地方を元気にすることで、真に豊かな日本を創る

「廃県置藩」的な地域主権・地方分権の国創り(権限、財源、一部の法律制定権と課税権を地域・地方に移譲)

豊かな生活には、「空間的ゆとり」、「時間的ゆとり」、「経済的ゆとり」、それらがもたらしてくれる「精神的なゆとり」が必要です。東京一極集中が進む日本。大都会で得られる額面給与は地方より高いかもしれません。しかし、生活コストが高過ぎる大都会に果たして「経済的ゆとり」はあるのでしょうか。空間的、時間的ゆとりは文句なく地方にあります。地方においてある程度の経済的ゆとりを得ることができれば、地方でこそ空間的、時間的、精神的ゆとりに裏付けされた「真に豊かな生活」を楽しむことができます。

私は29歳の時、「地方が豊かにならなければ真に豊かな日本は築けない!」という強烈な問題意識を持ち、当時勤めていた総合商社日商岩井から大分県庁に出向しました。商社から自治体への出向という制度はなかったので、平松大分県知事(当時)と速水優日商岩井社長(当時。後に日銀総裁)に直談判し、自分で出向制度をつくって大分県庁に飛び込み、2年弱の間、地域振興、農政、産業振興を学びました。それから15年後、5年半のニューヨーク駐在をはじめ、豊富なビジネス経験と国際経験を積んだ上で、大分県知事選挙に挑戦しました。44歳の時です。
明治時代初期、欧米列強に追いつくため、強力な中央集権国家にすべく独立国のような藩を廃する「廃藩置県」を断行しました。当時の目的に照らすと極めて効率的な統治機構だったと思います。しかし、地方は中央の命令に従う下請け機関となってしまいました。下請け機関的な地方が集まった国に活力など生まれるはずがありません。「地方の元気が日本の元気」です。今こそ下請け機関となった県を廃する「廃県置藩」的な地域主権、地方分権の国に生まれ変わって初めて活力溢れる国になるのです(権限、財源、一部の法律制定権と課税権を地域・地方に移譲)。大分県知事選挙に挑戦したのは、大分県を独立国のような地域主権の成功モデルにしたいと思ってのことでした。

国からの配分を志高湖の鯉のようにパクパク口をあけて待っているような地域・地方に明日はありません。そのような地方が集まった国にも明日はありません。国政として目指すべきは「地方を元気にすることで、真に豊かな国を創る」こと、それは、地域主権・地方分権の国を創ることを意味します。

我が国に必要なのは国、地域(地方)、企業、個人が「依存から自立」へと生まれ変わる覚悟と具体策です。我が国の経済力が減退しつつある今、これまでのような「機関車型国家(東京や大手企業が機関車であり、地方や企業や個人は客車として自走せずに引っ張られる存在)」では、活力は生まれません。今、必要なのは、全てが自走する新幹線型、電車型国家であり、「廃県置藩」的な地域主権、地方分権の国に生まれ変わらなければなりません。

吉良州司