吉良州司の質疑録

2016年4月15日

2016年4月15日 地方創生特別委員会 ~地方が元気でなければ日本は元気にならない。国民の幸せ感を増幅するのが政治の役割~

石破茂大臣を相手に、「地方創生」は成長戦略の手段であってはならず、地域に住む人々の幸せ感を大きくしていくことが目的であるべき、との吉良州司の持論を展開。地域の中でお互いが物々交換やサービス交換しながら、幸せ感と元気を交換しあう仕組みをつくることが大切。また、地方創生のカギは一に人材、二に人材、三四も人材、五も人材、との問題意識の下、どうやって地域のリーダーを育成していくのか、石破大臣との熱い議論を展開しました。

○山本委員長 次に、吉良州司君。
○吉良委員 民進党の吉良州司でございます。
まず冒頭、昨夜からの大地震、そして余震が続いております熊本において、お亡くなりになられた方々の御冥福を心からお祈りいたしますとともに、被災された方々へのお見舞いを申し上げます。政府には、万全の対応をお願いします。
きょうは一般質疑ということもあって、書生論じゃないかと批判を浴びるかもしれませんけれども、書生論と言われようが、地方が元気になるにはどうすればいいかという観点で、石破大臣の胸をかりながら、本質的議論をさせていただきたいと思います。
最初に、地方創生と成長戦略という観点で大臣に伺いたいと思います。それを伺う前に、私の問題意識を少し披露させていただきます。
よく、民進党にいる保守系議員と言われる人たちは、外交・安全保障を中心に、自民党と余り変わりがないじゃないかとの指摘を受けることがあります。確かに、外交・安全保障等においては、同じような方向性で考えることが多々ございます。ただ一方で、国内の社会政策そして経済政策においては、いろいろな意味で大きな違いがあります。
一つ目は、供給者の論理と生活者の論理。自民党政権は供給する側に立つ。供給する側の会社・業界の要望を聞いて、それを実現するという傾向が非常に強い。これに対して我々は、生活者の立場に立った国づくりや政策を考えている。
二つ目は、自民党は発展途上国的な考え方、発展途上国時代の政策を色濃く残している。
私自身は、日本の焼け野原からの戦後復興、そして高度成長を通して日本を世界有数の経済大国に押し上げた、最大の功労者は頑張り抜いた国民ですが、同時に、それを導いた自民党の功績が非常に大きいと思っています。しかし、一方で、その途上国的体質が先進国になった今でも色濃く残っていると思っています。例えば成長戦略。幅広い成長戦略メニューを掲げてはいますが、製造業を後押しすれば成長するという発想が残っている。
もちろん、製造業が高度成長を引っ張り、日本経済を牽引してきたことも確かだし、今もリーダー的存在であることは間違いがありません。ただ、一方では、GDPに占める製造業の割合はもう二割になってきている。かつ、製造業の中でも、製造現場よりもアフターサービスに従事するような人たちがふえている。これが日本を含む成熟国の姿なのに、いまだに製造業を支援すれば国全体が成長すると考えての成長戦略になっている。
一方、地方が元気になるためには、地方の中心であるサービス業、この生産性を高めなければなりません。釈迦に説法ですが、特に海外展開をしている製造業の場合は、テストでいえば100点満点中95点をいつも取っていて、もうほとんど伸び代がない。そこを幾ら後押ししても、日本全体の成長・活力につながる余地というのは限界がある。成長戦略としては、もっと伸び代のある分野に目を向けなければいけないと思っています。
私の一番の危惧は、安倍総理は成長自体を目的化していることです。本来なら、国民の幸せや幸せ感を増幅していくのが政治の役割であるはずです。しかし、途上国時代の、腹いっぱい飯が食いたい、そうすれば幸せ感を感じられた時代を今でも引きずっている。そういう意味で、私は、成長はあくまでも、国民が幸せになる、幸せ感を感じる、その為の一つの手段であって、決して目的ではない、と思っています。しかし、今回の地方創生も、安倍政権の中にあっては成長の一つの手段として考えられているのではなかろうか、との懸念を持っています。私自身も、地方が元気にならなければ日本は元気にならないという問題意識を共有します。先ほど石破大臣が、地方創生ということはイコール日本創生なんだという話もされました。全くそのとおりだと思います。しかし、地方創生というこの大事な考え方・概念を成長戦略の一環として捉えるのは、大きな間違いだと思っています。
前置きが長くなって恐縮ですが、今私が申し上げた問題意識を聞いていただいた上で、地方創生と成長戦略の関係について、石破大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○石破国務大臣 委員のお考えに、私は100%と言ってもいいです、同意をしたいと思っております。GDP600兆円を目指して頑張っていかねばならない。そして、委員ご指摘の通り、経済の7割は大手の製造業以外の産業が担っているわけでございます。そこに伸び代が多くあるのではないか。確かに、世界を相手に頑張っている製造業というのは、本当に伸びるところまで伸びて、少しでも伸ばそうと思ったらこれは大変なことです。製造業は大変な競争の中にいるわけですが、今まで、公共事業があるものね、あるいは誘致企業があるものねということで地方が支えられてきた部分は否めないと思っております。
47都道府県の一人当たりの労働生産高というものを表にしてみると、相当の変化がございます。お金だけをもってして幸せだと言うつもりは全くありませんが、そこにおいてこれだけの変化があるのはなぜだろうか。日本全体の経済という抽象的なものがあるわけではございませんで、大分県なら大分県、大分市なら大分市、別府市なら別府市、日田市なら日田市というものがあるんだろうと思います。そこでどのような産業構造になっており、どの部分が伸びていくのか。
お金だけで幸せなのではありません。《労働生産性を上げながら人を幸せにしている具体例を示す答弁があり。紙数上割愛》
大事なのは数字ではなくて人の幸せ感です。何が人の幸せなのかということを第一に考えていかねばならないのでありまして、それは、生産性を上げる、GDPを上げるということが目的なのではございません。それはあくまで手段だと理解をいたしております。
○吉良委員 ありがとうございます。考え方、問題意識を共有していただいたと思います。労働生産性を上げながら幸せ感を増していく、これにこしたことはないと思っています。今、石破大臣が話された中で、揚げ足をとるわけではないんですが、GDP600兆円の話が出ました。これ自体は達成しなければならないというお話もございました。あえて、私が先ほど前置きした話の延長で、ちょっとそのことに触れさせていただきます。私は、一億みんなであっちに向かっていくんだぞとか、日本人全体で何百兆円を達成するんだぞとか、こういう発想自体が発展途上国的だと思っているのです。
大臣には釈迦に説法になりますが、アブラハム・マズローという心理学者が、人間の欲求五段階説を説いています。生理的欲求、次に安全の欲求、その次には人間ですから人と交わりたいという親和の欲求がある。ここまでの段階は途上国的だと思っています。だから、みんながひもじい思いをしているときに、みんな食えるようにしようということに誰も反対しないし、一億みんなでそっちの方向に向かっていく。誰も異論は唱えない。
けれども、衣食住が足り、安全も足り、人とのかかわりも十分できるようになった、それ以降人間が求めるもの、人間のつくった社会が求めるものは、自分を認めてもらいたいという欲求であって、その先には、自己実現という欲求がある。これは、豊かになればなるほど、もう人々は一つの方向を向かない、それが人間の心理であり、人間がつくる社会だと思っています。
そういう意味でも、一億みんなでこっちに向かっていくぞとか、みんなで600兆円を達成するだとか、もうそういう時代ではないということを指摘させていただきます。
そのことの延長線上で、私は、若者の意識がここに来て大きく変わっているということを実感しています。本来なら若者にとって非常につらいことなんでしょうけれども、自分たちが生まれて以来、一度も成長とか元気のいい社会を経験したことがない。自分の給料を見ても、正直、一部の人を除いては、本当にこれで生活できるのかという給料。将来的な展望もなかなか描きづらい。けれども、若者は、そういう中でもその現実を受け入れて、その中で、何とか幸せ感を、幸せを見つけ出そうとしている。
その典型的な動きとして、私が見るに二つあると思っています。一つは、例えば、ワーキングプアと言われるような若者が、自腹で東北の被災地に行ってボランティア活動をしている。十万か十数万の給料の中で、自腹で交通費を払って被災地に行くのは大変なことです。けれども、そこで被災者からただ一言「ありがとう」と言われる、その幸せ感を求めて被災地に行っている。もう一つは、この委員会のテーマである、都会を離れて地方に定住しようという若者たちがだんだん出てきている。これらは、今申し上げたように、成長ではない、自分たち独自の幸せ感を探し始めている、そのあらわれだと思っています。
それは、私自身の言葉で言いかえると、先進国自体が今成長というものの壁に突き当たっていて、政治的・経済的にいろいろと模索はしていますけれども、明らかに成長というものの限界を先進国の多くの人たち、特に若者が感じている。そして、ポスト成長の中で幸せをどうやって見出していこうかということが問題意識として共有され始めている。その中で、若者が都会ではない地方での豊かな暮らしを求め始めているんだと思います。
若者がそうやって地方に目を向け、定住を考えるようになってきている。若者を中心に都会から地方へと目を向け始めている背景にはどういうことがあると考えておられるか、石破大臣のお考えをお聞きできればと思います。
○石破国務大臣 私は、若い方のいろいろな価値観、成長を経験したことのない若い方々の価値観というのは確かに多様だと思っています。去年の暮れに移住女子サミットというのを東京でやりました。そんなに大きな集まりではなかったのですが、若い女性の方々で地方に行かれた方々が集まって、いろいろな議論をする中で、温かさとか本当の人生の価値とか、そういうものを見出せたんですよという話を聞いて、かなり私は感動したんです。
そういう価値観というのもあるだろう。だけれども、濃密な人間関係が嫌いで、希薄な人間関係を好む方もあるわけで、そういう濃密な人間関係とかお金だけじゃない生き方とか、そういうものを実現するためのいろいろな政策というものは、やはり政府としてできるものがあればやっていきたいと思っております。
そして、リタイア後が幸せな日本人という価値観もあっていいんだ、なければいけないんだと思っています。若い方あるいはアクティブシニアの方、全ての層の方々が、みんな自己実現ができる、そういう国でありたいなというふうに私は理解をいたしておるところでございます。
○吉良委員 ありがとうございます。
今大臣がおっしゃったこと、私はそこがポイントだと思っています。どういうことかというと、先ほど地方創生というのは必ずしも成長戦略の手段ではないんだという問題意識を披露させてもらいました。
私は、これからの地域というのは、人と人とのつながりを大事にしながら、ある意味、奈良時代の税制・租庸調に戻るのではないかと思っています。皆さんも覚えがあると思いますが、租庸調の租はお米で、調は布、そして庸は労役と現物提供です。これからは、お互いが物々交換・サービス交換によって、幸せを、幸せ感を、満足感を交換し合う、元気を交換し合う、そういうことによって、GDPには反映されないながらも幸せ感が増していく、これが一つの地域のあり方なんだろうと思っているんです。
ですから、マッサージが得意な人がマッサージしてあげたら、相手はキャベツをいっぱいつくっているからキャベツを翌日どんと持っていく。このようなあり方が、今後の地域において、GDPには反映されないけれども、幸せ感、満足感は大いに増していくということになると思うんですね。
租庸調をどういう形でやるか。これは国というよりも各自治体が創意工夫していかなければならない分野だと思っていますが、この物々交換が重要で、それがコミュニティーの中の重要な要素を占めていくという考え方については、大臣、どう思いますか。
○石破国務大臣 高校生のとき以来、久しぶりに租庸調という言葉を聞きました。改めて勉強させていただいたところであります。
問題意識がずれていたら申しわけないのですが、私は、藻谷浩介さんの「里山資本主義」というのは、私ども中国地方の山間部というものに題材をとっていますので、大変共感を持って読んだところでございます。
あそこに書いてありましたが、サブシステムとしての里山資本主義、決してメーンのシステムではない、決して資本主義というものを否定するものではない。ですけれども、委員の今の御指摘は、ひょっとしたら、この里山資本主義の考え方と共通する部分が多いのではないかと思って拝聴した次第でございます。
ですから、サブシステムとしてのそのような考え方、物々交換ということをおっしゃっておられるのではないと思いますけれども、そういう経済というものがあっていいのではないだろうか。食料でありエネルギーでありというものを、円高になると高い高いと言って騒ぎ、円安になると大変大変という話になる。やはり、国家が生存していくために必要な食料とかエネルギーというものをいかにして外国に頼らないかというのは、大事なことだと思っています。
エネルギー政策とか食料政策をここで論じるつもりはありませんが、そういうものがきちんとある地方において、人間の生き方の一つのモデルというものがあるべきではないだろうか。少なくとも、それが選択可能になるような状況というものが私は大事だと思っておりまして、「里山資本主義」から私は学んだことが多いのです。
委員の御指摘も踏まえて、また知識を深めてまいりたいと考えております。
○吉良委員 ありがとうございます。
私自身も、「里山資本主義」は何回も読ませてもらいましたし、時々、藻谷浩介さんからいろいろ教えを受けておりまして、本当に参考になると思っています。
時間の関係で次に移らせていただきます。かつてのイギリス・ブレア首相は、自分には三つの政策があると言って、一に教育、二に教育、そして三番目も教育だと訴えました。私は、地方創生の鍵というのは、一に人材、二に人材、三、四も人材、五も人材だと思っています。そこで、リーダーをどう育成していくかということについてお聞きしたのですが、その前に、また私自身の持論を少し展開させてもらいたいと思います。
昨年のこの地方創生委員会のときに、私は、村おこしの元祖である大分県の大山町の話をさせてもらいました。若手を海外に出して代々リーダーを育てていく、そしてそのリーダーを支えるフォロワーが育っていって、いつの間にか町全体が六次産業をみんなが実現できるような人材がそろっているというのが大山町でありました。
そういう意味で、私が大臣にお願いしたいのは、何とか、リーダー候補を留学だったり遊学だったりさせて、かわいい子には旅をさせて、広く視野を広げて、そして自分のふるさとに戻って地域おこしをしていくという仕組みをつくれないかということです。時に自治体は、外に出るな、ここにとどまっていろというやり方をしてしまいますが、私は逆だと思っていて、サケじゃないですけれども、一回大海に放って、それでも必ず戻ってくるというような仕組みの方がより多くの地域を元気にできると思っています。この考えについて、大臣はどう思われますか。
○石破国務大臣 そういう素敵な例というのは実はいっぱいあるんですよね。
《一度、地域外に出て、故郷に戻ってきたリーダーが成功させた事例を示す答弁あり。紙数上割愛》
その地域で生まれてその地域で育ってということを私は価値観として否定するものでは全くありません。ですけれども、いろいろなところでいろいろなものを見る、そして行政ではなくて民間のあり方というものを見る。私も民間からこの世界に来ていますが、やはり感覚がすごく違ってショックを受けたことを今でもよく覚えています。時間的感覚、金銭的感覚。民間の気持ちというのを理解し、そしてまた外の文化というものを理解し、それを自分の地域で生かすというのは、やはり大きな意味のあることだと思っています。
問題は、委員のお話を聞きながら思ったのは、どうやってその人に帰ってもらいましょうかということなんです。我々も五十代になると、おまえ帰ってこないかとお声をかけていただくことが多くなったですね。やはり見たことも聞いたこともないようなところに行くというのはかなり勇気の要ることですが、帰れば同級生もいる、親戚もいる。そこで、商社で学んだいろいろな知識、メーカーで学んだ知識、金融で学んだ知識、それを生かして一緒にやろうよという。
地域を変えるのはよそ者、若者、ばか者だ、こう言われるわけですが、そこで育っている、それで、高校、大学あるいは勤め先がほかの地域であっても、おまえ帰ってこいやということで帰れるような、そういう状況がどうやったらつくれるかしらねというのが、今私が考えている、どうしたらいいのかなということで、またお知恵をいただければ大変ありがたいと存じます。
○吉良委員 ありがとうございます。私自身が次に申し上げたい、また提案したいことを、石破大臣の問題意識として語っていただきました。
一つは、民間。地域を元気にするリーダーたちというのは、地域おこし的リーダーもいれば、それから、その地域経営全般の責任を持てるような、それこそ首長になる、それを支える人たちになるようなリーダーもいれば、また役所、役場の人たちもいる。その中で、田舎に行けば行くほど、役所の存在、役場の存在というのは非常に大きいんですね。何かイベントがあれば、真っ先に挨拶するのは必ず役場の部長さんだったり課長さんだったりするわけで、ある意味、そこの地域の人たちは役場の人たちを頼りにする。でも、役場の人たちには民間経験がない、外に出た経験がない。だから、耳学問はあるけれども、各論、具体的にどうするのとなったときに指導することができない。こういう例を私自身も見てきました。
実は私、商社に勤めながら、ちょうど年的には30歳ぐらい、会社に入って八年目ぐらいのときに、自分で志願をして、自分で制度をつくって、大分県庁に出向した経緯があります。地方が元気にならなければ日本が元気にならないということを会社にも説得して行かせてもらい、本当に多くのことを学ばせてもらいました。
そのときに実感したことがあって、役場の方たちは物すごく地域のことを真剣に考えて頑張っているんです。ただ、民間的発想には限界があることもよくわかりました。県庁出向中、大分県の朝地町という肉牛生産が盛んな町で意見交換をしていたときの話です。ちょうどそのときは、牛肉の関税が下げられて、何で関税を下げるんだ、俺たち肉牛生産者のことをどう考えているんだ、みたいな話があったんです。私は役場の方と肉牛生産の方の両方に申し上げました。
皆さん方は、地域を元気にするというときは、地べたが何となく元気になるという発想がないですかと。地べたじゃないんですよ、そこで生きている人、そこで生活をしている人が豊かになることが、その地域が豊かになることなんですと。政策を打つとなったら、その地べたのどこかにお金を打つなり何かしなきゃいけないと考えていると。
自分たち商社の人間は、このように関税が下がったときにどう考えるかというと、その町の畜産公社とか町民からお金を集めて、オーストラリアに牧場を買いますよと。朝地町の種の牛をオーストラリアの地で育て、関税が下がれば下がるほど日本への輸出をふやす。そして、本土の朝地町でつくった肉は高級牛として高く売る。安いものから高いものまで売る。オーストラリアから日本に輸出して、もうければもうけるほど、配当として朝地町にお金が還流されるんですと。今まで、なかなか海外に行けるような広がりのある仕事がないから、この町で就職するのは嫌だと言っていた若者が、一生に一回、二回オーストラリアに駐在できるからということで、その会社に入ろうとなる。また、女性もそこの社員と一緒に結婚してオーストラリアへ行きたいとなる。そうなって若者も定住していく。こういう話をしたことがあるんです。そのときに、その町の人や役場の人からは、何かあなたの話を聞くとキツネにつままれたようだが、でも確かにそう言われればそうだなと。
そういう発想を経験上持っている人が日本にはたくさんいるんですよね。今大臣が言ったように帰ってこいよという年でもいい、またはもっと若い時分に帰れる方法もあると思っているんです。
時間が足りなくなってきたので、場合によっては機会を改めてやらせていただきますが、私の商社時代の経験です。オーストラリア産業開発公社という組織があり、連邦政府100%の出資ですが、経営陣も社員も全部民間出身です。何をやっているか。投資をやる、融資をやる、経営指導をやる、技術指導もやる、ビジネスの総合デパートなんです。
私は、そういう会社とつき合って、すごい会社だなと思い、大分県出向中に大分産業開発公社をつくろうと提案しました。経験を積んだ人がその経験を自分のふるさとのために活かすということで、そんな組織があれば戻ってくると思ったんですね。そして、県職員や市町村職員だったり、特に将来見込みのある若手をその組織に入れて、実践の中で経験を積ませていく。それは、世間で言ういわゆる村おこしではない、その地域、村や町を拠点に世界を相手にしたビジネスが展開できるようになる。そういう豊富な経験を持っている人が都市部にいる。その人たちが戻っていける受け皿をつくる、その受け皿となる組織が地域を活性化していく、こういう循環をつくりたい、このように思っておりまして、ぜひ石破大臣にはそのことについて前向きに検討いただければと思います。
もう時間になりましたけれども、もし一言あればお願いします。
○石破国務大臣 地方へ人材を還流するというのは一番大事なことだと思っております。地方人材還流のためにいろいろな仕組みをつくっておりますが、また、委員のお知恵もかりて、どうやったらば還流できるかということを考えたいと思います。また委員と議論させていただければ大変幸いに存じます。
○吉良委員 終わります。ありがとうございました。

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