吉良からのメッセージ

北方領土問題の本質と対応 その13 最終回 先の大戦への深い反省

北方領土問題シリーズ第13弾、最終回です。

前回の第12弾では、第二次世界大戦時の同盟国であったドイツの戦後対応(ドイツが固有の領土を永久放棄してまで、悲願の東西統一を成し遂げたこと、ワイツゼッカー大統領の世界に感銘を与えた演説など)に学ぶべきことをお伝えしました。

今回は、本シリーズの最終回として、「北方領土問題の本質」に迫りたいと思います。

私は、ワイツゼッカー大統領演説の中で最も感銘を受けるのは、「戦後のドイツ難民の苦難は到底言葉には尽くせないけれども、その苦難の原因は、ドイツが戦争に負けたことにあるのではなく、ドイツが戦争を始めたことにある。このことを取り違えないでほしい」という一節です。

今を生きる日本人の中で、北方領土問題が「先の大戦を始めたことと、もっと早く終戦できなかったことに真の原因がある」と認識、自覚している人が一体何人いるでしょうか。

このシリーズで共有してきましたように、ポツダム宣言発出(1945年7月26日)直後に降伏していれば、広島・長崎の原爆もソ連の対日参戦もありませんでした(つまり北方領土問題は存在しませんでした)。それよりも半年前に降伏していれば、20万人が犠牲になった沖縄戦も、10万人が犠牲になった東京大空襲もありませんでした。沖縄戦がなければ、現在の沖縄在日米軍基地問題も随分と違った様相を呈していたと思います。
そもそも戦争をはじめなければ、その後、満州や朝鮮や台湾はいずれにしても平和裏に放棄することになったと思いますが、太平洋やフィリピンでの惨状極める戦闘も、沖縄戦も本土空襲も原爆もソ連の対日参戦も北方領土占領もありませんでした。現在まで続く沖縄の苦難もありませんでした。樺太を領有し続けていれば、現在のサハリンの石油・天然ガス・プロジェクトからして、わが国が石油や天然ガスに不自由しない国になっていたかもしれません。

勿論、ソ連の対日参戦、北方領土占領、シベリア抑留を容認するわけにはいきません。

しかし、私は、戦争を始めた日本の戦争指導者、もっと早く終戦できなかった戦争指導者を許すことができません。
お母さんにとって、手塩にかけて育ててきた、大事な大事な息子を、妻となったばかりの女性にとって、これからの人生を一緒に歩いていくはずだった大事な夫を、子供が生まれたばかりの新米お父さんを、いつも遊んでもらっていた弟や妹にとって、大好きでたまらなかった大事なお兄ちゃんを、赤紙一枚で招集し、勝つ見込みのない戦線に投入して戦死以前に餓死、病死させた戦争指導者を許すことができません。かけがえのない人々を、戦地に赴く途中の護衛もない輸送船の中で海の藻屑と消えさせた戦争指導者を許すことができません。何の罪もない人々が、平和な暮らしを奪われ、空腹に苦しみ、空襲に怯え、命を絶たれる、その根本原因をつくった戦争指導者を許すことができません。展望もない絶望の戦いに精神論だけで向かわせようとした軍人幹部を決して許すことができません。何の罪もない大陸の人々に犠牲と苦難を強いた戦争指導者を許すことができません。

北方4島の元島民も結局は、あんな無謀な戦争を始めてしまった、国家の愚行の犠牲者です。今でもUnited Nationsの敵国条項が残っています。「国際連合」などと連合国の延長組織を綺麗ごとの組織に仕立てて、現実から目をそらさせていることからして、先の大戦への反省が決定的に欠けています。
あんな無謀な戦争を始めた戦争指導者や軍人幹部の責任を徹底的に問うべきであり、そのような戦争指導者を輩出してしまったことを、今を生きる国民一人ひとりがあらためて深く反省すべきです。

ロシアと平和条約を締結する場合、それは第二次世界大戦の結果を受け入れ、一部の主権を放棄することになります。固有の領土を失うという苦渋の決断をせざるをえない根本原因は、戦争を始めたことにあるとの「先の大戦への深い反省」のもと「不戦の誓い」とすべき、これが吉良州司の叫びに近い結論です。

以上、13回にもおよぶ長い北方領土問題シリーズに最後までお付き合い戴き、本当にありがとうございました。新聞の連載小説を書いているような作家の気分を味わわせて戴きました。

読者のみなさんの北方領土問題への理解に少しでも役立ててもらえれば幸いです。

吉良州司

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