主張・政策論

2009年1月23日

「弔電・祝電を発信しない」発言の波紋

「弔電・祝電を発信しない」発言の波紋

明けましておめでとうございます。
昨年は、4月の大分県知事選、11月の衆議院選での暖かい御支援、誠にありがとうございました。

メールマガジンやビデオメッセージで「今後の冠婚葬祭などへの係り方」をお知らせしましたが、賛否を含めたたくさんの反響をいただいたため、ここに再度、私の方針を確認させていただきます。
昨年暮れの12月23日に支援者の方々にお集まり戴きましたが、その席で私は次のような発言をしました。
『国会議員として選ばれた以上、そして「大分を元気にする」といって出馬した大分県知事選が政治を志した原点にある以上、「国政と大分の元気回復」に専念したい。これまで、国会議員の仕事として当たり前のように考えられていた冠婚葬祭への出席、祝電・弔電の発信、就職の斡旋等は原則やりません。そのことを貫き通せば、これまでの選挙感覚では著しく選挙において不利になるが、ボランティアの方々の御理解と更なる力強い御支援をお願いしたい』と。

この発言に対して「吉良州司の為を思って」の反対論、自重論が寄せられています。確かに、どの葬儀に出席しても「衆議院議員 ○○○○」からの弔電が読み上げられますし、選挙中にも「人物、政策は吉良さんがいいと思っているが、仏様に参ってもらったから、仏様のことを考えると相手候補に投票せざるをえない」とおっしゃる方もいました。この慣習は根深いものがあるようです。

私は日本の伝統文化を大事にしたい、特に「日本の心」を大事にしたいと思っている人間ですが、一方では小さい頃から父に「お前は高杉晋作のようなやつだ。人が考え付かないような全く新しいことを平気でやってしまう」とも言われ、「それが慣習だったり、当たり前と思われることでも、自分の感覚でおかしいと思ったことは、まず自分が行動を起こすことによって変えてゆく」ということを実践し続けてきました。

今回のこの決断も大きなリスクを伴うことは十分承知していますが、敢えて挑戦します。このリスクは国政報告会や時局懇談会などできる限り多くのミニ集会を開催し、膝を突き合わせての会話を重ねていくことで、むしろ「地固まる」にしたいと考えています。是非ミニ集会に参加戴きます様お願い申し上げます。

P.S.
以下余談ですが、上記の内容を補足させて戴きます。

20年前の自分の結婚式も、ウィークデイの昼休みの時間に会社の近くの教会で挙げました。世間でいうところの披露宴もやっておりません。学生時代からの仲間や会社の先輩、後輩、同期は昼休みを利用して参加してくれました。会社の女性社員は制服を着たままの出席でした。形式ばったことが好きではないし、本当に主役である新郎新婦を祝福してくれる人達の集まりでいい、いや、そうであるべきだと思っておりました。それまでに出席したいくつかの結婚式では国会議員や首長さんが主賓として呼ばれているのですが、新郎や新婦のお父さんとは懇意でも肝心の新郎新婦と会うのはその結婚式が始めてというケースも多々ありました。その時に「おかしい」と思っていましたので、自分の結婚式でも信念を貫きました。

先日出席したとある葬儀の特別会葬席には首長や議員、団体トップ・役員が勢ぞろいしておりましたが、これらの方々は恐らく故人とは一度も面識がない(故人の息子さんと関係が深い)ように見えました。その一方で、故人と最も親しく、故人の死を誰よりも悼んでいるであろう友人・親友の方々が一般会葬席で、その他大勢として扱われている現実を見てやはり疑問を持った次第です。「葬儀に出ていました」ということを強調する為の、選挙目的のような出席は「おかしい」、本当に追悼の意を表わしたいのなら日を改めて一人で仏壇に手を合わせればいいと今でも思っています。

それに、首長も議員も公僕です。別に主賓席や特別席でなく、一般の人と同じように扱われてもいいと思っています。先述の葬儀でも、自分としては「飽くまでも一般個人」としての会葬だから、一般として扱ってほしいと申し入れましたが、結局は特別会葬席に案内されてしまいました。首長や議員も「自分の席が用意されていない」とか、「席順がおかしい」とかいう感覚をなくす必要がある、つまり主催者側も、出席者側も意識を改めていく必要があると感じています。

私自身が国会議員になる前「国会議員の本分は冠婚葬祭出席や電報局でなく、国家経営にあるはずだ。秘書の仕事も毎日訃報欄を見て弔電を送ることになってはいけない」と思っていましたので、「初心忘るべからず」で、国会議員となった今の立場でもその姿勢、信念を貫きたいと思っています。
御理解とご協力をお願い申し上げます。

 

-吉良州司-

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