大分での活動

この週末の大分での活動について少しご紹介します。
4月の大分県議選に向けて、県内各地で決起集会が開かれました。大分県連代表として、冷たい風の中、2日で県内を縦断する事務所激励や、決起集会の応援弁士として二豊の山河を駆け巡りました。

土曜には、東京から大分へ戻った後、玖珠郡選挙区で戦う「しげた弘司」氏の集会へ、玖珠町は吉良代議士自身の出生地でもあるため、熱狂的なファンも多く、力のこもった応援を行ないました。また、その日は、夜に予定されていた「清家ぎたろう」氏の集会のため、大分を縦断し、県南佐伯市へと車を走らせました。佐伯市は、4年前の県知事選の時に、強固な自民党支持基盤ながら、広瀬候補(現知事)に約900票差まで迫った激戦の地です。ここでは旧来の野党野党とした自民党に対峙する政党ではなく、政権交代を担わんとする責任政党としての熱い思いを語り清家氏を県政へ送り出して頂きたいと語りました。
明けて日曜は、午後から豊後大野市での「後藤ひさはる」氏の励ます会へ。7町村が合併して新しく誕生した豊後大野市の旧三重町、旧千歳村、旧犬飼町は、4年前の県知事選の時に、相手候補に郡部の中では数少なく勝利した地でした。4年前から力強い活動を続けていくださっている支援者を前に、吉良州司と変わらぬ後藤氏へのお願いを呼びかけました。

豊後大野にて200703181353000.jpg写真:豊後大野市 後藤氏の集会にて。

そして今日(月曜日)は、ある恩人のご自宅へうかがっています。恩人とは、先週水曜日に亡くなった旧耶馬溪町の立石史洋さんです。立石さんは、県知事選挙の時に、民主党に属しながら、真っ先に無所属候補で、まだ世間からは準泡沫扱いをされていた吉良州司候補の支援をするといって事務所を訪れてくれました。それ以来、県連内でも副代表を務めるなど、吉良代議士の強力なサポーターをしてくれた方です。非常にまっすぐで、義理人情に厚い方でした。癌との闘病は、「誰にも言うな、聞いた人を暗い気持ちにしてはいけない」と奥様を口止めし、誰にも知らせることなく亡くなったそうです。本来ならば、通夜、葬儀に駆けつけたい衝動に駆られていた代議士でしたが、委員会、本会議など、東京での公務が連続している中、立石さんがご存命ならば「代議士の本分をわきまえよ」とおっしゃるはずだと、思いとどまり、今日月曜日にご自宅にうかがいました。
改めて、立石さんのご冥福をお祈りいたします。

あの県知事選挙から早や4年。この4年の中でいろいろな変化が起きています。来る統一地方選挙に全力で戦う皆さんのご健闘を祈念しております!