予算委員会質問時の幻の打ち返し「生活者とは何ぞや?」
予算員会質問に対して共感・激励メッセージが多数届く
12月10日の予算委員会の私の質問(というより実際上は、パネルを使った「日本の経済構造の解説」と「生活者を優先すべき」という持論展開ですが。)に対して、全国各地からメールや電話で共感、称賛、激励のメッセージを戴きました。望外の幸せにて、心より感謝申し上げます。
<この質問のYouTube動画、議事録はこちらをご覧ください>
元々、私が期待する答弁は高市総理からは返ってこないと思っていました。恐らく、私が考えていることは思いもつかないだろうと思っていたからです。
それ故、私が第一の目的としたのは、「嘘をつかないデータ」、「気合いや威勢のいい理想論だけのまやかしが効かないデータ」「真実を語りかけてくれるデータ」を国民のみなさんに見て戴きながら、「何故、株価は5万円を超えるなど企業業績は好調なのに、生活者は物価高に悲鳴をあげているのか。このギャップがどこからきているのか」という、多くの国民の疑問に対して、そのようなギャップを生じさせる「日本の経済構造」をご理解戴くことでした。
戴いた好意的なメッセージの中にも「わかりやすかった」「日本経済の構造がよくわかった」といったコメントが寄せられていますので、その目的は達成できたのかな、と喜んでいます。
また、「庶民感覚を代弁してくれてありがたい」といった趣旨のメッセージも戴きました。これは、恐らく、しつこいほどに「生活者の暮らしを優先せよ」と主張したことが響いてくれたのではないかと思っています。
特に、高市総理が、民主党政権時代など、日本経済は円高で苦しんでいた」と答弁したのに対して、「それは業界優先、産業界優先だからではないか。産業界は6重苦といって、それに苦しんだのは承知している。ただ、当時の生活者は、豊かさまでは感じていなかったかもしれないが、少なくとも今のような物価高の悲鳴まではなかったと思う。今、100円ショップに行くと、ちょっといいなと思う商品は100円ではなく、200円、300円、400円で売られている。民主党政権時代の100円ショップはほとんどが100円の商品だった。これは円高だったからだ。生活者の暮らしを優先すれば、円高の方がいいのだ」と反論したことが国民の納得感に繋がってくれたのではないかと思っています。
生活者の意味するところは
実は、私の頭をよぎった「幻の反論」「幻の打ち返し」があります。高市総理が「輸出企業の社員も生活者」だといった件(くだり)です。
私はこれまで、「生活者主権の政治」をスローガンに掲げ続ける中で、私のいう「生活者」の定義を示してきました。それはつぎのようなものです。
『一般的に、人は職業人と家庭人と二つの顔を持っています。私が掲げる「生活者」とは、労働者は勿論、組織体の経営者や幹部、個人経営者、フリーランスなど職業の形態を問わず、また単身世帯など家族との同居形態を問わず、「日本で暮らす全ての家庭における個人」を対象としています。なので、経団連会長も家庭に戻れば、ひとりの夫、父親、おじいちゃんとしての消費者であり生活者です。』
また、この定義に続けて、生活者優先政治の必要性についても、つぎのように主張し続けてきました。
『「業界人」「職業人」の立場からは、たとえその仕事の財源が、子どもたちの将来の負担となる借金であっても、自分と社員とその家族の生活を守るためには仕事を選びません。業界が政治に期待することは「業界の利益」の実現であり、政治と業界は「利益と利益で繋がる関係」です。しかし、「家庭人」としては、子どもたちの将来が苦しくなるような行動は避けようとします。子どもたちの将来の幸せが一番大事だからです。政治の役割が利益供与や利害調整が中心の時代は終わらせなければなりません。長期の低迷を続ける日本社会に活力をもたらすには、「業界優先政治」ではなく、家庭人としての生活者の声に耳を傾け、生活者と直接向き合い、生活者を直接支援する「生活者主権の政治」に大転換するしかありません。』
頭に浮かんだ「幻の反論」「幻の打ち返し」
高市総理の「輸出企業社員も生活者」という答弁に対して頭に浮かんだ反論は次のようなものです。
『まさにその通りです。(そして、私のいう生活者の定義も説明し)経団連会長も家庭に戻ればひとりの生活者であり、輸出企業社員も家庭に戻れば生活者です。それ故、企業人と一般の生活者を分断し、対立させるような概念ではありません。
国の借金がGDPの2倍以上に膨らみ、成長率も3%が御の字の時代に、財政的にも経済成長的にも余裕がある時代ではなくなった、否、非常に厳しくなっている現在、利害調整が主軸の政治には限界がきています。その際の政治的優先順位付けは、家庭では当たり前に行われていることを国政にも援用していくことが重要だと考えています。
例えば、普通月30万円の給与の家計が毎月毎月50万円を支出する生活はしません。「経済成長すれば対GDP比の借金比率は小さくなっていくから、成長する経済にしていくので借金しても大丈夫」と言いますが、家庭において、この先は毎年必ず年収が上がり続けていくので、大きな借金を抱えても大丈夫、心配はいらない、とはなりません。年収が毎年上がり続ける保証もないし、過去の経験からも毎年上がり続けたわけではないのです。自民党政権は経済成長を叫び続けてきましたが、成長はしていません。特に、米国ドルベースのGDPはむしろ下がり続けてきました。一般国民の生活、生活者の暮らしはこの間、一部の富裕層を除いて、決して豊かになってはいません。それどころか、最近は物価高により返って苦しくなってきています。それが「失われた30年」ではないですか。それ故、仮に家計が借金する場合でも、年収が上がらない場合も想定し、かなり抑制的・保守的に今後の収入を見込んだ上で、返済できるかどうかを判断するものです。「強い経済をつくる」といった気合いだけで経済成長するものではありませんし、勤め人の年収が上がるわけでもありません。』
質問時間の終わりが近づいてくる中、この「生活者論」を優先すべきか、掲げ続けていたパネルが「名目GDP(日本円と米国ドル)、為替相場、原油価格の推移」だったこともあり、100円ショップの話の方が時間的な完結性とパネルとの整合性を含めた「わかりやすい」「生活実感として共鳴できる」という観点から、こちらを優先すべきか瞬時には迷いましたが、後者を優先すべきだと判断したのです。それ故、「生活者論」は「幻の反論」「幻の打ち返し」となってしまったものです。
本メッセージを通して、予算委員会での私の質問に関心を持って下さった方々にその思いをお伝えしたかったものです。
長文を最後まで読んで戴き、ありがとうございました。
吉良州司