新「政党」改革クラブ

皆さんこんにちは。今年も早くも9月になりました。気温はさておき、急に“夏”が過ぎ去ってしまった感が強くなり、少し寂しい今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、先週は金曜に新「政党」の旗揚げが行われました。『「新党」改革クラブ』と命名されましたが、参加を表明していた姫井参議院議員が急転直下民主党への離党届を撤回し、参加を見送ったために、「新党」は幻のものとなりました。そもそも政党となるには、公職選挙法などで要件が以下のように決まっているのです。

   「政治団体のうち、所属する国会議員(衆議院議員又は参議院議員)を5人以上有するもの
  であるか、近い国政選挙で全国を通して2%以上の得票(選挙区・比例代表区いずれか)を得たもの」

つまり、姫井議員が外れたことにより、改革クラブは(もちろん名称上「政党」を自称することはできますが)法律上は、あくまでも政党ではなく「その他の政治団体」という扱いになります。政治活動を行う上で、政党でないと、法律上さまざまな差異がでてきますので、その例をいくつかご紹介します。

  ・政党助成金を受け取ることができない
  ・法律で認められたポスター・ビラ枚数や選挙カーの台数などが、政党所属候補よりも少ない
  ・衆院選では選挙区で政見放送に出演できない
  ・衆院選で比例区の重複立候補が認められていない
  ・企業(法人)からの政治献金を受け取ることができない(政党以外の政治団体は、
   個人献金のみ受け取れる)  
                                     など

4人が今後参議院において、会派(議会において政治上の主義、理念、政策を共有する議員が集まった団体)を結成した場合には、委員会での質問時間の割り当てなどが行われますので、参議院の中での活動はほぼ不自由なく行うことができますが、少数のため、本会議での代表質問などについては、割り当てはされません。残念ながら、もし質問をしたければ、大きな会派の「好意」で時間を譲ってもらうしかなくなります。この区別が適切かどうかはさておき、1人を失ったことは、その人数以上に大きな痛手であるはずです。

また、改革クラブについては、2つの大きな疑問が投げかけられています。一つは、いったいこの時期にあえて立ち上げをしたのは、なぜなのでしょうか。「結党」会見でも小沢代表の無投票再選など、いろいろな理由が述べられていましたが、実は、政党助成金の交付時期(4月、7月、10月、12月)のうち、次の10月までの政治日程を考えると、何とか理由をつけやすいのがこのタイミグしかなかったということも大きな理由として挙げられます。政党助成金が交付されれば活動の上でも確かに大きな違いとなりますが、あまりよろしい動機ではないように思われます。

さらにもう一つは、そもそも民主党「全国比例」候補であった議員たちが民主党以外の政党に移ることの是非についてです。参議院の選挙制度は、都道府県を単位とする「選挙区選挙」と、全国を単位とする「比例区選挙」の2本立てです。比例区選挙では、有権者は、政党名か、候補者の個人名を投票用紙に記入して投票することになります。当選者決定の仕組みは、政党の総得票数に基づいて、各政党の当選人の数が決まります(この方式をドント式といいます)。なお、政党の総得票数は、候補者個人の得票と政党名の得票を合算したものとします。そして、各政党に配分された当選人の数のなかで、 得票数のもっとも多い候補者から順次当選人が決まります。民主党には、2007年、2004年の参議院選挙で、比例票がそれぞれ2325万票(07年、当選者20人)、2113万票(04年、当選者19人)集まりました。それぞれ比例議員一人当たりで約116万票(07年)、111万票(04年)が必要であったわけです。渡辺議員、大江議員の個人名での得票は、渡辺議員約10万6千(04年)、大江議員約6万9千(07年)であり、この数字を大きく下回っている上、お二人は1議席に対して個人票が10%にもなりません。制度上も、得票数上も、民主党という政党に対して投票がなされた結果に、議員になれたということがわかります。ではなぜ今回のようなことが可能だったのでしょうか。それは、法律の盲点があるためです。公職選挙法では、比例議員の別の政党への移籍を禁じています。ただ、離党して無所属になることや、政党同士の合併や分割などは明文で認められています(公職選挙法99条の2)。ただ、無所属になった場合、新党を結成することについては規定がなく、今回はこの不備が利用されたものと考えられます。確かに、違法ではありませんが、政治的にはこれまで述べてきたような理由から、極めて問題のある行動ではないでしょうか。