吉良州司の基本理念と基本政策
- 「生活者主権の政治」「将来世代優先の政治」「国民一人ひとりの幸せ感を追求する政治」
1)自民党の「業界優先政治」から、「生活者主権政治」へと大転換。物価高対策にも資する 2)子どもへの投資、大胆な子育て家計支援。政策判断は常に将来世代のためになるかを基準 3)自民党の表面的「経済成長至上主義」から「国民一人ひとりの幸せ感を追求する政治」へ 人口減少が進む中、マクロ経済数字拡大には限界があり、国民、将来世代一人ひとりの豊かさ、幸せ感を追求 - 国民の命と健康と生活を最重視する政治
パンデミック時、災害時など危機に強い医療制度構築、緊急時に困窮する国民と事業者への支援の強化・迅速化 - 幼児教育、学校教育、社会人の学び直しなど、生涯を通した教育の充実と人財育成
- 地方の元気で、真に豊かな日本を創る
地域・地方が主役の国創り。
国の権限、財源、一部課税権、生活分野の法律制定権を地域・地方に移譲 - 5つの安全保障の確立(国防、エネルギー安全保障、食料安全保障、命と健康、防災)
- 国際協調主義と独立自尊主義を共生させる現実的外交
- 生活者目線の物価高対策。家計所得を最大化し、個人消費を増大させての成長経済
金利や量的緩和の適正化など生活者優先の経済・金融政策。賃金上昇と物価高対策で可処分所得拡大 - ものづくり重視、資源小国日本の厳しさを直視した現実的産業政策とエネルギー政策
- 科学技術立国(基礎研究投資、宇宙・環境・生命科学分野等の振興、核融合発電推進)
科学技術力で新規分野開拓と既存産業の振興と国際競争力向上。ノーベル賞を狙える研究者育成 - 誰もが、何度失敗しても何度でもやり直せる社会の実現
厚いセーフティーネット構築を含む社会保障の充実。特に失業時の生活保障と学び直し支援の強化
吉良州司が今思うこと
(2025年8月20日執筆)
吉良州司のウェブサイトにお越しいただきありがとうございます。
私は、ここしばらく、日本内外のあまりにも多くの環境変化に直面する中で、表面的な出来事に対する表面的な対処を考えるのではなく、環境変化の背後にある物事の根本・本質の変容の原因はどこにあるのか、それに対処するにはどうすればいいのか、などなどあれやこれや考えていました。今まだ充分に頭を整理できているわけではありませんが、今考えていることのほんの一端をお伝えしたいと思います。
今を生きる私たちは、これまで当たり前と思ってきた正義や世界の既存秩序が音を立てて崩れていく様を目の当たりにしています。ウクライナ戦争、ガザ・イスラエル戦争(イスラエルによるガザ地区パレスチナ人の一方的な殲滅戦争)、そして何よりも世界の政治・経済・技術において圧倒的な優位性を持つ米国のおぞましいばかりの醜い変貌、その米国に翻弄されながらも尚米国にすがり続ける世界各国の痛ましい姿がそれらを象徴しています。
既存秩序崩壊の最大の原因の第一は国内的・国際的分業を前提としてとことん効率を追求してきた現代資本主義が限界を迎えつつあるからだと思います。低所得層の憤懣はもちろんのこと、これまで豊かさを享受しながら資本主義を支えてきた中間層までもが、頑張っても報われず、一部の富裕層に富が集中していく中で、自分たちが下層へと転落しつつあることを実感しながら、溜まりに溜まった不安・不満が一驚に噴き出していることが背景にあると思います。
そして、その不安や不満が選挙時の投票行動に直結する結果、外国人など誰かを敵対視する分断志向の政党や、財源負担を無視して安易なばら撒きを訴えるポピュリズム政党を躍進させてしまうという民主主義の機能不全をもたらしていることが第二の原因だと思います。
これらの傾向は米国ではトランプ大統領を誕生させ、欧州では近年、極右政党を台頭・大躍進させ、先の参議院選挙において我が国にも極右政党やポピュリズム政党を大躍進させる結果をもたらしました。
私は、日本社会が社会主義への強い憧れを抱いていた当時(1970年頃まではそうだったと言えると思います。しかし、私が中学3年時(1972年)の連合赤軍あさま山荘事件でその傾向は弱まったと感じています)、政治思想的にはおませであった私は、共産主義、社会主義で平等を追求するあまり、自由が奪われることへの強い抵抗感から、というよりも、何の制約も受けないとことん自由な生き方がしたいと思っていましたから、自由主義、自由主義経済、市場原理経済が社会是、国是だと思って生きてきました。必然的に衆議院議員になってからもそのような思いを持ちながら議員活動を続けてきました。しかし、今、自由主義、市場原理経済、というより本来の意味である「資本」を社会経済活動の中心に置く「資本主義経済」の限界を感じるようになってきています。
私は社会や国の発展をよく、米国の心理学者アブラハム・マズローの「人間の欲求5段階説」に例えます。5つの欲求段階は次のようなものです。
1. 生理的欲求(食欲、睡眠欲など生命維持に必要な最も基本的な欲求)、2. 安全の欲求(危険や不安から解放され、安全・安心な状態を求める欲求)、3. 社会的欲求(家族や友人、恋人など、他者との繋がりを求め、愛情や所属感を抱きたいという欲求)、4. 承認欲求(他者から尊敬されたい、認められたい、評価されたいという欲求)、5. 自己実現の欲求(自分の能力や可能性を最大限に発揮し、自己成長を追求したいという欲求)
個人を国に当てはめてみると、安全欲求や社会的欲求の一部のような動物的欲求段階までは社会主義、共産主義でも充たせますが、衣食住が充たされた後の、より人間的な生き方を求める段階になると、自由な社会活動、経済活動が許されない社会主義では承認欲求や自己実現の段階には進めない、やはり自由主義でなければ、個人も社会も自己肯定感を伴う発展はできないと思っていました。
しかし、今、世界を見渡すと、特に比較的人口の多い先進民主主義国の苦悩や我が国の苦悩を目の当たりにすると、資本主義も一部の富裕層を除く多くの国民を自己肯定感や自己実現を求める第5段階に進ませることには限界があると感じるようになってきています。将来不安と現在の不満が高じれば、第4段階に進むことも危うくなっているように感じています。
その理由は、資本主義の重要なプレイヤーである企業の利益がIT化や機械化による効率追求と国際分業を前提としたグローバリゼションの過程で、必ずしも一般生活者の生活を豊かにしなくなっていると思われるからです。企業の利益は社会に還元・再配分されることなく、更なる企業利益の拡大へと自己増殖するようになってきており、企業利益と生活者の利益が一致しない、否、相反するようになってきているからだと思うからです。
どの先進諸国も経済成長期を経験しており、その時期は企業の利益が国民生活の向上を後押しするという国家の成功体験として記憶されています。それゆえ、国家の経済政策の中心は企業利益の拡大を後押しすることになってきました。我が国では、政権党である自民党と同業企業の集まりである業界とが一心同体となっており、自民党政権はどうしても「業界優先政治」に陥ってしまいます。上述したように、高度成長やその後の安定成長期の成功体験がありますので、自民党政権が業界優先政治になることはある意味必然なのかもしれません。
しかし、政治は国民生活を豊かにする使命がありますので、過去の成功体験とは決別し、企業の業績拡大が必ずしも国民生活の向上に直結しないことを充分に認識し、「企業優先」「業界優先」ではなく、「生活者優先の政治」に大転換しなければならないと強く思います。
本ウェブサイトは、ここに至る具体的な方策や論考、その時々のメッセージなど、膨大なテキスト、プレゼンテーション資料、動画類が収納されています。吉良州司の集大成といえるものです。
(2025.8.20)