被災地視察
東日本大震災発生以来、吉良州司は被災者支援対策のために昼夜を問わず24時間体制で全力で取り組んでおりますが、「やはり自分の目で現場を見なければ」という思いが強く、まずは2日間と短期ではありますが宮城県石巻市と女川町に現地視察に入りました。尚、今回はあくまで吉良州司単独での視察であり、スタッフのみの自己完結型で視察を行いました。
出発は金曜日の午後3時に永田町の議員会館を出発し、開通したばかりの東北道をつたい陸路で宮城県古川市に入りました。片道約6時間の道のりでしたが、東北道も福島県辺りに入りますと急に地震によってひび割れ箇所や、道路の歪みなどが散見され(既に応急処置がされて通行は可能ですが)至る所に地震の爪痕が残っておりました。向かう途中で災害派遣されている自衛隊車両や全国から応援に来る消防関係の車両とも何度も出会いましたが、任務を終え所属地へ戻る隊員たち、これから被災地へ向かう隊員たち、みなさんきちんと整列しており、改めて“皆さん頑張っているなぁ”と感じ、また大変心強く思いました。
夜21時過ぎに現地入りし、簡単な食事を取った後、既に現地で1週間活動している知人の医師たちと合流し、打ち合わせを行いました。打ち合わせというよりも、彼らから一方的に現地の状況と彼らの1週間の活動を通じての感想や、問題提起、要望等を教えてもらいました。この情報を元に、明日現地を見てまわる計画を立てました。終わった時には既に午前0時を過ぎておりました。
翌土曜日の早朝6時に古川市を出発し、車で約1時間弱かけ石巻市に入りましたが、途中石巻に入るまでの間、道路左端にたくさんの車が並んでいたり、人が並んでいたりしていましたが、開店前のガソリンスタンドに給油待ちで並ぶ車や、給油整理券をもらう為に並ぶ人たちだと知らされました。この開店まで2,3時間前の時点で車は数十台、約500~600mに及んでいましたが、開店までに更に増えていくとの事で、一週間前ではこの時間で既に1Km以上並んでいたそうです。
石巻市内に入り、まずは津波の被害もあった市街地中心部にある市役所に立ち寄りました。
市役所も一階部分は水に浸かり、数日前までは市役所で寝泊りする人もいたようでしたが、我々が朝早く行ったこともあり市庁舎内が薄暗い中、職員の方々が掃除をしている様子でした。
市役所周辺ではかなりガレキが片付けられ、特に車が通行できるよう道路両脇にガレキが寄せ集められており、一週間前に来た時よりはかなり片付けられているとのことでした。初めて現地を見た我々には、まだ生々しい被災地の惨状としか映りませんでしたが、現地では日々確実に復旧活動が進んでいるようです。
市役所から今度は港の方に向かうにつれ、津波被害の大きさに愕然としました。家屋は倒壊し、倒壊した屋根の上に車やガレキがつきささっていたり、また至るところで自動車が横転しひっくり返っていたり、海から流されて来た何艘もの船が陸に打ち上げられ道路を塞いでいたり、道路はガレキの山で溢れ全てが泥と水に浸かったその傷跡を目にし、暫くは目の前の光景を理解するのに言葉を失いました。
港付近から石巻市を一望出来る高台に車で登りその上からも市内全域を見渡しました。正に、海岸付近は甚大な被害で、多くの構造物は津波で流され、辛うじてその建築基礎の跡を確認することでのみ、そこにかつて建物があったことが分かるほどでした。遠くに一見無事な家屋の郡が見えましたがよく見るとそれは流されて来た家屋が別の家屋ぶつかりひしゃげ、何戸もの家屋が押しつぶされるように重なりあった一角でありました。港付近にあったでありましょう、タンクは遠くまで流され、川の間にある比較的大きい中州はほぼ壊滅しておりました。暫く高台から町を見渡しておりましたが、この石巻と同様の被害が4県約500kmもの海岸線に及んでいる状況を考えると本当に恐ろしい気持ちになりました。
高台から今度は避難所として解放されております地元中学に向かいました。この避難所では市の臨時本部も4階に設置され、常時数百人(毎日避難されている人の数が変動するそうですが)の方々がこちらに身を寄せているそうです。ここでは避難されている方とも話をすることが出来ました。避難した時の生々しい状況を聞き、返す言葉もありませんでした。地震発生後、あっという間に津波が押し寄せ、とにかく逃げることで精一杯で、とるものもとらず、まさに着の身着のままの状態で逃げた人が助かり、“いつもの津波警報ならそんなに慌てることはない”とか、大事なものを家にとりに戻ろうとした人たちが、逃げ切れなかった、と話をしてくれました。
避難所の状況や要望としては、避難所の劣悪な環境のことや避難所での他人の集合体での共同生活の難しさやプライバシーのない環境での精神的苦痛、食料はじめ物資は届いているが、毎日同じもので、次第に飽きて食欲がなくなっていくことなど、切々と訴えられました。
この後、石巻市から隣接する女川町に入りましたが、こちらはこの世の光景とは思えない地獄絵図のような惨状です。集落一体が壊滅しており見渡す限りガレキの山となっていました。山の斜面に集落を守る為の落石防止フェンスが30~40mの高さにありますが、その上まで、しかも集落の奥300~400mまで津波が襲いかかり、集落を丸々飲み込みこんだことがうかがえます。想像でしかありませんが、戦争で爆撃を受けたらこの様になるのではないか、いやそれ以上と思わせるほどの惨状でありました。
その次の雄勝地区も、集落ごと壊滅状態で、まだ水が引かないところもあり、救援活動、ガレキ処理という意味では、少し遅れているという印象を受けましたが、そんな中を自衛隊の方たちが、身体半分水につかり、その水中を必死でご遺体捜索をしていました。ご遺体を確認すると、そこからは消防と警察が引き継ぎ、遺体安置所に運ぶ流れになっていますが、ちょうどそういう場面も目撃しました。
被災地では、かなり色々なガレキが混在して匂いが充満しており、医師の方に拠るとかなり衛生状況が悪化してきていて、いつ病気が蔓延してもおかしくない状況だそうです。まだ幸いにも寒いので(勿論、被災者の方々にとっては寒さが厳しいことは本当にお気の毒ですが)、まだ何とかギリギリの衛生状態を保っている状況とのことです。とにかく、この特に劣悪な環境下の避難所におられる方々の一刻の猶予もない、別の避難所や仮設住宅、また別の地域への移動を最優先課題で行わなければなりません(勿論、多くの方々は慣れ親しんだ地を例え一時的とはいえ離れることにかなりの抵抗があることは承知しておりますが)。
残念ながら今回は2日間という限られた日程でしたが、被災地の現場を見て、また被災者の生の声も聞けたことは非常に有意義でした。まさに「百聞は一見に如かず」で、これまで毎日TVで被災地の映像を見てはいましたが、実際被災地に行くと、比較にならないほどの現実を知ることができました。
今回の視察だけで、勿論全てがわかるわけではありませんが、吉良州司も心を新たにして、更に被災地の復旧・復興のために、全力を尽くします。
大分の支援者の皆さまはじめ全国の皆さん、どうか引き続き被災地域に対するご支援とご協力を宜しくお願い申し上げます。