吉良からのメッセージ

2015年6月17日

戦後70年を迎えて その1

【戦後中国大陸からの復員・引揚げにおける中国の温情】

前回のブログの後段において、次のような論を展開しました。
(1)「力」に対して「力」の備えが必要。それが日米同盟の強化。
(2)同時に、ソフトな抑止力たる外交努力も重要。
(3)軍事的な意味の「脅威」は「侵略・攻撃する国が能力と意思を持っている」場合。
(4)中国は既に軍事力の増強・近代化をしており、既に「能力」は充分にある。
(5)過去の歴史上迷惑をかけたという事実もあり、中国が意思を持つと脅威になる。
(6)従って、意思を持たせない外交努力が必要。
(7)その一環として、安倍晋三総理談話において、あらためて中国への謝罪が必要だが、それに加えて過去の歴史的事実に対して「感謝の念」を伝えられないか、という問題意識を持っている。

今日からのメルマガでは、上記(7)の歴史的事実と、その事実に対する「感謝の念」について、お伝えしたいと思います。

まず、歴史的事実として、1945年(昭和20年)8月15日の中国時間正午に重慶から発せられた当時の中国国民政府蒋介石総統によるラジオ演説(いわゆる「以徳報怨演説」(徳を以って怨みに報いよ))をご存知でしょうか。

この演説は、日本がポツダム宣言を受け入れて降伏することを事前に知った蒋介石が『暴を以つて暴に報ゆる勿れ』と「全中国の軍官民諸君」-全世界の平和を愛する諸氏!に訴えたものです。

その要点と要旨は次のようなものです。

■演説の要点

・「旧悪を念(おも)わず」と「人に善を為す」が、わが民族伝統の貴い特性である
・日本人民を敵とせず、横暴非道な武力を用いる軍閥のみを敵とすると一貫して言明してきた
・報復してはならず、まして敵国の無辜の人民に汚辱を加えてはならない
・暴行をもって敵の暴行に答えるなどすれば、仇討ちは仇討ちを呼び、永遠に終わらない
・敵が理性の戦場において征服され、世界平和愛好者になることが世界大戦の最後の目的

■演説の要旨

我々の抗戦は、今日勝利を得た。正義は強権に勝つという事の最後の証明をここに得たのである。
我々に加えられた残虐と凌辱は、筆舌に尽くし難いものであった。しかしこれを人類史上最後の戦争とする事が出来るならば、その残虐と凌辱に対する代償の大小、収穫の遅速等を比較する考えはない。この戦争の終結は、人類の互諒互敬的精神を発揚し、相互信頼の関係を樹立するべきものである。
我々は『旧悪を念わず』及び『人に善を為す』が、我が民族の至高至貴の伝統的徳性であることを知らなくてはならない。我々はこれまで一貫して、敵は日本軍閥であり日本人民を敵とはしないと声明してきた。
我々は、敵国の無辜の人民に汚辱を加えてはならない。彼等がナチス軍閥に愚弄され、駆使された事に対し、むしろ憐憫の意を表し、錯誤と罪悪から自ら抜け出せる様にするのみである。銘記すべき事は、暴行を以って暴行に報い、侮辱を以って彼等の過った優越感に応えようとするならば、憎しみが憎しみに報い合う事となり、争いは永遠に留まる事が無いという事である。
それは、我々の仁義の戦いが目指すところでは、決してないのである。
(「台湾建国応援団」より転載 http://ilha-formosa.org/?p=26397 )

当時二百数十万人の軍民が大陸中国にいたと言われていますが、国家的、集団的な危害を加えられることなく、祖国日本に復員、引揚げ出来たのは、この演説が大きな理由のひとつだと言われています。
中国からの復員・引揚げ時に人員の損喪率が限定的であった事実と理由を下記します。

1)「引揚援護庁」の「援護の記録」によれば、「華北、華中、華南、台湾の日本人二百五十万人軍民の引揚げは、わずか1年数ヶ月をもって極めて円滑に完了し、この地区における人員の損喪率は5%に過ぎなかった」としている
2)以徳報怨演説の精神が中国軍および政府の上層部に全面的に徹底されたこと
3)以徳報怨演説の方針の下、二百数十万人の日本軍捕虜と民間人を中国船で日本に送り返すことを決定し、実行したこと
4)中国船だけでは足りないため、米軍が米軍船舶215隻を貸与したほか、米軍第7艦隊及び在中国米軍の船舶を利用して引揚げを支援したこと
5)日本の「支那派遣軍は、敗戦直後に中国の国家建設に対して全面的に支援することを柱とした「和平直後における対支那処理要綱」を作成、武装解除に応じたほか、日本人技術者を協力させるなどして、国民党政府への支援・協力を鮮明にしたこと

(「引揚援護庁」の「援護の記録」、加藤聖文「大日本帝国の崩壊と残留日本人引揚げ問題」、加藤聖文「海外引揚問題と日本人援護問題」小林英夫ほか編「「戦後賠償請求権放棄」アジアにおける日本人団体:引揚から企業進出まで」、加藤聖文「大日本帝国崩壊 東アジアの1945年」から)

シベリア抑留(57万5000人が抑留され、約1割の方々が帰還できなかった)の卑劣さ、悲惨さについては断固許すことができませんが、当時のソ連よりももっと迷惑をかけた当時の中国国民政府はこのような寛大な対応をしてくれたのです。

シベリア抑留との対比のみならず、当時同盟国であったドイツの戦後の復員・引揚げ途上における死者が300万人といわれていますので、当時の中国の温情が日本の復員・引揚げと戦後復興にどれだけ貢献したか、おわかり戴けると思います。

少し長くなりましたので、シリーズで続きを発信致します。

吉良州司