吉良からのメッセージ

2025年2月7日

22年前に執筆した「デフレに思う」 その2

予告通り、22年前の「吉良州司と元気な大分」のホームページに掲載した「デフレに思う」の後半部分(その2)を掲載します。

「デフレに思う」後半

5.地価下落は、長期的視点に立った時、そんなに悪いことか?「今、持たざる者の視点」も必要では?

現在のデフレ退治論、インフレ期待論は既に土地を持っているもの、既に資産を持っているものからだけ見た「持てる者の視点」だと言えます。
この先、それこそ世界中を巻き込んだ大競争時代の競争に晒されるこれからの若者が、新規に起業しようとする時、また、所属する企業の国際競争力をつけようとする時、下落したと言われるが、今でも世界水準からみてバカ高い土地が、その足枷になることは間違いありません。
それでなくても、年金、医療、社会保障費等の公的負担、増加の一途を辿る国債の償還で増加するであろう租税負担などで、働く意欲を削がれかねない時代です。自分達の努力ではどうすることもできない土地の高さのせいで国際競争力がなくなるというのでは、「起業意欲」「勤労意欲」を持ち続けられるでしょうか?
異常中の異常であったバブル期の値段が未だに頭に残っているが故に「下落」と感じる人が多いようですが、他の先進国と比べると今でも何倍も高いと言われる土地、家屋、マンションを当たり前と思う感覚から脱する必要があるのではないでしょうか。
米国と比較すると、多くの人は「米国は土地が広いから、日本とは事情が違う」と言いますが、通勤圏という視点から、ニューヨーク近郊と首都圏(ニューヨーク州南部やニュージャージー州東部に当たる)を比べると土地の広さは左程変わりません。市街化調整区域や諸々の規制撤廃によりいくらでも安く供給できる余地はあるはずです。

6.「成功体験が活きない」

最近は、企業の有り方、企業統治を論ずる時、「もはや過去の成功体験は参考にならない、否、むしろ弊害ですらある」と言われますが、何故、これがマクロ経済になると「高度成長期時代」「インフレ時代」の成功体験が忘れられないのか疑問に思います。結局、企業も経済界も個人も「右肩上がりを再現しろ!」という大合唱ばかりです。上記1-4までの現象がどのくらい長く続くのか分かりませんが、当分の間はその傾向(調整過程)が続くのではないかと思われます。

7.デフレ時期に、土地を含む諸物価をとことん安く!

国東半島にある大分空港と大分市まで高速道路が開通して便利にはなりましたが、空港から大分市まで片道合計1600円の高速料金が取られる為、余程、時間がない人を除くと、みなさん一般道を利用しています。高速道路で60分、一般道で70-80分ですから、時間に余裕のある人はわざわざ往復3200円も払いません。友人に聞いても、「領収書がもらえる」即ち「会社のお金」の場合だけ高速道を利用するものの個人ではもったいなくて、絶対に利用しない ということを聞きました。
これでは一体、何の為に建設したのか分からなくなってきます。それ程、日本の土地と土地に影響される諸物価はバカ高く、本来、みんなが気軽に利用できる社会基盤として、無料か低料金で提供すべき施設が、高い為に毛嫌いされる施設になってしまっています。

消費者の視点に立った場合、本来なら公共料金含め諸物価をもっと下げる努力をすべきなのに、今でもそれを上げることに血相を変えています。
バブルの狂宴の責任を、自己責任として、それを謳歌した企業、個人に取らせようとせず、「人は生き物」「経済は生き物」と下手な理解を示して結局甘やかしているだけです。
その甘やかしの結果が、「土地の高値維持」や「国債発行による子孫への更なる借金のつけ回し」賛成大合唱となっています。子供や孫のこと、将来に亘る日本の国力を考えると、土地を含む物価を更に安くし、将来公的負担が増えても、また、収入が右肩上がりにならなかったとしても豊かな生活ができるようにすべきだし、これ以上の負担をかけない為にも借金を増やさない努力をすべきだと思います。

8.ワークシェアリングの導入により、雇用確保に全力を!

宮崎駿さんの「隣のトトロ」に出てくる田園風景と人情、倉本聰さんの「北の国から」に出てくる自然に調和した生き方と人情、これらは昭和中期の古きよき時代の風景と人情です。
まだ、まだみんな貧しかった時代ですが、夢と希望に溢れ、みんなが助け合って生きていました。父親は働きっぱなしで家にいない家庭も多かったとは思いますが、それでも生き生きとした父親の背中を見て子供達は育っていたと思います。親の苦労を目の当たりにした時代だと思います。
ところが、バブル時代の子供達が見たものは極端に言えば「苦労せずに儲けることを考える大人達」「バブル崩壊後は、その思惑がはずれて、うなだれる大人達」ではなかったのでしょうか。
現在はリストラの時代であり、組織に所属しているだけで、組織の目的達成に貢献していない人が、必死に努力して組織に貢献している人と同じ水準の賃金をもらえる時代は終わったと思います。成果主義の導入は自然の流れだと思います。

しかし、一方ではこの危機的状況を乗り切る為、官民挙げて雇用確保に注力すべきだと思います。そして、ワークシェアリングの導入により、過度のリストラから社員を守る必要があると思います。時限立法的な、権利としては限定的な身分でもよいからワークシェアリングの手法を導入し、より多くの人が職に就ける道を模索すべきだと思います。但し、それにより、日本人がこれまであまり大事にしてこなかった貴重な「時間」を手に入れることが出来ます。父親も家庭に戻り、子供としっかり向き合う時間、余裕ができてきます。家族との語らいや団欒を取り戻すことができます。子供を山や川、公園に連れていくのに、そんなにお金はかかりません。夕食時に家族と語らうのにお金はかかりません。

9.終わりに  ――お金が全てという価値観を変えるチャンス――

21世紀の日本は、一方では、国力を維持、増強する為の教育、研究開発努力や企業・個人の活力を引き出す為の税制改革、行財政改革などを着実に実行するという現実対応が必要です。その一方では、20世紀末にみんなが陥ってしまった「お金が全て」という価値観から抜け出し、「ほどほどのお金で楽しく豊かに暮らせる知恵」「足ることを知る知恵」を磨きながら、「お金がなくとも得られる幸せ」、「こころの豊かさ」を追求するという精神的革命、価値観革命が必要なのではないでしょうか。その意味において、現在進行中のデフレは神様が彷徨える日本民族に与えてくれた最大のチャンスではないかと思えてなりません。

吉良州司