予算委員会質問の背景にある吉良州司の持論。企業利益と生活者の利益が一致せず、相反するようになった現状が極右政党やポピュリズム政党を生みだしている
先日の予算委員会の私の質問に対して、温かいメッセージを戴いたことは前回のメッセージでお伝えした通りですが、ホームページを改訂した2025年8月20日に「吉良州司が今思うこと」と題するメッセージを発信しており、その中で、ある意味文明史的視点(というと少し大袈裟ですが)で、資本主義の限界とそれに伴う民主主義の機能不全についての持論を展開しています。
先日の予算委員会での主要テーマとした「株価が5万円を超えるなど企業の好業績の一方、物価高に悲鳴をあげる生活者のギャップは一体どこからきているのか」の、データ的な現実はパネルで示した通りですが、経済社会構造の変化に対する持論(企業利益と一般生活者の利益とが一致しない、むしろ背反するようになってきている)の背景を、本年8月20日付の「吉良州司が今思うこと」に記述していますので、今一度、ご一読戴ければと思います。(以下にも転載)
私は、ここしばらく、日本内外のあまりにも多くの環境変化に直面する中で、表面的な出来事に対する表面的な対処を考えるのではなく、環境変化の背後にある物事の根本・本質の変容の原因はどこにあるのか、それに対処するにはどうすればいいのか、などなどあれやこれや考えていました。今まだ充分に頭を整理できているわけではありませんが、今考えていることのほんの一端をお伝えしたいと思います。
今を生きる私たちは、これまで当たり前と思ってきた正義や世界の既存秩序が音を立てて崩れていく様を目の当たりにしています。ウクライナ戦争、ガザ・イスラエル戦争(イスラエルによるガザ地区パレスチナ人の一方的な殲滅戦争)、そして何よりも世界の政治・経済・技術において圧倒的な優位性を持つ米国のおぞましいばかりの醜い変貌、その米国に翻弄されながらも尚米国にすがり続ける世界各国の痛ましい姿がそれらを象徴しています。
既存秩序崩壊の最大の原因の第一は国内的・国際的分業を前提としてとことん効率を追求してきた現代資本主義が限界を迎えつつあるからだと思います。低所得層の憤懣はもちろんのこと、これまで豊かさを享受しながら資本主義を支えてきた中間層までもが、頑張っても報われず、一部の富裕層に富が集中していく中で、自分たちが下層へと転落しつつあることを実感しながら、溜まりに溜まった不安・不満が一驚に噴き出していることが背景にあると思います。
そして、その不安や不満が選挙時の投票行動に直結する結果、外国人など誰かを敵対視する分断志向の政党や、財源負担を無視して安易なばら撒きを訴えるポピュリズム政党を躍進させてしまうという民主主義の機能不全をもたらしていることが第二の原因だと思います。
これらの傾向は米国ではトランプ大統領を誕生させ、欧州では近年、極右政党を台頭・大躍進させ、先の参議院選挙において我が国にも極右政党やポピュリズム政党を大躍進させる結果をもたらしました。
私は、日本社会が社会主義への強い憧れを抱いていた当時(1970年頃まではそうだったと言えると思います。しかし、私が中学3年時(1972年)の連合赤軍あさま山荘事件でその傾向は弱まったと感じています)、政治思想的にはおませであった私は、共産主義、社会主義で平等を追求するあまり、自由が奪われることへの強い抵抗感から、というよりも、何の制約も受けないとことん自由な生き方がしたいと思っていましたから、自由主義、自由主義経済、市場原理経済が社会是、国是だと思って生きてきました。必然的に衆議院議員になってからもそのような思いを持ちながら議員活動を続けてきました。しかし、今、自由主義、市場原理経済、というより本来の意味である「資本」を社会経済活動の中心に置く「資本主義経済」の限界を感じるようになってきています。
私は社会や国の発展をよく、米国の心理学者アブラハム・マズローの「人間の欲求5段階説」に例えます。5つの欲求段階は次のようなものです。
1. 生理的欲求(食欲、睡眠欲など生命維持に必要な最も基本的な欲求)
2. 安全の欲求(危険や不安から解放され、安全・安心な状態を求める欲求)
3. 社会的欲求(家族や友人、恋人など、他者との繋がりを求め、愛情や所属感を抱きたいという欲求)
4. 承認欲求(他者から尊敬されたい、認められたい、評価されたいという欲求)
5. 自己実現の欲求(自分の能力や可能性を最大限に発揮し、自己成長を追求したいという欲求)
個人を国に当てはめてみると、安全欲求や社会的欲求の一部のような動物的欲求段階までは社会主義、共産主義でも充たせますが、衣食住が充たされた後の、より人間的な生き方を求める段階になると、自由な社会活動、経済活動が許されない社会主義では承認欲求や自己実現の段階には進めない、やはり自由主義でなければ、個人も社会も自己肯定感を伴う発展はできないと思っていました。
しかし、今、世界を見渡すと、特に比較的人口の多い先進民主主義国の苦悩や我が国の苦悩を目の当たりにすると、資本主義も一部の富裕層を除く多くの国民を自己肯定感や自己実現を求める第5段階に進ませることには限界があると感じるようになってきています。将来不安と現在の不満が高じれば、第4段階に進むことも危うくなっているように感じています。
人口は少ないが、一人当たりの豊かさが抜きんでている北欧諸国やベネルクス3国などは、現在既に第4段階や第5段階を走行中のように思えますが、それでも外国人を敵対視した極右政党の躍進が見られる国もあります。
その理由は、資本主義の重要なプレイヤーである企業の利益がIT化や機械化による効率追求と国際分業を前提としたグローバリゼションの過程で、必ずしも一般生活者の生活を豊かにしなくなっていると思われるからです。企業の利益は社会に還元・再配分されることなく、更なる企業利益の拡大へと自己増殖するようになってきており、企業利益と生活者の利益が一致しない、否、相反するようになってきているからだと思うからです。
どの先進諸国も経済成長期を経験しており、その時期は企業の利益が国民生活の向上を後押しするという国家の成功体験として記憶されています。それゆえ、国家の経済政策の中心は企業利益の拡大を後押しすることになってきました。我が国では、政権党である自民党と同業企業の集まりである業界とが一心同体となっており、自民党政権はどうしても「業界優先政治」に陥ってしまいます。上述したように、高度成長やその後の安定成長期の成功体験がありますので、自民党政権が業界優先政治になることはある意味必然なのかもしれません。
しかし、政治は国民生活を豊かにする使命がありますので、過去の成功体験とは決別し、企業の業績拡大が必ずしも国民生活の向上に直結しないことを充分に認識し、「企業優先」「業界優先」ではなく、「生活者優先の政治」に大転換しなければならないと強く思います。(2025.8.20)
吉良州司
尚、上記メッセージは吉良州司ホームページの「理念・政策」コーナーのリード文として掲載しています。