主張・政策論

2009年1月23日

イラクへの自衛隊派遣について

現在の日本の最大の関心事であるイラクへの自衛隊派遣につき、吉良州司の見解を申し述べたいと思います。

まずは、11月29日に外務省の奥参事官(大使)と井ノ上三等書記官(一等書記官)がイラクにおいて殉職されたことに対し、深く哀悼の意を捧げます。両氏は現在もまだ戦争が継続されているにも関らず、今年の5月に早々と「戦争終結」宣言をしてしまった米国政府の情勢判断ミスと小泉政権のブッシュ政権に対する盲目的追随外交の犠牲者であると言っても過言ではありません。

1) 現在の執拗な攻撃・抵抗を見るにつけ、旧フセイン政権は米英軍の初期侵攻には正面から対抗せず、当初からゲリラ戦、テロ戦に持ち込もうとしていた可能性が高い。つまり、ベトナム戦争やソ連のアフガン侵攻の教訓として大国の圧倒的軍事力に対抗する一番効果的な対抗手段はゲリラ戦であることを彼らは知り抜いており、それを実践しているのが現在の姿だと思われます。

2) 従って、現在は「戦後復興」「復興支援」の状況ではなく「戦争は終結していない」と判断すべきです。

3) そして、もし「戦争は終結していない」という判断が日本政府にあったならば、戦争への関与を否定する立場から、外務省の職員を戦争継続中の国での「対応を協議する会議」に参加させるようなこともなかったはずです。

「判断ミスがなければ、二人の貴重な命が奪われることはなかった」と思うにつけ、激しい憤りと深い悲しみを抑えることができません。

そして、この「戦争継続中」の国に日本国民である自衛隊員を派遣してもいいのか と疑問に思うのです。そもそも米英軍の対イラク戦争は国連決議に基づくものでもなく、また、結果論にもなりますが、大量破壊兵器が確認されていないことからしても、大義名分がない。そして、戦争が終結していない以上、「復興支援」ではなく、「戦争支援」になってしまいます。この大義名分のない戦争支援に自衛隊員を赴かせるわけには断固反対というのが吉良州司の基本的な見解です。

では、吉良州司が主張する自衛隊派遣の条件は何か?その要点は下記の通りです。

1) 戦争が終結している状態であると国連が判断すること。日本政府としても他国の情報、判断に過度に依存することなく、独自の調査と判断材料によって「戦争終結」の判断をすること。

2) 戦争の終結を前提として、国連による「復興支援」の体制ができること(盲目的ブッシュ政権への追随をやめ、同政権を国際協調の枠組みに組み入れる努力を日本政府が行い、国連主導による復興支援を追及していく)

3) 憲法上、「日本の国と日本人の命を守る」最も大切な存在として自衛隊を明確に認知すること(「新憲法制定や憲法改正には時間がかかる為、現時点では少なくとも政府または国会として、左記の方針を明確に宣言すること)*憲法上、自衛隊を日陰者にしておいたまま、都合のいい時だけ、やれ「国際協力の為」とか「国益の為」を理由として「死」もありうる危険な地に赴かせるのは、自衛隊員やその家族にとって納得いくはずがない。

4) これだけ危険な状況の中での派遣の前提として、机上の空論の域を出ない「武器使用基準」にこだわらず、自衛隊員の安全確保については現場の指揮官に全権を任せること。

私がニューヨーク駐在中にペルー日本大使公邸人質事件が起こり、無二の親友とお世話になっていた先輩が人質になってしまったことに触れたニューヨーク便りの中で次のように書いています。

『自分が今住んでいる米国の政府は「テロには絶対屈してはならない。ゲリラが報われてはならない」と一切の譲歩をするなと言っており強攻策にも備えているようですが、「余計なこと言うな!するな!アメリカは引っ込んでおれ!」と叫ばずにはおれません。北風と太陽の話ではありませんが、米国の「自分の価値観が世界の価値観であるべき」といった強気一辺倒の考え方、やり方がイスラム世界や中南米のゲリラをして米国を敵視し、テロを頻発させる原因かもしれません』と。

2001年の9月11日の同時多発テロは米国に脅威を与え、テロとの全面戦争に走らせる原因となりましたが、今回のイラク戦争は「文明の衝突」の感もあります。罪もない人々を平気で死に追いやる無差別テロに屈してはならないということに対して異を唱えるつもりはありませんが、パレスチナを含むイスラム世界での貧困の撲滅努力と、イスラム文明への米国の真摯な理解と協力を前面に打ち出さない限り、テロや文明の衝突は終焉しないと思えてなりません。

国会議員になった以上、見解を述べただけで終わらせるわけにはいきませんので、上述した見解を他の国会議員にも共有してもらう努力を行い、国会内及び政府に訴える一翼を担ってまいります。

 

-吉良州司-

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