吉良からのメッセージ

2016年1月8日

年金生活者等給付金のばら撒きと民主党政権の子ども手当

補正予算の中で1100万人に一人3万円を給付する年金生活者等給付金は「選挙目当てのばら撒き予算」だとして糾弾しましたが、この指摘に対して、民主党政権時代の「子ども手当」もばら撒きだったではないか、との意見をもらいました。実は、岡田代表が本会議で演説している際にも同趣旨の野次が自民党議員から発せられていました。

予算といえば「利益配分」と思っている方々にとっては「お金を配る」ことは「利益配分」または「ばら撒き」と映ってしまうのでしょう。しかし、民主党政権時代の「子ども手当」は、我が国の経済社会の成熟化、グローバル化という時代の変化に対応したある種の社会政策であり、ばら撒きとは程遠いものです。

確かに、所得制限を設けなかったことは間違っていたと思います。高額所得者まで子ども手当給付の対象としたことで「ばら撒き」と批判を受けたことは当然ともいえます。また、民主党議員自身が「子ども手当」の「真の意義」について説明することができていなかったことも確かだと思います。
私は所得制限を主張し、「真の意義」についても訴え続けていましたが、力不足で所得制限を盛り込むことができなかったことについては申し訳なく思っています。

しかし、年金生活者等給付金と子ども手当が同列に扱われ、「ばら撒き」と非難されることは看過できません。あらためて子ども手当の真の意義につき、私の所見をお伝えしたいと思います。

大前提として、親の経済力の差によって、子どもたちの学習する機会、進学する機会、将来の職業選択の機会に差があってはならないことは言うまでもありません。しかし、その親の経済力に大きな差が生まれてきています。それも生涯に亘る経済力の差です。
昭和時代はまだ終身雇用、年功序列賃金が一般的で、多くの若者が中間層を形成する世代として、若い頃は給料が安くとも、一生懸命働き続ければ給料も上がり、将来への安心に裏付けされて、結婚、子育てが思い切ってできる時代でした。
しかし、時代は大きく変わり、社会の成熟化、グローバル経済化により「額に汗して働けば、食っていける」という神話が崩れることになりました。専門性をもたない労働は中国や東南アジアなどの発展途上国の労働力と直接間接に比較され、賃金が上昇しないばかりか、将来的に下降するリスクに晒されるようになったのです。

昭和時代の年功序列賃金体系(結婚、第1子・第2子の誕生、こどもの各就学時に給料がアップする仕組み)が崩れつつある現在、子どもの誕生や就学などかつて年功序列賃金制度が担っていた部分を社会全体で補助する仕組みが「子ども手当」なのです。

現在、子育てをしている世代は就職氷河期世代と重なります。この世代の特徴は、受けた教育は古い時代のまま、社会に出る頃はグローバル経済化が進展し、バブルの崩壊と失われた10年の真最中且つ就職氷河期でした。再起を期そうにも、いい職に就くには専門性を要求されますが、短期の自己投資ではとても「専門性」まで届きません。このような環境下で将来的な夢や希望が持ちづらくなっている世代です。この責任を彼らだけに押し付けるのはあまりにも理不尽ではないでしょうか。

このように将来に不安がある時代だからこそ、『子どもは国の宝、社会の宝』という意識を持って、社会のみんなで子育て世代を応援する必要があるのです。雇用上の将来不安はあっても、社会のみんなが支えてくれるという安心があれば、思い切って結婚し子どもを育てる勇気が沸いてくると思うのです。かけがえのない将来世代のために、国を挙げて子育て世代を支援していく必要性を痛感するのです。
 
同時にこれからは、家庭、社会、自治体、国を挙げて、専門性を持った人材、グローバル経済下の世界で通用する人材を育てる必要があります。これは何も「できる子ども」だけの話ではなく、全ての子どもたちに懇切丁寧な教育をほどこして、実現していかなければなりません。

時代は大きく変わっています。国内的な少子化高齢化という人口構成の変化、終身雇用・年功序列賃金の変質、国際的にはグローバル経済の進展という環境変化への対応策としての子ども手当なのです。

吉良州司