「地域主権型国家」の創造
何故、地域主権型国家が必要なのか。それは、一人ひとりが自分自身の人生を生き、自己実現を追求できる社会、国民一人ひとりが大切にされながら全体としても活力あふれる社会を創るためです。
1200兆円にものぼる国と地方を併せた借金をこれ以上、将来世代に付回ししないために、「自分たちのことは、自分たちの責任で決断し実行する。そして、その結果も、自分たちの責任として受け止める」という当たり前の社会を創るためです。
更には、明治時代以来、官僚主導中央集権で成り立っている現在の国の仕組みを、地域や国民一人ひとりが主役の社会、つまり「地域主権型社会」に創りかえるためです。
アブラハム・マズローという米国の心理学者は、人間の欲求には5つの段階があると説いています。
1.生理的欲求、2.安全の欲求、3.親和の欲求、4.自我の欲求、5.自己実現の欲求の5つです。
最初の1や2はまさに生きるための、ある意味では本能的な欲求です。そして、3は集団への帰属意識を持ち、人を愛し愛されたい、4は自分を認めてもらいたい、5は「よりよい人生を生きたい」「自らの人生をより有意義なものにしたい」と段階的に創造的欲求に移り変わっていきます。
明治時代、まだまだ極貧にあえいでいた当時の国民生活水準を向上させ、欧米列強の植民地にならなくてすむよう強くなりたいという、生理的欲求と安全の欲求を充たすため、殖産興業と富国強兵を国策としました。その国策を効率よく実現するために、官僚主導の中央集権体制を築き上げ、権限、財源など国家経営の資源を中央に集中させました。
戦後は、戦前の苦い経験から国策こそ「富国強兵」「殖産興業」から「軽武装」「経済大国化」へと変わりましたが、その国策を遂行する官僚主導中央集権体制という国の仕組みそのものは温存しました。食べるものもない、焦土と化した国を一日も早く復興・発展させるためには、この官僚主導中央集権体制が最も効率的だったからです。発展途上にある国(当時の日本がそうです)の開発経済型システムは、ある一定の生活水準に達するまでは大変有効です。
私たちの先人が、昼夜を分かたず、働きに働き続けてくれたおかげで、現在を生きる私たちは、その日の食べ物に困る生活から開放された豊かな生活が送れるようになりました。また、GDP(国民総生産)や一人当たりGDPなどの数字だけを見る限り、わが国はもう立派な先進国となっています。
しかし、政治や社会の根本的な仕組みは生理的欲求を充たすために創られた発展途上国的な開発経済型のままです。よく「箸の上げ下げまで口出しをする」と比喩されますが、官僚による実質的な規制・統制が未だに続いています。家族や仲間と一緒によりよい人生を歩みたいと思い始めた今を生きる日本人の、親和の欲求、自我の欲求、自己実現の欲求に応えられる仕組みになっていません。だからこそ、今「改革」が声高に叫ばれているのです。
改革の目的は、国や社会の仕組みを、生理的欲求充足のための発展途上国的な開発経済型から、真の豊かさを追求する先進国型の仕組みに変えることです。そして、厚いセーフティーネットを張ることが前提ですが、一人ひとりが自立し、各地域がひとり立ちする社会や国の仕組みを創ることです。だからこそ、今、「地域主権型社会」が必要なのです。
江戸時代は、それぞれの藩が独自の文化や価値観を大切にしながら、また、経済的自立を追求しながら独立不羈を貫いていました。当時の日本は徳川宗家が最大最強の藩として君臨していましたが、仕組みとしては、大小300の藩が割拠する連邦(連藩)国家でした。これからの日本が地域主権型社会の先進国として歩き始めるため、理想の独立自尊の地域(「藩」の復活)の連邦国家を創っていきたいと思います。
吉良州司