大分市佐賀関の大火 奇跡的な避難行動の背景

2025年11月18日に発生した大分県佐賀関の大火。その報道を見た方々から、多くのお見舞いの言葉を戴きました。ご心配してくださる方々、さっそく寄付をしてくださった方々に深く感謝致します。

国会日程も立て込んでいたため、一昨日22日にようやく佐賀関の避難所と火災現場を視察し、お見舞いとともに関係者からお話を伺ってきました。

まず、現場は跡形もなく焼け落ちており、戦中の空襲後もこのようであったのかと思うほどの悲惨な状況で、さぞ凄まじい火災であったことが伺えます。

火元の住民の方が残念ながら亡くなられてしまいましたが、他の住民の方々は昨年1月1日の羽田空港において、海保機にJAL機がぶつかって炎上した時と同じく、奇跡的にひとりの犠牲者、怪我人を出すことなく避難されました。

一体何がこの奇跡的な避難行動に結びついたのか。すでに報道もされているようですが、実際に話を伺って得心してきました。

日頃からの密な付き合いとコミュニケーション、それに裏打ちされた相互愛と言えるような他者を思いやるコミュニティーができていたからだと確信しました。

まず、集落のみんなが顔見知りで各々の事情、特徴も知り合っており(あそこのおばあちゃんは、元気だが足が悪いのでいざという時には助けが必要、といったような)、また、南海トラフ地震に備えた避難訓練もまじめに取り組んでいた地域でしたので、あのような奇跡の避難をすることができたようです。

話を伺った民生委員の女性は、集落のみなさんをほぼ全員知っているので、助けが必要だと思う方を中心に30人に声かけし、引率して避難させたそうです。

また、漁師町でもあるので、高齢世帯が中心ではありますが、同じ年齢の人と比べても、歳の割には元気な人が多かったのも早く無事に避難できた理由ではないか、と話しを聴いた男性被災者はおっしゃっていました。

日本には、全国各地で似たような地理的背景、年齢構成の集落が数多くあると思いますので、今回の大火という、起こってしまった悲劇は取り戻すことができませんが、佐賀関の方々が範を示した、人命を守るための日頃からのコミュニケーションと避難訓練、他者への思いやりに充ちたコミュニティー創りは多くの示唆を与えてくれていると思います。

これからは、私も含め、国、大分県、大分市を中心に政治、行政が一体となって一刻も早い生活再建、復旧復興に取り組んでいかなければならないと肝に銘じた次第です。

吉良州司