いお陰で、このように日本でいうところの「家にこもる」必要なく家の中で冬を越せそうです。

以上のように家族各々元気にやっています。この前の感謝祭の連休には子供達が夢にまで見ていたディズニーワールドに行ってきました。本物のミッキーマウスを見たさちこなど、もう夢心地で興奮しまくっていましたし、お姉ちゃんやお父さん、お母さんも大喜びでした。この先、もう1-2回は行くことになると思います。

1995年12月
吉良州司