吉良からのメッセージ

9月10日発売「文藝春秋」10月号の同級生交歓に登場しています

今日は、みなさんにお知らせです。9月10日発売「文藝春秋」10月号の同級生交歓に、昭和48年大分県立大分舞鶴高校に入学の、私を含む同級生6人が登場しています。

掲載された文章の基ネタになる原稿は私が執筆していますが、文藝春秋社が、社としての方針と所定の文字数に照らして最終掲載文に収めています。
高校入学、在学当時の状況や各人の特徴的なプロフィールを詳しく文藝春秋社に伝えるため、私の基ネタ原稿では、掲載される所定文字数の3倍にあたる1700文字で綴っています。しかし、6人も登場し、各人のプロフィールに使える文字数に限界があるため、最終的に誌面に掲載された各人の紹介文は、経歴的な部分が中心になってしまい、各人の詳しいプロフィールや特徴が充分に伝えきれていません。
そこで、本メルマガでは、吉良州司が提出した基ネタ・オリジナル原稿を掲載させて戴きます。

【吉良州司が提出したオリジナル原稿】

礒崎陽輔 参議院議員・農林水産副大臣
藤本昌義 双日代表取締役社長
池辺和弘 九州電力代表取締役社長執行役員
太田勝造 東京大学・大学院教授
足立信也 参議院議員・国民民主党政務調査会長
吉良州司 衆議院議員・国民民主党幹事長代理
(上記は、写真の右から順番で掲載)

『我々6人は昭和48年に大分県立大分舞鶴高校に同校の23回生として入学した。同年、普通科進学校の大分県立雄城台高校を新設したため、県下第一の進学校、大分県立大分上野丘高校を含む3校を受験した第2次合同選抜制度の1期生でもある。希望の高校に入れるかどうか蓋を開けてみないとわからなかった入学時の多くの生徒の思いは複雑だった。それだけに、その後の3年間は、悔いのない、とことん面白い高校生活を送ってやれ、と「復興舞鶴」の旗を掲げて、みんなで必死に盛り上げようとした。実際、体育祭や文化祭は大分県一の活況を呈し、文武両道の先頭を駆け抜ける伝統のラグビー部は、我々の高校1年時には全国準優勝、2年時には全国優勝を果たすなど、文武両道の高校生活を謳歌した。
太田勝造は、入学時に総代を務めるなど3年間を通して常に成績は一番。抜群の頭脳を活かして、東大の理科一類からなんと法学部に転じ、現在は東大法学部の教授。数理論を駆使した新規法分野の開拓に勤しむ。
礒崎陽輔は、2年時の生徒会長。「復興舞鶴」を掲げ、複雑事情だった23回生の3年間をみんなが誇れる悔いのない高校生活へと導いた。当時から権力や役所が大好きで、規定路線のように東大法学部から自治省へ。その後参議院議員に転じ、官僚出身者の中でも特に法律に詳しいことから自民党幹部に重宝され、数多くの重要法案の作成に携わる。安倍晋三総理補佐官歴任後、現在は農林水産副大臣を務める。
足立信也は、高校時代から付き合っていた同級生と結婚したことがその後の運命を変える。筑波大学医学専門群に進み、教鞭も取りながら臨床の第一線で医学の道を究めようとしていた時に吉良州司から悪魔の誘いがあり参議院選挙に出ることに。当初悩んでいた足立の背中を押したのが同級生の菜穂美夫人。「小医は病を医す 中医は人を医す 大医は国を医す」との格言を最後の決め手として国を癒すことを決断し参議院議員へ。民主党政権時に医療制度、社会保障の専門家として厚生労働大臣政務官を務め、現在は国民民主党の政調会長。
池辺和弘は、大分県でももっとも山深い村の出身。小さい頃から神童と言われ、越境して大分舞鶴へ。高校時代は本人が言うようにそれほど目立つ生徒ではなかったが、本人もびっくりの東大文科一類に現役合格。九州電力入社後は誰からも好かれる人柄とその童顔に見られる優しさと包容力からか、若くして「将来の社長」として大事に育てられ、米国留学、社長秘書、火力部門のトップなど要職を歴任し、今年6月から予定通り社長に。
藤本昌義は、大分舞鶴に入学後、途中父親の転勤で福岡県立修猷館高校へ。東大法学部4年の就職時期に一年早く卒業し、日商岩井(現「双日」)の人事部にいた、中学2年時のクラスメイトでもある吉良州司から悪魔の誘いが。結局、日商岩井に就職し、自動車などの輸送機ビジネスに携わり、米国デトロイト、ポーランド、ベネズエラ、ニューヨーク勤務などを経て昨年から双日社長に。日の当たる場所だけでなく、経済的混乱が続くベネズエラで投資先会社の立直しにも奔走した。
自由奔放人生をひた走る吉良州司は、東大法学部の異端児として山登りに勤しんだ後、野武士的社風に惹かれて日商岩井へ。日本とは精神文化や国の成り立ちが真反対のブラジルに留学して異文化や冒険旅行を満喫。電力ビジネスを中心に南米、東南アジアを中心に世界を飛び回り、商社マンの総仕上げとしてニューヨークでの駐在生活を満喫。帰国後、大分県知事選挙に徒手空拳で挑戦。惜敗後に無所属で衆議院議員へ。民主党政権時代は外務大臣政務官、外務副大臣を務める。

盛り上がった舞鶴23回生の最後の笑えるエピソードが、礒崎陽輔、吉良州司と同級生の利光隆一が高校3年の10月20日に起こした「霊山遭難事件」。波乱万丈の23回生にふさわしい最後の遠足はコースも含めて自分たちで創り上げようと3人で下見に出かけたが、大分市最高峰の障子岳の山頂付近で一夜を過ごすという遭難騒ぎに。足立信也や太田勝造など同級生はもちろん、消防、警察など総勢120人で捜索隊を編成するなど大きな事件に。無事に地力で下山したが、地元の新聞やテレビでは大々的に面白おかしく報道。今も同級生の語り草になっている。(吉良)』

是非、文藝春秋10月号を手に取って戴きたいのですが、誌面に掲載された各人の紹介文は、経歴的な部分が中心になっていますので、このメルマガにより各人の詳しいプロフィールや特徴を補完して読んで戴ければと思います。

吉良州司

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