2000年賀状 ニューヨーク便りNo.7

2000年1月

新年あけましておめでとうございます。
みなさん、元気で2000年のお正月をお迎えのことと思います。
当地アメリカは空前の好景気を満喫しており、New Yorkの街はいつも、ビジネスや観光目的の人々で賑わっています。クリスマス前の5番街など、昼間から人をかき分けないと歩けないくらいの混みようです。景気がよくなり失業率が下がると治安がよくなるとは言われますが、このNew Yorkはそれをまさに絵に描いているようで、犯罪はめっきりと減り(増えたのは警察官の数と質)以前はみんなあちらこちらを警戒しながら、肩にかけるバッグを胸に抱くように注意深く歩いていましたが、今はすっかりリラックスした雰囲気でこの世の春を謳歌しているNew Yorkを楽しんでいるようです。

一方の日本は、犯罪の検挙率や殺人件数の少なさなど、特に米国との比較において、日本がどれだけ安全で警察に対する信頼も厚いかということを以前は自慢していましたが、昨今警察の不祥事が相次ぎ、犯罪の対象もか弱い子供達に向けられるなど、目を覆いたくなるような出来事ばかりで、本当に悲しくなってきます。同じ年(7歳)の男の子が校庭で殺されたニュースを聞いた末娘は「日本に帰るのいやだ」と言い出しています。早く本来のよき日本にもどしたいものです。それも景気の善し悪しなどに関係なくどんな経済状態であれ「安全で住み易い、信頼感のある」社会を築きたいものです。

この悲惨な状況が個人的にもたらしてくれる唯一の明るい光は、父が長生きしてくれるかもしれないということです。 父は長年刑事畑の警察官として、質実剛健、ただひたすら悪を憎み、悪を退治することのみを生きがいとしてきた昭和ひとけた生まれの明治人です。寝ている時でも夢の中で捕物帳をやっているらしく、夜中に大きな声で叫ぶこともありました。たとえ給料は安く勤務は過酷でも、悪に対しては常に一般市民の盾となって死地に向かう覚悟があること、警官ひとりひとりがその使命感に溢れ身辺が潔らかであることを誇りとして生きてきました。その警察が悪を内包していたのみならず、その内部の悪を指揮官が率先して隠していたわけですから、昨今の警察の不祥事(市民に対する裏切り行為)に対する父の憤りは想像を絶するものがあります。これでは、いくらあの世からお誘いがかかったとしても、成仏しきれないのが見えていますので、誘いに乗るわけにはいかないでしょう。先日も大分県の警察学校から、「若い警察官に気合を入れ直してほしい」との依頼を受けて、古きよき警察魂について講演をしたそうですが、もうしばらく大分県警の大久保彦左衛門として活躍してほしいものです。

父と母がニューヨークに遊びに来てくれ、一緒にクルージング
かすかに見えるのは自由の女神

人は誰でも自信をなくした時には精神的に不安定になるものですが、日本が自信をなくすと大きく狼狽してしまうようです。自分はその時生まれてはいませんでしたが、終戦直後がそうでしたし、現在もそうです。これは、どういう状況下においても頑として揺らぐことのない信念を持ち得ていないからではないかと思いますが、その意味で父の世代に当たる戦中派が少なくなっていくのは誠に残念です。今こそこれらの「頑固おやじ」転じて今や「頑固じじい」の方々に、状況の如何によらぬ普遍の価値観や考え方、その信念などを若い世代に伝授してほしいし、若い世代は謙虚に耳を傾けるべきだと思います。ただ、みなさんかわいい孫に囲まれて今やほとんどの人が好々爺になって頑固さが失われているかもしれませんが......。
著名人でもない自分が何か文芸春秋の「おやじ、おふくろ」の執筆でも依頼されたような文章を書いてしまいましたが、新しいもの、いいものは積極的に取り入れつつ、古きよきものも大事にしていきたいものです。それが、2000年、そして21世紀を生きる子供達、孫達が安心して豊かに暮らせる日本に繋がっていくと信じています。戦後の過ちを繰返したくはありません。

米国カナダの国境付近の湖を背景に。
この後7月なのに雪が降り、クマとも出会います

さて、恒例により我が家の近況報告をさせて戴きます。小さい順です。

さちこ(7歳、日本人学校1年)

さちこは7年間の人生の中で4年半を米国で過ごしています。4歳から5歳までナーサリーという現地の私立幼稚園に通い、6歳の途中までは町の正規の幼稚園に通っていましたが、昨年の8月からはニュージャージー日本人学校にピッカピッカの1年生として転入しました。すぐに溶け込み毎日学校に行くことが楽しくて楽しくて仕方ないようです。ここは本当にすばらしい学校で、よき先生、よき友達に恵まれ、子供達は休みを寂しがる程です。1年生の生徒数が11人ということもありますが、ひとりひとりに充分目が行き届き生徒はお互いみんなが友達で、親も先生方を信頼し切っています。いずれこの学校をもっと広く紹介したいと思っています。
さちこが好きな授業は何か聞いたところ、1番目は学級活動、2番目は体育、3番目は音楽ということで、いい意味で遊びに近い授業が好きなようです。学級活動も先生を含めて外や(小さい)体育館で遊ぶことが多いから好きなのだそうです。さちこの性格をよく表しています。
普段の生活では漢字を習い始めた為、自分が知っている漢字に出会うと「この漢字、さっちゃん知ってる。もう習ったんだもん」と自分の教養を誇示したがります。一方、飽き易い性格と熱心な性格とを併せ持っているのですが、クラスで一番上手に跳べるらしく、最近は熱心に縄跳びの練習をしています。子供が大きくなると親としてはうれしい反面寂しくもなりますが、近頃自分のことを「さっちゃん」と言わず、「わたし」というようになりました。もう幼児とは完全におさらばかと思うと「最後の砦」だっただけに何だか寂しい気持ちです。

ゆみこ(13歳、日本人学校中学1年)

ゆみこは小学校3年の時に渡米し、最初の3年間は現地の小学校に通い、一昨年の8月から日本人学校に転入、昨年4月には中等部が発足しましたので(それまでは小学校のみ)、第一期生の中学1年生として入学しました。中学の勉強は小学校とは随分違うので、最初はとまどいもあったようですが、最近は随分調子が出てきました。何よりも小学校のクラスメイトがそのまま持ち上がっているし、気の合う友達も新たに転入してきたりして、学校が楽しそうです。各教科の先生も各々個性豊かな授業をやってくれるので、勉強への興味が湧いてきていて、特に日本の歴史や理科の勉強は面白いようです。また、NHK特集の遺伝子を見て以来、遺伝子のことにも興味を持っています。一昨年の学習発表会ではミュージカルの主役をやりましたが、昨年の学習発表会では(中学生らしく弁論の部があるのですが)ゆみこが中学1年生を代表して「アメリカに来てよかったこと」というタイトルで発表したり、中等部の司会をやったりと昨年も大活躍でした。普段の生活では、元々、ゆみこはお母さんの手伝いをするのが大好きなのですが、最近は料理なども自分で作れるようになってきているし、編み物にも凝りだしていて、女の子らしい趣味に磨きをかけています。一方、スポーツでは毎週土曜日にテニスのレッスンを受けており、これがまた楽しくて仕方ないようです。家族で時々一緒にやるのですが、ゆみこはびっくりするほど上手になってきています。

綾子(14歳、現地の高校1年生、日本でいけば中学3年生)

綾子は鬼のようにたくさん出て来る毎日の宿題と格闘しながら、現地の高校生活を楽しんでいます。数学の図形問題で、合同や相似、対頂角や錯角、垂線や平行線、平行四辺形や二等辺三角形だのといったことを使いながら英語で証明したり、遺伝子、光合成、原子核、イオンなど日本語でもややこしかった問題を英語で勉強しているのですから、親も教えられません。かろうじて日本語の世界に引き戻して教えるのが精一杯です。でも綾子は夜遅くまで苦しみながらも結構楽しそうに勉強しているので大したものです。スポーツでは高校のバレーボール部に入り、放課後毎日試合をやっていましたが、これにはかなり熱中していました。日本の部活動との大きな違いは、日本だと1年生は玉拾い、2年生になるとパスの練習、3年生になって漸く試合に出られる というような年功序列がまかり通っていますが、米国の場合、高校1年生だけのチームがあり、みんなが試合に出られるので、入部当初からバレーボールやそのゲームが楽しめます。プロを目指す人は大枚をはたいて個人レッスンを受けたりしますが、普通の高校では根性物語はなく、みんなが楽しむ為にスポーツをやっているようです。とはいっても綾子も上手になりたかったらしく、家で随分と練習をしていました。
また、音楽の授業の一貫としてバンドの授業を取っているのですが、先日その発表会があり家族全員で聞きにいきました。綾子もクラリネット奏者として出演していたのですが、それはもう見事なオーケストラで、ちょっとしたコンサートを聞きに行っているようでした。一番上手なグループの演奏終了後などは、観客である親達が総立ちとなり、拍手なりやまずといった情景で、アメリカの余裕、豊かさを実感させられるひとときでした。
一昨年母親の背丈を追い越したばかりの綾子は昨年11月には167cmになり、まだまだ伸びているので将来ハイヒールを履くと176cmのお父さんを見下げるようになるかもしれません。

<アメリカのPTA授業参観行事>
ここで、米国の中学、高校のPTA兼授業参観日のようなものを紹介したいと思います。米国には各年度の始まり(9月)に「Back to School Night」という行事(大抵、平日の夜)があり、この日は父親、母親が学校に行き、全体会で校長先生からその年度の学校の方針や行事などの説明を受けた後、子供が受けている授業6―7科目を各々10分間くらいで教室を移動しながら受講していきます。授業の受講といっても、各先生は自分自身の紹介、自分の授業内容や教育方針の説明などを行うので、親としては各々の先生の人柄や授業内容がある程度理解・想像できるので、非常に身近に感じることが出来ます。時々はクイズ方式で問題を出す先生もいたりして、親達も学校時代を思い出せる楽しい行事となっています。先生が必死に自分と自分の授業のプレゼンテーションを行うところ、平日にも拘わらず多くの父親が参加するところがアメリカならではの光景です。

真夏の雪山登山 グレーシア国立公園にて雪上ハイキング

千代美と州司

ほんとうにあわただしく過ぎてしまった1年でした。夫婦共に一番苦労したことは、当地で購入した家(いままで借りていた家を購入)の台所やお風呂などの改造工事をやったことで、その打合わせ、契約、実施の立ち会いその他で、随分と時間、労力を取られてしまいました。工事業者が決まった時間に来ないとか、2週間で終わるといっていた工事が3ヶ月近くかかったりとか、日本のようにはスムーズにいかず、ストレスが溜まりっぱなしでした。アメリカ人は明らかに自分の怠惰や失敗であったりしても何のかのと言い訳をして、決して謝ろうとしないので余計に腹が立ってきます。でもアメリカの違う側面を見れていい勉強になりました。
千代美は朝夕の子供達の送迎や勉強をみてやったりで相変わらず、睡眠不足のあわただしい生活が続いており、州司の方も会社の調子が悪い為、やはり何やかやとあわただしい日々でした。
その中でも楽しかったことは、まず5月という米国北東部として青葉が茂る一番きれいな季節に大分の父と母が二人そろって我が家に来てくれたことです。子供や孫達が異国の地でどんな暮らしをしているのか日常の生活を見てもらえたし、アメリカの豊かさを実感してもらうことが出来ました。父は米国人と一緒にラウンドしたゴルフがえらく気に入り、同じ世代かもう少し上の世代に属するそのアメリカ人に「年寄り」「年寄りパワー」という言葉を教えていましたが、すごく楽しかったようです。しかし、尾崎直道ばりの米国ツアー参加をした割りには帰国してからの調子は今ひとつのようです。母は2回目の訪問でしたが、それまで父と「実感」「体験」として共有できなかった話題を漸く共有することができるようになり、テレビなどで米国の映像などが出ると二人して身近に感じるようになっているとのことです。楽しかったことの二つ目は、恒例により夏休みを利用して米国の国立公園に出かけたことです。今年はモンタナ州のグレーシア国立公園と有名なグランドキャニオン国立公園に出かけました。我が家の恒例行事のようなものですが、いつものように雄大な自然を満喫し、ハイキングやラフテイングなどを楽しみました。同封の写真はグレーシア国立公園の中の湖のほとりで撮った家族写真です。

モニュメントバレーを背景にした家族

ウォータートン国立公園にて

2000年の今年、そして21世紀がみなさまにとって素晴らしい年でありますように!

2000年元旦
吉良州司
千代美
綾子(14歳、現地の高校1年生)
ゆみこ(13歳、日本人学校中学1年生)
さちこ(7歳、日本人学校1年生)