気合い先行の強気な精神論政権と思える高市早苗新政権
昨日、高市内閣が組閣され、今日から新政権が本格始動することになりました。
就任会見は自民党総裁選挙当時からもそうでしたが、私には「気合いが先行する」、明確な国家ビジョンや政策とは違う、「こうありたい」「こうしたい」という希望、願望を意識的に強い言葉や口調で表現する「強気な精神論政権」に思えてなりません。
「強い日本」や「強い経済」などという強気な精神論表現を高く評価するマスコミのあり方にも疑問を持ちます。強気な精神論に対しては、かつての帝国陸軍がそうであったように、そりゃあ強い国、強い経済が望ましいことは確かですから、誰も反論はできません。しかし、じゃあどうやって強い経済にするんだ、となった時、政権が選択するであろうことは、「強いリーダーシップ」で「大胆な補正予算を組んで、多額の補助金を出して経済を底上げする」とか「これからの日本経済をけん引する産業分野に国が先頭に立って自ら投資をしていく」といった具合に、本来は民間の自助努力で成し遂げるべきことを、結局は税金を使って(つまり現在、将来の国民の負担になる)、政府の余計な「口出し」、「金出し」が受け手にありがたがられるバラマキを行うことになると思います。
政府が余計な口出し、金出しをして、民間企業、民間経済が強くなるはずがありません。我が国が「失われた30年」に陥ったのは、バブル経済の後始末に失敗し、人や地域だけならまだしも、企業までもが、「国への依存体質」に染まる「依存体質国家」、「国や政治への依存が当たり前になった経済」に陥ってしまったからにほかなりません。
この空気が当たり前になった社会においては、企業に対して、ライオンではないですが、真に強くなってほしいという愛情があるからこそ、独り立ちを願いつつ谷に突き落とす、ということは避け、愛情と見せかけて、実は、依存体質を促進させ、結局は政府や政治の助けがなければ生き残っていけない弱い企業ばかりにしてしまい、その弱くさせた企業を税金で大胆に救うこと、それが政治の「強いリーダーシップ」になってしまいます。
自民党税制調査会の宮沢会長を退任させて小野寺五典氏を会長に起用し、財務大臣には積極財政派の片山財務大臣を起用するなどの人事をみていると、アベノミクスを継承する、否、更にアップグレードしていくとしか思えません(因みに、宮沢税調会長はラスボスと言われ、財政の健全化や財源を確保した上での政策立案を主張し続けた方。小野寺さんは私自身も尊敬、敬愛してやまない立派な政治家ですが、宮沢さんのようなラスボス的役割は期待されていないからこそ起用されていると思います)。「強いリーダーシップ」を国民に見せたいと思えば、できるだけ早くその成果を見せたいという思いに繋がり、そのことはアベノミクスの再来を招くことに繋がります。
現在、国民が悲鳴をあげている物価高とそれに伴う生活苦は、アベノミクスがもたらしたものです。ゼロ金利、マイナス金利、異次元の金融緩和による円安誘導がもたらしたものです。これだけの手を打っても日本経済は回復せず(輸入物資を購買する力を考えると日本経済の実力は米国ドルベースで計ることが適切ですが、米国ドルベースのGDPは増えていません)、国民は物価高に悲鳴をあげています。
その根本原因は、行き過ぎた円安、その結果もたらされる輸入物資の高騰、それに伴うほぼ全てと言っていいほどの商品・サービス価格の上昇です。この物価高を抑えるためにはアベノミクスを失敗だと認め、行き過ぎた円安を解消するという根本治療が必要です。もちろん、為替変動は相手(相手国や相手国通貨)があることであり、単なる金利差だけでなく、政治的状況、地政学的状況、実体経済の現在・将来に対する信認や期待など、多くの構成要素があります。しかし、現在の金融政策を継承する限りは行き過ぎた円安とそれに伴う物価高を抑えることはできません。
上記後段のことは、私が10年前の2014年から言い続けていることです(吉良州司ホームページ。広報誌15号改訂版「私たちの暮らしとアベノミクス」をご参照願います」。
気合い先行の精神論的経済政策が行き着く先は、根本原因であるアベノミクスの失敗を放置したまま、(将来的に)更なる国民負担に繋がる、補助金や減税といった財政ポピュリズムのオンパレードになるでしょう。
昨日から始まった臨時国会や来年の通常国会では以上お伝えした内容をデータでも示しながら、再考や路線修正(生活者優先の政治への修正)を迫っていきたいと思っています。
また、本メルマガの内容は、新政権が「気合い先行型の強気な精神論的政権」であるということをお伝えする目的で執筆しましたが、私こそ、精神論的記述に陥ってしまっていますので、また、あらためて政策の具体論をお伝えしたいと思っています。
吉良州司