主張・政策論

2019年11月27日

2019年11月27日 文部科学委員会 議事録

(注)本議事録は、2019年11月27日文部科学委員会の議事録を、一部は割愛し(文中に記載)、発言の中で重複した表現がある場合は簡潔にする、「話ことば」に過ぎる表現を読みやすい表現に変える、など若干の修正をしていますが、内容的には全く変えてはおりません。

○橘委員長
次に、吉良州司君。

○吉良委員
国民民主党の吉良州司です。きょうは、民間英語試験活用について、高大接続の一環として質問させてもらいます。
まず、大臣の延期という大英断に対して拍手を送りますが、今日は延期から中止への議論を行いたいと思っています。これまでの同僚議員が指摘した問題点は全て的確な指摘だと思います。ただ、私は少し視点を変えて、そもそも論を展開して中止お願いしたいと思います。改めて、なぜ民間試験を導入しようとしているのか、その究極の目的についてお伺いします。

○萩生田国務大臣
グローバル化が急速に進展する中、英語によるコミュニケーション能力の向上は喫緊の課題であり、現行の高等学校学習指導要領においても、読む、書く、話す、聞く、の四技能を総合的に育成する指導を充実することとされています。しかしながら、我が国の高校三年生の英語力については、特に、話す、書くに課題があることが明らかとなっており、グローバル化時代を担う人材育成のため、大学入試においては英語四技能を評価することが重要であると考えてまいりました。一方で、約五十万人規模で同一日程一斉実施型試験による共通テストとしての英語の話す、書く能力を含めた試験を実施することは極めて困難であることから、既に高等学校における英語教育や一部の大学入試においても活用され、一定の評価が定着している民間の英語資格検定試験の大学入試における活用を推進することによって、大学入試において、高等学校段階までに育成した四技能の英語力を適切に評価できることとなり、また、ひいては、高等学校における英語四技能を総合的かつバランスよく育成する授業改善が、一層促進されることにもつながることを目指したところです。なお、今後、英語四技能について大学入試でどのように評価をしていくのかといった点については、私のもとに検討会議を設けて、一年を目途に結論を出す予定としております。

○吉良委員
グローバリゼーションに対応する人材の育成ということですね。その点について、先日の文科委員会において、同僚議員から次のような指摘がありました。「4技能、4技能というが、そもそも、どんな目的で英語4技能を習得する必要があるのか。私たち日本人にとって英語というのはセカンドランゲージだと思うが、これを全て、ネーティブスピーカーみたいに話せるところまで本当に私たちは求められているのか。大学へ進んでから論文を書くために英語を習得しなきゃいけない人、会社の営業で海外を飛び回って日本の製品を売るために英語を覚える人、それぞれ全然目的が違うと思う」との指摘でした。この質問に対する大臣の答弁で私が注目したのは、「グローバル化が急速に進展する社会で活躍できる人材に求められている資質としては、豊かな語学力やコミュニケーション能力、主体性、積極性、異文化理解の精神等を有していることがあると考えています。さらに、一部の業種や職種の人だけでなく、誰しも生涯にわたりさまざまな場面で必要とされると考えているコミュニケーション能力は、英語の4技能を使って、しっかりと図って、育てていくことが課題だというふうに思っています」との答弁です。「活躍できる人材」「コミュニケーション能力、主体性、積極性、異文化理解の精神等を有している」とも答弁しています。同僚議員が指摘したように、本当にいろんな人たちがいて、ネーティブのような英語を使いこなす人、そこまではいかなくても、例えばラグビーワールドカップがあったときに外国人を迎え入れる人たち、また、キャビンアテンダント、ツアーのコンダクター、ホテルのコンシェルジュなどは、全てオールラウンドではないけれども、ある特定の分野における会話については卓越した英語を使いこなせる、いろんな人たちがいると思います。

<文部科学省職員の中で日常的に英語を使う人たちが、どれぐらいいるのかを質問し、政府参考人から答弁があるも割愛>

○吉良委員
今の答弁でも、何とか国際課といった国際とついた職場の人たちは日常的に英語を使うけれども、それ以外の人たちについては、国際会議などたまに使うだけ。世のエリートの集まりと言われる文部科学省の中でも、日常的に英語を使う人たち極めて限られている。もちろん、文部科学省の人たちは中学、高校、大学等、それなりの英語基礎能力は持っていますので、いざそういう場面になれば、かつてを思い出して対応することができる人たちはいると思います。しかし、文科省の職員でも、国際課などに配属されなければ、海外の文献を英語で読んだりすることはあるにしても、英会話をする人は極めて限られていると思います。

一般論として、同学年の同級生が100人いるとして、日常的に仕事や生活で英語を使う人は何人くらいいると分析していますか。

○串田政府参考人
お答えいたします。
御指摘の人数、100人の中でのどのくらいの割合かといったようなことを正確にお答えすることは難しいと思いますけれども、あくまで参考といたしまして数字を何点か紹介いたしますと、例えば外務省の調査におきますれば、平成30年10月時点におきまして、海外在留邦人が130万人いるうち、アメリカ、英国、カナダ、オーストラリア、シンガポールなど、主要な英語使用国の在留者は約75万人となっておりますし、海外との交流ということであれば、平成30年におきましては、外国人の入国者は約3010万人で過去最高、日本から出国する方は1895万人ということで、これも過去最高となっております。また、中小企業の海外の法人を設けている企業さんは6500社となっておりまして、さまざまな場面で英語を使用する機会がふえているのではないかと思っております。

○吉良委員
地域差を殊さら強調するつもりはありませんが、東京などには大手企業があり、国際的なビジネスをやっている企業がたくさんある、そこに携わっている人がたくさんいる。最近はグローバル化の中で、中小企業でも海外に打って出る人たちはいます。ただ、私の感覚では、日常的に英語で仕事や生活をしている人は、同級生100人中5人いればいい方だと思っています。今後、それが100人中50人になっていとは思いません。今、海外に130万人いて、米国等英語圏は75万人いるという話でした。私に言わせると、ビジネスや生活をする人が使うのは「打って出る英語」です。一方、ラグビーワールドカップなどのイベントがあって海外から来る人たちを相手に、数カ月に一度使う、一年に数回使う人たちは大勢いる。私に言わせると、それは「迎え入れる英語」なんです。「打って出る英語」というのは、ネーティブスピーカーときちんとやりとりできる人たちです。一方、「迎え入れる英語」を使う人たちは、ぺらぺらはしゃべれないが、お互いが第二外国語としてやりとりをできる、何とか意思を通じさせられる、この日本においては、圧倒的に、「迎え入れる英語」を使うという人たちが多いんじゃないですか。その問題意識について、萩生田大臣、いかがですか。

○萩生田国務大臣
非常に冷静な分析を得た御意見だと思います。分けて言うならば、「打って出る英語」と「迎え入れる英語」、まさしくそうだと思うんです。
ただ、先生、先ほど私、答弁の中で、なぜ受験にこの4技能を入れたかといったら、まず一つは、やはり、高校の学習指導要領でこれをやろうということになったわけですから、ちゃんとやりましたね、終わっていますねというのを、次に進学する段階でチェックするという一つの意味がまずあると思います。
その上で、これからのグローバル化社会を考えたときに、この4技能、持っておいた方がいいよねと。確かに、職業としてこれをフルに使う職業につくかどうかは、まだ大学生は未知ですから、中にはそんなに必要ない人もきっといると思います。あるいは、学部によってはだんだんだんだん接触する機会が減っていくこともあると思います。けれども、私自身の反省もかねて、私も、学生時代は非常に英語が好きでしたけれども、全然使う機会がなくなって、全くと言っていいほどしゃべれないぐらい恥ずかしい感じなんですけれども、大臣になったらやはりこれはすごく必要ですし、官房副長官のときには総理について国際会議にずっと出ていましたので、まさか自分がオバマやトランプと話をすると思ったこともありませんでしたので、何が起こるかわかりませんから、そういう可能性を広げていく意味では、迎え入れる英語でとどまらない、そういう、言うならばのり代というのはつくっておいた方がいかがかなというふうに思っています。
加えて、そういう人たちが増えることによってやはり日本の構造も変わってくるんじゃないかと思いますので、将来の大きな絵を描いたときに、必要がないから勉強しないんじゃなくて、そういう人たちが増えることによって日本の果たす役割というのが国際社会の中でまた一つ大きくなるのではないかという期待も込めて、ぜひ進めていきたいと思っています。

○吉良委員
私も、大臣の答弁の後段の問題意識については全く異論ありません。おっしゃったように、指導要領でやると決めて、そのある成果をはかること自体には異論はありません。しかし、これまで議論があったように、それを民間試験ではかろうとすると、いろいろな問題があって、それが正当なはかり方なんですか疑問なんです。
それと、大臣発言の中で、単に英語のコミュニケーション能力だけではなくて、異文化の理解、主体性、積極性というようなことも大事だとおっしゃいました。英語で会話をするときに最も大事なことは何でしょうか。

○萩生田国務大臣
すごく難しい質問だと思いますけれども、学習要領の中で改めて明示しましたのは、コミュニケーションの目的や場面、状況に応じて、主体的に自分の考えや気持ちを伝え合おうとすることが重要であると考えています。文法や単語の正確性ばかりを過度に気にするのではなく、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成することを初等中等教育段階では推進しております。

○吉良委員
その答弁も理解はします。私、実はニューヨークに5年半駐在していましたが、本当に英語が下手で、すごく苦労した人間なんです。さっき、迎え入れる英語と打って出る英語というのを自分で言ったのは、自分の経験からなんです。アメリカ人と話す、こんな苦労することはない。けれども、ブラジル人と英語でしゃべる、ペルー人と第二外国語同士で英語をしゃべる、その時はものすごくスムーズにしゃべれる。俺の方が英語うまいんじゃないかと錯覚に陥るぐらいです。その場合、アメリカ人としゃべるときに比べたら、使う単語は中学英語ですよ。でも、コミュニケーションはできるんですね。私は、話す内容が全てだと思っています。表面的にぺらぺらしゃべっても、中身がなければ、少なくとも打って出る英語についてはまるっきり仕事にならない。
一つ例を出します。古い時代の話で恐縮ですが、30数年前に、私が勤めていた日商岩井の人事部の採用の話です。英語がぺらぺらで、元々飛行機のボーイングの担当をしていて、シアトルやワシントンに駐在し、会社役員にもなった人事部の先輩がアメリカに学生の採用のために行きました。もう30数年前ですが、これからはグローバル化だとの認識で、アメリカの数カ所で留学中の学生を採用しようとしました。実際アメリカに渡って、大学時代から英語になれ親しみ、異文化に親しみ、そういうチャレンジある学生たちを採用しようじゃないかと、100名弱の留学生たちと面接しました。結果はどうだかわかりますか。ただの一人も採用しませんでした。
我々は、日本で日本の大学生と面接し続けていましたから、日本の大学生のレベルはわかっている。そんな中、ぜひ入社してほしいと思う日本の学生に比べると、アメリカに留学していた学生たちとは全然物足りなかった。アメリカに留学しているんだから英語はしゃべりますよ。しかし、悪いけれども、中身がない。こんな言葉を使っていいかわかりませんが、人間力について、とても日本で採用したいと思う学生に及ばなかった。採用するときには、人間力あふれる人、中身を持っている人を採用して、採用してからその人たちを鍛えて、現場に放り込めばいやが応でも英語をやらざるを得ない。
この点については、幾つもの学者の人たちが同じようなことを言っています。鳥飼玖美子さんという立教大学教授、NHK英会話の講師をやっている非常に有名な、通訳としても、英語教育にしても第一人者の方で、皆さん見たことある方もいらっしゃると思います。その方はこういうふうにおっしゃっています。「大学入試では、読む力を通して英語の基礎力をはかるべきである、読むという基礎力を入試で判定し、入学後に各大学が総合的な英語力を育成することは可能。コミュニケーション重視の英語改革のため、現在の若者は以前よりももっと読めなくなり、したがって書けないし話せない。読む力が基礎となり、書くようになり、聞くから話すへとつながる」と。帰国子女とか、一部の、際立って語学能力のすぐれた人を除くと、実は、中身を持っている、つまり読める、書ける、こういう人が結局は話せる、そういう分析結果もあります。群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部の神谷教授の研究は、センター試験と4技能民間試験との全般的な英語の力の相関性について調査研究しています。
具体的には、センター試験の英語の2技能試験と(一般向けのTOEFLは余りにも難し過ぎて差がつかないということもあり)中学生、高校生用に新たにつくったTOEFLジュニアコンプリヘンシブという4技能をはかる試験との相関関係を調べた。結果、どうなったか。極めて高い相関性がある。つまり、読む力がある人は書く力も聞く力もあるし、最終的には話す力もある。81%相当が、センター試験でもって、その人が持つ4技能の力をはかることができるという結果が出ているんです。その先生の調査研究の結論からいえば、4技能試験を行わなくても、センター試験のリーディング技能のみの試験で十分に受験生の英語の力を評価できる、これが調査研究の結果なんです。これだけの問題点が指摘されている民間試験をあえてやる、その意味がどこにあるのかと思います。今までのセンター試験でも、十分に4技能、話す力も含めてその能力をはかれるのではないかと思います。東京大学総長は「東京大学は、在学中に学生の力をしっかり伸ばせるように支援を強化していく」と発言しています。つまり、センター試験等である程度の英語能力ははかれるし、東京大学含めて、「打って出る英語」を話せる人、可能性ある人たちを入学させ、入学後にそういう活躍ができるように鍛えよう、という大学がある。そういう大学は二次試験を課している。二次試験の中で十分その技能、能力をはかっている。民間検定試験対策で、2回の民間本番試験のために5回も10回も練習受験するなど、そんな暇があったら、中身を培え、人間力を高めよ、それこそがグローバル時代におけるグローバル人材の育成ではないでしょうか。
先日同僚議員から、グローバル人材って何ですかと萩生田大臣に質問しました。私は商社を受けたとき、「吉良君にとって国際人とは何ですか」と聞かれ、私は何と答えたか。「おのれが徹底的な日本人であることです」「自分を語り、日本を語れる人間こそが国際人です」と答えました。そのときの面接官は、にこっこりと笑って、いい答えだなと言わんばかりの顔をして、内定となりました。私はそれを今も信じています。今私が提案したことも含めて発言した内容について、大臣のコメントをお聞きしたいと思います。

○萩生田国務大臣
貴重な御意見だと思います。試験を延期は決定しましたが、繰り返し申し上げているように、あらかじめ、民間試験を採用するんだとか、民間試験は採用しないんだとか、あるいはこの形の試験を何が何でも続けるんだということを予断を持って決めているわけではございませんので、せっかく少し時間的な余裕ができましたから、しっかり幅広に考えて、この4技能が大切だという、積み上げてきた議論は多分方向は間違っていないんだと思います。じゃ、これを、今先生のような提案も含めて、どう伸ばしていくか、あるいはそこは複線化をつくっていく方がいいのかどうなのか、せっかく時間をいただきましたので、検証はしっかりやって、そしてその後の検討については少し幅の広い議論をしてみたいな、そんなふうに思っております。

○吉良委員
私がこういう問題提起をする背景のひとつを説明します。いろいろな文献から参考になることです。個人差はありますが、8歳から10歳ぐらい以前の子供たちは、赤ちゃんが典型ですが、言葉を音で覚えます。だから、アメリカの子供たちも、文字を全然知らないのにぺらぺらしゃべる。ところが、八歳、十歳を過ぎてくると、そこからは学習になります。これは、算数、理科、社会を覚えるのと同じ能力が要求されるようになるんです。
私の米国駐在中に子供たちが保育園、幼稚園、小学校、中学、高校に行きました。長女は、10歳で行きましたので、10歳までに日本語ができ上がっていて、もう音で覚えるという時代を過ぎてアメリカに行きました。バイリンガルには育ちましたが、頭の中で素早く日本語からぱっと英語に切りかえて考えることができるんです。次女はもっと、7、8歳ぐらいのときに行きましたので、次女は英語で考えることができるんです。このことについては、いずれ小学校の英語教育のところであらためて話をさせてもらいたいと思っていますが、ある年齢以降になると、英語についても、単語を覚えるとか、中身を覚えなければしゃべれない。その単語を覚えられるか、内容を覚えられるかというのは学習能力なんです。ですから、センター試験でも、リーディングがどこまでできるかという能力をはかるということと、一般の学習能力、その中の一つである英語能力というのは十分はかれるんです。
アメリカで英語がぺらぺらしゃべれる学生でも全然魅力を感じなかった。50万人受けるスピーキングテストで、その学生の人間力とか、どれだけ話す中身を持っているか、などをはかれるんですか。はかれないですよね。それがどうしても必要だというのなら、二次試験で、大学教授なり大学院生がその大学に入りたいという学生相手に目を見ながら面接して、表面的な英語ではなく、どこまで話す内容を持っているのかを確認すればいいんです。一流の欧米人、外国人と渡り合うときに、ぺらぺらしゃべっても、中身がなかったら相手にされないんです。そうであるならば、無理やり学習指導要領があるからといって民間試験に行くのではなくて、第一段階では通常のマークシートでやって、スピーキング能力をどうしても確認したい大学は二次試験でやればいいと思っています。

<二次試験の英語の配点が高い大学と、英語の配点が通常(高くない)大学学部に比べて英語力はどうなのか質問。政府参考人からは、英語配点が高い大学の英語力がたかいとは一概に言えないとの答弁あり。割愛>

○吉良委員
一概には言えないと。それは言えないですよね。だけれども、共通認識として、例えば上智大学に行っている人は英語ができる。国際基督教大学に行っている人も英語能力が高い。そういうのは共通認識ですよね。実際、例外はあるにしても、英語能力が高い人は極めて多い。有力大学は、人間力だとか中身があり、打って出る英語の潜在能力がある学生を入学させ、「打って出る英語が使える人材」として送り出したい、と考えている。また、英語の配点を高くしている大学は、元々、打って出る英語を使えるような学生を求めています、というメッセージを出している。この先グローバル化が進んで、同級生100人中、今の5人が10人になる、15人になる、20になるかもしれない。しかし、50人にはならない。打って出る英語の潜在的使い手は、共通テストの英語部門としての民間試験なんかやらなくても、英語の配点を高くする、とか、二次試験でもってその総合力をはかれる。私は、迎え撃つ英語がどうでもいいとは思っていません。英語を全然使う気がない人、使いたいなと思っても使う機会がない人もいっぱいいます。しかし、ラグビーワールドカップの時のように、初めて外人としゃべったという人たちもたくさんいるでしょう。中学英語のレベルで十分なので、「迎え入れる英語」を100人中100人が使えるようにする、まずはそれで十分だと思います。ナショナルミニマムとしては。あとは、打って出る英語を使える人材を育てたいというところに任せていく。これで十分だと思います。
打って出る英語を使う会社や組織はかなり限られています。そういうところに入ることができる人たちは、有力大学や英語配点の高い大学の出身者が多いことは現実です。

では、有力校や英語配点の高い大学出身者でなければ「打って出る英語」の使い手になれないのか。そうではありません。これも私の会社時代の経験です。入社同期の中に、会社にはその大学の出身者がいない同期がいました。何故採用されたのか。英語です。むちゃくちゃ人間がいいし、英語力が抜群でした。有力校出身ではないが、一生懸命英語を勉強して、民間検定試験を受けて非常に高い得点をしていた。そのことを売りに会社へ入ってきて、実際採用されました。ですから、有力校とか英語配点の高いところが潜在的に打って出る英語の予備軍の輩出校だと私は言いましたが、大学に入って自分も打って出る英語で勝負したいという人には幾らでもチャンスがあります。そういう人たちのために英語民間検定試験があるんじゃないですか。50万人に課すことが決して私は今の日本の実情に合っているとはとても思えません。
私自身も含めて、この文部科学委員の多くが、萩生田大臣の物すごく深い理解力と、整理する能力、その整理した内容を簡潔明瞭に説明する能力、みんなびっくりしていると思います。多分、川内さんもそう思っています。(発言する者あり)ね。川内さんが思っているんだから、もうみんなですよ。その萩生田大臣の深い理解力の中で、きょう私が申し上げたことが深く胸におさまり、そして、延期ではなく中止という大英断をしていただくことを望みます。萩生田大臣、いかがですか。

○萩生田国務大臣
グローバル化が進展する中、世界で共通語として使用されている英語によるコミュニケーション能力の向上は喫緊の課題であり、現行の高等学校学習指導要領においても、読む、聞く、話す、書く、の4技能を総合的に育成する指導を充実することとされています。そのため、高等学校段階で習得した知識や技能などを適切に評価することを目的としている大学入試においても、高等学校段階までに育成した4技能の英語力を適切に評価するために、既に高等学校における英語教育や一部の大学入試においても活用され、一定の評価が定着している民間の英語資格検定試験の大学入試における活用を推進することとしていたところであります。このことは、大学進学時における英語を使用する可能性の高低にかかわらず、全ての受験生の能力を適切に評価するために必要なことと考えています。きょう、先生がみずからの経験を踏まえてさまざまな意見を提案いただきました。それは真摯に受けとめて、今後の検討課題の中に加えていきたいと思います。
最後に、私、この英語試験を延期しようと思ったのは、もちろん高校生の立場に立ってなんですけれども、その中で、いろいろな要素があったんですけれども、一つだけ、なかなか、先に6割ということを主張した後で言いかえましたから説得力がない数字があるんですけれども、いわゆる選択区分、入試の選択区分で追いかけてみますと、結局3割だったんですね、私立大学の。すなわち、6割の大学名は出てきたけれども、入試をする間口からいくと3割しか採用してくれていないということは、やはり、これは今後の検証の中でしっかり大学側の意見も聞いてみようと思っています。もちろん、文科省のさまざまな課題で準備がおくれてしまったということがそこにつながっているんだと思いますけれども、ある意味では、先生の今の問題意識にも通じるところもあると思いますので、真摯に受けとめて対応していきたいと思います。

○吉良委員
ありがとうございます。終わります。

バックナンバー