隆一への手紙

よく人間が一人前になる為の条件として、獄中生活、大病、浪人などと言われるが、留年、足の骨折と、だんだん一人前に近づいている隆一へ。後は獄中生活だけだな!
手紙ありがとう。足のほうは完治したか?お前も、本当にドジな男だなぁ。まあしかし、万事塞翁が馬で、このことが、シナリオのいい題材となったりして、幸運へと導いてくれるかもしれないな。
さて、最近の俺の生活はというと、ここ二週間ばかりは、研修生仲間の送別やなにやら、ポル語の方はさっぱり勉強していない。本は相変わらず読み続けていて、いろいろ考えさせられている。
お前の手紙にあった質問や依頼の俺なりの感想、意見を踏まえながらブラジルや日本社会の一側面に触れてみたいと思う。その中で、少々、お前に対して失礼になる指摘もあるかもしれんが、好意的に受け取ってくれ。ここまで書いた時点では、まだ何を書こうかまとまっていないが漠然としたものはあるので整理する意味でも、軽い論文調で書くことにする。

1.日本人の幸福追求と「歴史的な反省」における偏り

(1)日本人の幸福追求
 海外で暮らしたことのある人や長期間旅行した人のかなりの人達は帰国後、「日本の良さ」「日本人の幸せさ」を人に語ることが多い。僅か二ヶ月だが、俺もその例外ではなく、(当地にいる駐在員や、いろんな企業から研修に来ている研修仲間も例外ない)日本のすばらしさについて、涙が出るほど感激する。その帰結として、当然「一体何が、このすばらしい国を造りあげてきたのだろうか」という問いを自分に発してみることになる。幾分話は横道に逸れるが、防衛問題においても、「非武装中立論」が横行し、世論は、防衛力増強と聞くとジンマシンを生じる程、「国を守る」「日本を守る」ということはタブー視されている。一方では「歴史は繰り返される」という論理を基に、「防衛力増強は、戦前の軍国主義に繋がる」と主張し、一方では第一次大戦や第二次大戦において「中立」を宣言していたベルギーやスウェーデンが、その戦略的・地理的重要性故に、無惨にもその「中立」が踏みにじられた「歴史的事実」を返りみようとはしない。これほど論理の矛盾があろうか。曾て、アルザス・ロレーヌが、独、仏で争われたのは、その土地が大いに魅力的であったからである。今、世界経済を牛耳る可能性を持つのは、その工業力、最高水準の技術であり、そして、優秀な労働力である。これらすべてを合わせ持つ日本が、犠牲を伴うことなく戴けるというような話があれば、少しでも野心のある国なら狙わない方がおかしいといってもいいだろう。
しかるに、マスコミや世論は、「国」を強調したり、「国を守る」ことを否定的に解する。もしこの幸福の国を守り切れなかったならば、それは、「歴史への冒瀆」であると言っても過言ではない。それほど、(飽くまで相対的なものかもしれないが)日本は幸せな国である。

何故、こういうことを書いたかと言えば、お前の手紙の中に「ブラジルの魅力は、可能性にあるのか、障碍にあるのか。人間性が豊かであるとか、社会を本当に豊かにしているのは、可能性の側の人間か、障碍の中に住んでいる人間か、といった視点から見てほしいと思う。もちろん、ブラジルの現実を知らない俺の甘い視点だとは思うが」というくだりがあったが、最後の部分でお前が自ら指摘しているように極めて甘い視点であるということを言いたかったからだ。
このような視点は、極めて豊かな人間のみが持ちうる視点だからだ。ブラジル人の50%近くの人間は「精神的に豊かである」なんていうのは二の次で、「腹一杯食えること」が幸せなのだ。正確な記憶ではないが、有名な社会心理学者(マズロー?)が、人間の欲求五段階説か何かを主張していたと思う。1 生理的欲求 2.安全の欲求 3.親和の欲求 4.社会的欲求 5.自己実現の欲求 だったような気がする。
人間、1の生理的な欲求が満たされていない時、たとえば、一週間も食事らしいものをしていない時に、愛も恋もあったもんじゃない。また2の安全の欲求に関して、いつ何時に、強盗、殺人犯が侵入してくるかわからない状態にさらされていて、落ち着いて愛を語ることはできないだろう。俺が「リオには社会的障碍の縮図がある」と書いたのは、街を歩いていて、いつ強盗に襲われるかもしれないという恐怖に、毎日おびえていて、しかも、乞食同然の人達で溢れかえっている状態を見て、そう書いたのだ(勿論、それ以上の要素もたくさんあるが、ここでは割愛する)。
 
今の日本は、ほんの一部の例外を除いて1、2、3の欲求は満たされているといってもいい。4、5の欲求は言い換えると「幸福追求の欲求」と言えるだろう。より上位の欲求を追及している人間が、下位の欲求で精一杯の人間をつかまえて、あれやこれや論ずるのは、御門違いのような気がする。勿論、ブラジルの中でも、4,5の追求をしている人もいるが。日本のように、ほとんどすべての人が4、5の追求、すなわち「より幸福に」という命題を追いかけている国は(ほんの一部の豊かで人口過少な国を除いて)世界にはない。じゃあ、なぜ、日本人の幸福追求が飽きることを知らず、かくまで執拗なのだろうか。

(2)歴史的な反省における偏り
 この執拗な幸福追求の原因は様々な要素が挙げられると思う。例えば「せめて人並みには・・・」という言葉が端的に現している。異常なまでの平等感覚、従って人が自分より少しでも幸福そうに見えると、それに追いつこうとする。明治以降、日本という国そのものが、そうであったといっていい。また独立心が希薄で、いい意味での個人主義が発達していない(発達しない)為、運命共同体や自分達が嫌っているはずの国家に依存する傾向が強く、結果として、千差万別であるはずの幸福感(または幸福観)が、ほんの幾通りかのパターンに別れ、それぞれのパターンを、運命共同体や国家に要求する。そして、それが集団心理、群集心理を呼び起こして、それほど真剣に考えていなかった人までが、声を大にして叫ぶようになり、「幸福追求運動」が起こってしまう。独自の幸福感(幸福観)を見い出せず、統計によってはじき出された幸福や、人に乗せられた幸福感(幸福観)を共有する人が多くなることもその原因の一つであろう。

しかし、俺がここで言いたいのは「歴史的な反省における偏り」、それも自ら、知識人と思っている層の「偏視」が、その大きな原因であるということだ。
端的な例が公害問題である。先程の例でいくと、日本がまだ満足に食べられる状態でなかった、すなわち、1、2、3の欲求を追及していた頃、全社会的に「豊かになろう」ということが至上命題であったはずだ。雇用も決して満足でなかった為、貧しい地域は競って企業誘致を希望したものだ。新産都に指定された地域がどれ程喜んだかは、大分を見てもわかる。企業・工場の立地により、法人住民税が県や市町村に落ち、雇用は促進され、商店、デパートは賑った。そして、だんだん(目に見えて)その地域は豊かになっていった。日本全体が、そうであったろう。そして、ほとんどすべての家庭(少しオーバーだが)に、カラーテレビは当然、ステレオや車(これも少しオーバー)が普及し始めた頃、公害がクローズアップされ、企業=悪であるかの如き論調がマスコミに登場してきた。企業そのものや、その企業で働く人間は、まるで犯罪者のような扱いを受けてきた。

俺はここで、公害は仕方なかった、必要悪だなどというつもりは毛頭ない。貴重な人命を害し、人に恐怖を与えた罪は、非常に大きく糾弾されてしかるべきだと思う。
ただ、俺が我慢ならいないのは、結果論を、原因論(始めた当時の判断論といってもいい)に遡って、非難していく、マスコミ、世論の論調である。
ここに食料を僅かしか持たない登山家が三人居たとしよう。八合目にさしかかった時、大きな岩壁が目前に立ちはだかったとしよう。全く迂回できないとか引き返せないわけではない。三人のうち、二人はどちらに進むべきか迷っている。そして残りの一人が「食料も僅かだし、迂回するよりは慎重に岩を登っていこうではないか」と積極論を吐く。そして二人がそれに同意し、三人で登っていった。そして、登山中に、一人が転落して死に、残り二人は頂上に到着した。頂上に登ってはじめて、迂回路は案外楽なルートで、食料も持ちこたえられたかもしれない距離だったことがわかった。
マスコミは、「何故、岩壁に登り始める前に、もっとルートをよく調べなかったのか。よく調べれば、迂回路の選択も出来たはずだ。積極論を吐いた人間に責任があるのではないか」と書いてくるだろう。確かにこの指摘は間違ってはいない。しかし、その場に居た、一番切実な者が三人合意の上で始めたことであり、また、迂回路は楽だとは言えても、そこで事故が起こらなかった保障はどこにもない。それに何よりも、その時点で迂回路が楽なルートであったと誰が判断できたか。あるルートを選択して始めて、迂回路(別の道)の方が良かったと判断できたわけだ。

ここまで書けば、俺の言いたいことはわかってもらえると思うが、日本のマスコミ、世論、そして、文化人、知識人と称する輩は、現在の価値観を基準にして過去を裁くという愚を繰り返しているわけだ。一番困った問題は〔200年前とか500年前の人間を現在の価値観で裁くのはまだいい。(というのは、裁かれる者の直接的な苦痛、被害はないから。それでも俺は、現在の価値観を持ち出すのは気に入らんが、まだいい)〕現在、生存している企業なり人間なりを裁く(特に「力」を持っていれば、なおさら)ことに、生き甲斐を見出している姿勢だ。あること、ある人が契機で物事が始まり、ある時、その結果がでる。その結果を論じ、その原因を、あることや、人に遡って論ずることは楽だ。
歴史をもし、実学とするならば、それは過去の例を学ぶことにより、末来を予測できるということに帰結すると思う。であるならば、歴史を学ぶことは、ある歴史的事実が、現実にどのような影響を与えてきたのかという結果を重視すること(それも重要な要素ではある)よりも、その当時の、環境、価値観を徹底的に見つめ、自分の頭を一度その当時に戻してみることが一番重要なのではなかろうか。この訓練が出来てはじめて、その当時である現在から、現在である末来を予測できるのではないか。結果論のような簡単な議論を持ち出してきて文化人や知識人とは聞いて呆れる。

しかし、一方でこの「歴史的反省における偏り」が、他人や社会に影響を及ぼすであろう人や組織、制度が何かを決定し行動する際、異常なまでに「将来から裁かれること」を警戒し、自重させる効果をも生み出している。
こう書くと、お前やマスコミは、その効果を狙って敢えてそうしているのだという議論を吹っかけてくると思うが、それならば、歴史への偏りのない反省をした後で、今後憂うべき問題について論ずるべきで、もし、その効果を狙うあまり、敢えて歴史的反省を偏らせているのであれば、それは、読者や非知識人をバカにし過ぎていると思う。その傾向は、ナチスの扇動と紙一重である。とは言え、この偏りがあるが故に、「あの時ああしとけば、今頃はもっと幸せになっていた」という風潮を充満させ、国家や力があるものをして主要目的のみならず、それに影響されて起こるであろうあらゆる目的の効果まで考えさせることになり、幸福追求の欲求が、二重、三重の重みを持つに至っていることは確かだろう。

さて、ここまで書いて、俺が一体全体何を言いたいのか。それは、お前も、歴史的な反省における偏り傾向があり、その結果、2重、3重の幸福追求をしているということだ。

これから先は、お前の手紙にあった「エリート」と「非エリート」の部分に焦点をあてて、そしてお前が今後、何かを人に訴えていく際に、俺がお前に期待するある方向について書いていくことにする。もっともこの時点ではやはり漠然としているので、またしても軽い論文調で書いていくことにしよう。

2. 戦後の日本における平等感覚とそれが生み出す社会的弊害

(1)感情や事実の認定と道徳論・理想論から来るその拒否反応
部落問題で、人を差別することはいいことだろうか?答えは簡単。よくない。部落出身者であることを知らず好きになって、後で部落民であることを知ったとする。好きになってしまった以上、部落民であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことだ。好きになってしまっているのだから。
では、人種差別をすることはいいことだろうか?やはり、よくない。上の例と同じく好きになってしまったなら、人種などどうでもいいことだ。道徳論、理想論、理性の力を借りれば、上の二つの例は全く同じことのように見える。しかし、実際は、かなり次元が異なるように思える。今、洋を問わず、15、16世紀以来、あらゆる分野で西洋が支配的であった為、その価値観や美的感覚に至るまで、西洋色で塗りつぶされているからかもしれない。しかし、西洋人を知らなかった時代から「色が白い」ことは、美人の一条件とされていたことを見ても、ただ、西洋が力を持って世界を支配していたことに原因を持つ美的感覚のせいばかりでもあるまい。日本の少年少女マンガで登場するカッコイイ彼氏と、カワイコちゃんは、みんな、足が長くて、目が大きくて、鼻が高く、まつ毛が長い。人形にしても何にしてもそうだ。これらは、みんな、ヨーロッパ人種の持つ人種的特徴だ。かなり乱暴な言い方をすれば、全人類を魅了する「美」の分野において優れ、且つ、文明尊重の時代にあって世の先鋒を行く白人たちが、他人種を多少低く見ることは、「感情」の世界では仕方のないことかもしれない。
くどいが、理性では「そんなことあってはいけない」ということはわかっている。しかし、ほとんど本能といってもいい感情において、それは「事実」として存在するように思われる。日本人の中に多いうわべだけの人道主義者たちは、かかる「事実」を認識する(その事実があるということを理解する)人間をつかまえて、「非人道的人間」扱いすることがよくある。世論、マスコミ、また“現実を見つめず、人間の本性をも見つめない”知識層にもこの傾向が強い。事実を認識することと、“それをよし”“それでいい”と思っていることは全く別問題であるにもかかわらず。
そして、多くの人が、この“非難”を恐れて、事実認識をはっきり表現せず、みんなに嫌われないように、曖昧に理想チックな発言をしているのではないか。
その事実認識にこそ、物事の本質が存在する場合が多いのに!このうわべだけの道徳論、理想論から来る「事実認識」の拒否反応こそ、「平和都市宣言」とか「戦争反対決議案」など、現実的な解決策など、何一つ実行できず、かけ声だけの、(声を出すことによって落ち着くだけの)目的設定がされる所以であろう。

(2)「敬」という概念が潜在的偏見を払拭させうる(?)
黄色人種たる俺が、ブラジルで劣等感を持っているかといえば、それはほとんどないといっていい。唯一あるとすれば、体格におけるひけ目くらいだろうか。逆に“Japanese or Chinese?”と尋ねられたら、自身を持って“Japanese”と答えられる。本当に神に感謝しなければならない。それは多くのブラジル人は「Japaneseは、頭が極めてよく、従ってtecnica(工業技術)が発達し、その結果、国土があんなに小さいにも拘らず非常に裕福である」と日本人に対して尊敬の念を持っているからだ。中国人や朝鮮人に対しては、それほどの親しみは持ってないようだが、こと日本のこととなると、急に好奇心旺盛になり、あれやこれやと質問してくる。そして、多くのブラジル人は、日本人は、日本語は勿論、英語、ポル語、それにもう1ヵ国語しゃべれると思っている。(ex.フランス語、スペイン語)、ブラジル人の英語力は非常に低く(英語の先生よりも俺の方がよく知っているかもしれん)。それ故、大学出の日本人は例外なく、当地では英語が話せる人になる。おまけに、フランス系のブラジル人であれば、あいさつ程度フランス語を知っており、我々は勿論、それくらいは知っている。(同じように、スペインやドイツ系しかり)。それ故「大学教授と思われているのではないか」と思う程、「あなたは一体何ヶ国語しゃべれるのですか」とか聴かれたりする位だ。

では、人種のるつぼブラジルには人種的偏見が全くないのかといえば、表面はともかく、実際にはかなりの偏見がある。白人は金持ちから貧乏人までいるが、黒人はほとんどが貧乏人であるし、教育もなく、職も限られている。肌の色が濃くなればなる程、貧しくなるといいっていいだろう。
では、少しは偏見で見られるはずの日本人が、(事実における偏見感情は100%払拭できないかもしれないが)なぜ尊敬の念を持ってみられるのか?
それは人種以外の部分で、多くのブラジル人が追求している幸福の要素を、日本は既に自分のものとしており、彼らにしてみれば「自分達より優れた民族かもしれない」という気持ちもあるからであろう。ヨーロッパ本土において日本経済には一目置いても、日本人に対しては、相変わらず黄色人種の一民族という見方が多いのは、日本がここ100年追求してきたものは、自分たちが既に得ていたものであり所詮「成り上がり者」という意識が残っているからだろう。

先日の朝日新聞に(一週間遅れで当地に届く)、日本人青年があこがれのフランスに行き、そこの外国人部隊(軍隊)に入隊したが、「東洋人というだけで、ひどい差別を受け、涙ばかりこぼれる毎日だ。早く日本に帰りたい」と話していたという日本人の記事が載っていたが、日本とフランスほど、片思いの滑稽な関係はない。これも事実(感情の世界)認識を欠く典型的な一例だろう。

「日本人がブラジルにおいてどういう風に見られているか」ということをどうして書いたかと言えば、「一道に秀でた者」(特にその道が自分たちの目指す道であれば尚更だが)に対する「敬」の念は、人種的な偏見という事実を払拭させうるのかもしれないということが言いたかったからだ。そしてこのことは、戦後の日本の教育や、何を以ってすばらしい人間とするかといったような、お前の疑問に対する将来的な解答のヒントになる事実だと思うからだ。

(3)事実を認めたがらない(「差」を「差別」と置き換えることによって事実を曖昧にし、責任転嫁しようとする)平等感覚
――「能力=資質+努力」という恒等式(事実)を「能力=努力 プラスα(環境など)」と信じたがる平等感覚――

最近これだけ「バイオテクノロジー」、「遺伝子組み換え」など話題になっていながら、『人間だって、顔が親に似るように、遺伝子が親の資質を子供に伝えていく、頭のよくない親からは、頭のいい子が生まれるわけがないではないか』などと、もし文部大臣が発言しようものなら、世論、マスコミ、日教組はじめ、日本中で袋叩きにあうだろう。ほとんど防衛力増強と同じで、日本においてはタブーの領域だ。

ほとんど全く同じ環境で二人の血縁のない赤ちゃんを育てたと仮定して、10年後には、かけっこして、どちらかが速く、どちらかが遅くなるのは目に見えている。資質が違うから、これは仕方ない。かけっこには努力の限界がある。陸上選手のカール・ルイスは、神や親が与えてくれた資質が9割。努力が1割程度で4冠王になったと思う。同じように(狭義の)能力も努力だけでは限界があるだろう。

学校教育そして家庭教育においては、この「天性の質の差」を大前提として教育をしなければ、かえって不平等になるにも拘らず、「質は大差ない。努力が大事だ」と信じ込みたがる。質のよい子、質の悪い子をそれなりに教育しようとすれば、それは差別と見做される。その結果、学校では質の悪い子にレベルを合わせて、質のよい子を塾へと駆り立てる。一方、質の悪い子も「努力さえすればなんとかなります」とママゴンに激励されて、やはり塾へと通うことになる。
「事実を認めたがらない平等感覚」が、子供達を不幸へと導いている。俺は、ここで「頭の悪いやつは努力をしても無駄だから、それなりに分相応に生きて行け!」なんて理不尽なことを言うつもりは毛頭ない。お前も俺も「できる子」として育ってきて、「できなかった子」の気持ちになり変われといってもできるものではないが、お前と俺と共通していることは「すべての人々がなんとか幸せに生きていけないものか」という問いを常に自分に発していることだと信ずる。
それ故、日本の家庭で子を持つ親の多くが「できることなら東大に入ってほしい」と思っている現状において、東大を卒業した俺が、できる子側の論理だけで書こうとしているのではないことはわかってもらいたい。それだからこそ、「質が悪い子」などという、世間から非難されるような言葉を遠慮会釈なしに、事実認識に基づいて書いていこうと思う。曖昧に表現する者こそが、「できる子側」から物を見ている輩だと信じて疑わないからである。ではどうして、日本中が、この狭義の能力にこだわるのであろうか?

3. 全く多様化していない幸福の最低線観

(1)世間体と物質的豊かさの追求
上で書いた狭義の能力の有無だけが、上位学歴への唯一の武器であり、より上位の学歴を持つ者が大企業への就職に有利であることは事実である。そして、大企業への就職は、終身雇用が保障されている現在、帰属集団を執拗に気にする日本人の世間体を満足させる。そして、収入面においても、世間並から言えば、並以上の収入を保障される。この並の基準は年々上がってゆき、並の前後にいる俺などは、ブラジルでは大統領並の高額所得者だ。日本人の多くは欲求段階で言えば完全に低位の段階を過ぎているにも拘らず、未だに物資的豊さを追求している。

(2)旧憲法、旧民法下における実質的な価値観の多様性 
旧憲法、旧民法下における人々が幸福であったか?恐らく大部分の人々が窮屈な思いをしていたであろう。少なくとも現在に慣れてしまった我々が、とても暮らしてはいけないだろう。しかし、現在の教育環境の弊害を考えると、多々学ぶべき要素があったと思われる。勿論、旧憲法、旧民法の所産というよりは、農業経済中心の中での殖産興業や閉鎖性の強い村落中心の社会環境の賜物かもしれない。
この当時の帝国大学卒業生は、決して自分たちが一番偉いなどと思うことはなかった。もし思っていたとすれば、それは、自惚れというよりは、大学や旧制高校にいけなかった人々に対する責任感、使命感というものであったろう。なぜなら、当時の長男は、頭が良かろうが悪かろうが家業を継ぎ、次男以下が殖産興業体制の戦場=都会へと出て行ったから、大学出の人間よりは駄菓子屋のおやじの方が本当はよくできたというような例はざらにあったからだ。それ故、大学出という肩書は、人数が少な過ぎる為、かえって、特権階級としての意味はなさなかった。そして、現在の我々の3~4倍は勉強・議論していたであろう。彼らは「本当に自分たちの環境が恵まれていたからこそ、勉強できるのであって、家庭環境のために頭もよく勉強もしたかったのに、それができなかった人たちの分まで勉強しよう」という気持だったと思う。
今現在は、「学力の有無が、人間の優劣」の重要な指標になってしまっている。そのことはいいか悪いか(後者に決まっているが)しばらく置いといて、一部の例外を除いて、ほとんどすべての子供たちが、一様に、一流大学を目指して努力している現状で、一流大学に行けた者が有頂天となり、いけなかった者が劣等感を抱くのは仕方ないとさえも言える。しかも、人間の優劣における自負と劣等感を感じさせるだけでなく、先程書いたように、一流大学  一流大企業 というコースは、世間体と物質的豊かさをも保障してしまうわけだから、たちが悪い。
人間誰しも、豊かに暮らしたいと思うのは仕方ないにしても、受験競争に勝ち抜いて行くことが、人間としての自負までも感じさせるというのは、納得できない。

極端に言えば、今現在、価値観の多様化といわれているのは、一度は、受験競争、出世競争に立ち向かっていき、そこで破れた者か、それらに勝ち抜いて余裕の出た者、そして、本当は、それらに勝ち抜いていけたんだが、敢えて立ち向かわなかっただけさ、というように潜在的な実力を何らかの形で(ex.本を出すとか)表現できる者たちが、その競争社会に批判的な価値観を持ち出しているだけで、競争というものが契機になっている以上、本質的な意味で多様化しているとは言えないのではないか。
旧憲法、旧民法下における価値観は、国体に関する認識は別として、人間の尊厳に関しては、かなり本質的に多様化していたように思われる。繰り返すが、今から書くことが、今現在の価値観や評価に値するかは知らない。当時に頭を持っていって論ずるのだ。そして、それが現在への示唆に富む。

なぜ多様化していたのか?第一は、東洋的思想が体内の骨肉となっていたこと。公式文書が漢文でなくなったのは、つい最近のことで、明治時代などほとんど漢文であったことをみても、当時の教養の大前提が東洋思想であったことは間違いない。
儒教においては、頭が切れて智恵の働く人間を「小人」「才子」と呼ぶ。そして、人間的に豊かで人に信頼され尊敬される要素を持つ人を「聖人」「有徳の人」と呼ぶ。小人、才子は字から想像される程、悪い意味ではないのだが、「あの人はどういう人か?」ときかれた時、その人が、60%の頭のよさ、40%人間性であれば「小人です」と答える程度の意味だ。だから、小人であるか、有徳の人であるかは、絶対的な基準があるわけではなく、一個人が内部に持つ諸要素の相対的な評価であったといっていい。だから、小人と呼ばれる人でも、その器自体が大きければ、徳のある人より、徳の要素を多く持っている人も居たわけである。
しかし、事実として器の大小は個人差がある為、そこは強調せず、「一人の人間として徳のある人」と呼ばれるように努力しなさいという教育は、学校、家庭教育において、かなり強調されていた。従って、学校出の人は、才子としては認められても、徳がなければ、「人間」としてはあまり評価されない風土があったといえよう。だからこそ、帝国大学出のエリートたちは徳を積む為に、日夜議論し、修行していったのだ。

多様化の第二の要素は、「金」を賤しむ風土である。これも東洋的思想と江戸時代の士農工商の影響だろう。いくら徳のある人だと言われても、食っていけないのであれば、さすがに徳人たる余裕を失うであろう。従って、やはり、豊かに暮らすということは、人々の共通した願いであったろう。しかし、「金」が絶対ではなかった。かえって、「金」を強調し過ぎる人間は軽蔑された。
今の世の中、ある意味では、金全盛の時代であるとも言えるが、明治~昭和初期までは、金持ちは実質的な豊さを享受できたが、それだけで人に対して優越を感じることはできなかった。もし感じたものがいるとすれば、それは小人というより、徳のない人間だったのである。

以上を整理すれば、人間、「ザイン=存在」としての物質的豊かさとか、学校出として受けるメリットとかは、それなりに評価され、自己満足もできたであろうが、それらは絶対的なものではなく、「ゾルレン=当為」(こうあるべきである)としての人間性追求(目に見える形での幸福ではないかもしれない)、有徳の人を目指す傾向が意識、思想の中では共通項であった為、これらが、社会的な家父長制度とも相俟って、実質的な価値観を多様化していたのではないか。

(3)全く多様化していない幸福の最低線観
現在は、先程書いたように、ある時点まで、共通した価値観(=競争で勝ち残れる人間が優れた人間)を追いかけ、一部の人間だけが、ある時点、その価値観に反発して、他の方向を見出そうとしている。
なぜある時点まで共通した価値観なのか?それは、世の親たちを中心として、ほとんどの人々が持つ幸福の最低線観が一様であるからだと思う。そしてそれは、人間の尊厳に対する哲学の欠如から来るものだろう。
「食べるのに不自由させたくない」「せめて人並みに大学くらいは出てもらいたい」「世間で恥ずかしくない程度の企業に入るなり、職についてもらいたい」といった具合に、世間の目と物質的な豊かさを最低限必要な幸福の要素だと共通して思っているようだ。そして、その原動力は、いい学校を出ることにあると思っている。
今の日本(この幸福な国を存続させることは非常に大事なことだが)、中学校卒でも、他の国と比べたら、十分、最低線以上、食っていける。ブラジルに来れば上流階級だ。従って、低位の欲求である物質的な豊かさは、この日本の経済力を維持していくことである程度、解消できる(もっとも、日本人がこの欲求追求は飽きる処を知らないだが)。そして、人間にとって何が大切なのか、どう生きていくのが本当の幸せなのかという上位の欲求については、人がどういおうと、「私はこれが一番大切だと思う。私は私なりの道を歩いて行きます」という人間の尊厳や人生についての独自の哲学を持つことが、一番大切なことではないのだろうか。

4. 結論・・・・・隆一への期待

(1)歴史的反省の偏り、責任転嫁によって甘えるのはよせ!
隆一よ、お前が救いたいと思う人たち(おまえ自身も“何か”を見つけ出して救われたいと思っているだろう)に対して、お前は『希望を与えろ!』『決して避難場所を提供するんじゃない!』と俺は言いたい。お前が「経済力・国力強化の為に、人々を人間疎外に陥らせる学歴、産業の競争社会の中に入れ込み、その為に、その価値観の中での「非エリート」たちが悲哀を味わっているのがどうにも許せない。今のエリートたちは、この間違った価値観の中のエリートであって、人間的なエリートではあり得ない」という気持ちを抱くのはよくわかる。
しかし、歴史なり、人間なりをもっと大きな目で見てみろ!そのエリートたちも本当はその歴史、その価値観の被害者かもしれない。人間的には弱いが、ただ勉強ができるというだけで、大きな期待を両親はじめ周囲から与えられ、試験に勝ち続けて、重要なポストに就き、その結果マスコミには狙われ、そして人間的には弱いが故に、その重圧に耐え切れず不幸になる者もいる。結果論としては、戦後誰かに「経済の優位性」の旗の下、資本主義的論理を貫徹する為に人々が利用されたという見方もできるだろう。
しかし、第一章で俺が書いたように、それは、現在の状態(経済的に豊かになり、生理的欲求や、安全の欲求が満ち足りた状態)が出現して初めて(過去を振り返って)言えることであって、当時この路線を歩み始めた時期の選択しとしては、決して間違った方向ではなく、いやbetterの方向であったと思う。

そういう方向に歩んできて、その目的とした効果が現れてきたからこそ、今「教育はこれでいいのか?人間の幸せって何なんだ?」という問いが余裕を持って発せられるのだと思う。じゃあ、今の現状は、ベストの選択をしてきた結果だから、仕方ないじゃないか、と割り切れるかといえばそうではない。やはり結果論として、しかも、現在の価値観からすれば、決して喜ばしい状態ではない。ではどうすればいいのか。
結論は簡単だ。それは『精神的に余裕ができる程度の経済力(物質的豊さ)を維持しながら、すべての人が、人間の尊厳や、自分の人生についての独自の哲学をもって生きているような社会』を造ることだ。
しかし、これは両方とも言葉では簡単だが、実際面における徹底と普及ということになると極めて難しいと言わねばなるまい。

俺としては、将来的に両方とも社会に貢献したいと思っているが、若い時期においては職業にも現れているように「豊かさの維持」を担ってゆくことになると思う。
お前は、後者に貢献すべく、物書きを志したはずだ。ところが、お前の物の見方、視点は、歴史的な反省に偏った視点で見て、それを歴史の流れや社会(そして、その社会を造ろうとしたエリートたち)に責任転嫁し、その流れや社会に同化できなかった人間には、『君たちは、間違った社会的方向の犠牲者なんだよ。今、時めくエリートたちばかりが、人間的にすばらしいわけでは決してないんだよ。そのエリートや、彼らが造った社会の価値観がおかしいのであって、見方を換えれば君たちだってすばらしい人間なんだよ』といわんばかりに彼らに避難場所を提供しているだけではないか。
そんな後向きの姿勢にみんなが付いてくるはずがない。前向きな『希望』を与えるのがお前の役目だし、生き甲斐ではないのか?お前にとって今必要なことは、大~きな目でいろんな角度から、いろんな立場から物を見ることじゃないのか?
まず、歴史を見る時、偏りを捨てること、民衆の苦しさを理解すると同時に、社会的な使命、責任を感じながら、先頭に立っていた人々のエリートとしての苦悩や夢、希望、理想をも好意的に理解しながら歴史を見てみたらどうだ。如何に夢や理想が立派でも、結果として悪い結果がでることはよくある。その時は、その時で責任を追及する必要がある。今の日本人、とりわけ、進歩的知識人は、社会のトップを好意的に見ようとは決してしまい。物事をいろんな角度から見ることが必要ならば、好意的に見ることも必要ではないか。彼らの苦悩・理想を好意的に見ることと、彼らを評価したり、追随すること、そして彼らの為した結果をよく見ることとは全く別問題である。
野党に信頼感がないのも、この理由によると思う。一度は、あらゆる角度から物事を見て、出した結論なり決断は信頼感があるが、偏った物の見方からは信頼感は生まれてこない。常々言っていることだが、お前の立場は今決してエリートとは言えない立場だろう。そして、非エリートの代表だという気概があるだろう。しかし今のお前は、(東北大学の学生であった頃の自分や、磯崎の言動、一部俺の言動から類推しての)エリートの気持ちは飽くまで想像に過ぎず、非エリートの側だけの立場、物の見方しかしないから、今一つ説得力に欠けるのだと思う。もっと積極的に世界を拡げろ!お前ならやれる!

(2)終わりに
俺は、東大出身者の並感覚から言えば既にエリートではなくなっている(勿論、世間の目では、俺自身が東大出身者ということで、エリートであるといやでも自覚させられるということはよくわかっているが)。しかし、俺は、並以上の教養人であることを自負している。何故こう書いたかと言えば、俺は、自分がどう見られているかという客観的な側面と、自分の立場が一体何処にあるのかという主観的側面とを決して忘れることなく、しかも、俺のような立場にない人々も含めて、いろんな立場の人々や社会に貢献したいと思う。
「お前なんかに、非エリートの気持ちがわかってたまるか」と言われても、それをやりたいと思っている。俺とのcommunicationが出来る人たちに、独自の哲学を持ってもらう為に、日本という国のすばらしさ、先輩たちが残してくれた、東洋の知恵のすばらしさ、自分というもの、自分を育ててくれた環境のすばらしさを再認識してもらうような活動をするつもりだ。
勿論、非は非として認めながら、文筆活動や政治活動によってその範囲を拡げたい気もするが、まずは、「豊かさの維持」分野で行動して、その傍、communication可能な範囲で、上のことを主張していくだろう。
お前には、この章の(1)で書いたことを(えらそうだが)忠告して、もっと広い範囲の人々に影響を及ぼしてもらいたい。そして、お前が俺に書いてくれたサイクル 『自信 → 幸運 → 自信』ではないが、『広い世界に入って、多方面から物を見る努力 → 高い作品の評価 → 自信 → エリート界にも物おじせず入っていく → エリート界の気持も理解 → より広い視野 → 以前よりも深い非エリート界の理解 → いい作品 → 自信』 というようなサイクルを歩めるように期待する。

まだ書きたいことはたくさんあるが、かなり疲れてしまった。ちょっとした論文の量になってしまったからな。しかし、こうやって歯に衣を着せず物が言える友を持っていることに感謝する。書いてきた内容は、人の受け売りや、引用はゼロで、俺のまったくの独断、偏見なので、論理的な矛盾や、舌足らずの部分がかなりあると思われるが、日頃よく意見交換しているので、大方のことはわかってもらえると思う。まともな返事となると時間がかかるかもしれないので、とりあえず、読んだ感想でも、早々に送ってくれ。この手紙を書くのに7~8時間もかかってしまった。途中、手が疲れて何度も休んだが。
 
今日はこれ位にしておこう。感想の方は早めに送ってくれ。じゃあな。

隆一へ
1984年10月8日
吉良より
P.S  MrはSr.(セニョール)だ。