吉良からのメッセージ

希望の党の公認に

一昨日(10月3日)、「希望の党」の公認となりました。

前回、お伝えしたように、今回は「民進党公認」という選択肢がありません。それゆえ、「希望の党から出ることになるだろう」と前回のメルマガでお伝えしました。それ以降に、「排除の論理」や政策協定への署名を含む多くの全く予期せぬ「壁」が出てきました。屈辱心と戦いながら超えねばならない「壁」です。全ての民進党前議員が追い風を求めているわけではないのに、全員が希望の党の風を頼りにしているように見えてしまう「壁」でもあります。

もし、希望の党への合流を決めた9月28日の民進党両院議員総会において、この「壁の存在」が示されていたならば、多くの議員が「合流」という名の「吸収合併」には賛成せず、結果的に合流はなかったと思います。私も合流に強く反対したであろうことは間違いありません。この一連の流れについての複雑な思いは、選挙が終わったあとに改めてお伝えしたいと思います。

この「壁」の存在を知った時には無所属での出馬を本気で考えました。ぎりぎりまで悩みました。「希望の党」の名が入った印刷物の中止を一旦指示したくらいです。

私には、吉良州司を支え続けてくれる草の根支援者のみなさんと、組織を挙げて力強く支援してくれるみなさんがいる限り、無所属でも戦えると信じているからです。
初めて衆議院選挙に打って出た時も当時の民主党公認要請を断り、敢えて無所属で挑戦しました。そして、みなさんの力強い支援の思いが熱伝導として伝わり、そのお陰で勝たせてもらった経験を持っています。私は、いつ、いかなる時も「風」に頼るつもりはありません。そして、そんな風頼みの選挙で勝とうとすることがあってはならないと思っています。

しかし、最後は、この壁を乗り越えて公認申請を出しました。苦しい決断でした。

前原代表の「名を捨てて実を取る」という苦しい決断の原点に立ち返らなければならないと思ったからです。国民が決して自民党政権を積極的に支持しているわけではないのに、野党が、特に野党第一党の民進党がその受け皿になれていないために、多くの国民は消去法の中で自民党に投票しています。「他の政党よりはましだ」という選択でしかないのに、結果として自民一強体制を許しています。この決して民意を反映していない現状を放置するわけにはいきません。政権を担わんとする野党が結集し、今の自民党政権に不満を持つ国民の受け皿になる政党をつくることによって、何とか1対1の構図に持ち込もうとしているのです。その先にあるのは政権交代です。安倍自民政権打倒のためには、どんなに苦しい壁も乗り越えなければならないと思ったからです。

東京から遠く離れた大分においては、頼りにするみなさんが力強く支えてくれる限り、無所属でも戦えます。しかし、東京をはじめとする大都市を選挙区に持つ大切な仲間は、希望の党との分裂選挙ではほぼ全滅し、結果的に自民党を利してしまいます。民進党として、地方は地方の独自性を尊重するやり方、つまり、民進党公認と希望の党公認の両方の選択肢を残す方法もあったと思います。私もそうしてほしかったと思っています。
しかし、この超短期での全国的な調整は容易ではありません。そして、内部に向けるエネルギーで体力を消耗し、その分本来戦う相手へのエネルギーが弱くなってしまいます。この短期決戦のことを考えると、地方で独自で戦える候補こそ、苦しい中でも我慢をし、全てを飲み込んで前に進む胆力が求められると思ったからです。原点に立ち返って1対1の構図に持ち込まなければ、安倍1強体制の存続を許してしまうと危機感を持ったからです。

その意味において、排除の論理が持ち出され、「立憲民主党」の設立に至ったこと、結果として一部の選挙区でみんなが我慢して目指そうとした1対1の構図が壊れることは残念でなりません。

「希望の党」に公認されたことによる高揚感は全くありません。しかし、何度もお伝えすることになりますが、決して揺らぐことのない私の信念を最後にお伝えします。

私は、自分の所属政党がどこであれ、今回も、吉良州司を支え続けてくれる草の根支援者のみなさんと、組織を挙げて力強く支援してくれるみなさんを頼りとし、大分のみなさんの良識を信じて、あくまで自分の政策を訴えながら、安倍政権打倒に向けての戦いに臨むつもりです。

吉良州司

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