吉良からのメッセージ

2015年9月28日

「安全保障法制」国会を終えて

昨日(2015年9月27日)、「安保法制国会」とも呼べる長い通常国会が終了しました。

安保法制に関する吉良州司の見解については、5回シリーズで展開しましたが、国会閉会の今日、今一度、この安保法案について振り返ってみたいと思います。
(5回シリーズはこちら→ その1 その2 その3 その4 その5

 

1.政府提出の安全保障法案(安倍政権の意図)の骨子

(1) 日本を取巻く安全保障上の大きな環境変化(北朝鮮の脅威、中国の軍事的台頭による尖閣や東シナ海等における潜在的脅威の増大、軍事的科学技術の進歩等)に対応し、自主防衛力の整備はもちろんのこと、日米同盟強化によって抑止力を高めることにより、未然に紛争や戦争リスクを回避するための、また、世界の平和と安全を守ることにより一層貢献できるようにするため、安全保障関連国内法を整備する。(吉良州司も全く同様の認識を持つ。民主党政権時代に、この認識を元に、実務責任者として深く関わった平成22年の防衛大綱を作成し、冷戦時代の「北方」への備えや基地の存在自体を重視する「基盤的防衛力」から南西諸島や離島の防衛などを重視し、海空戦力の充実を図る「動的防衛力」構想を打ち出した。)
(2) 日米同盟強化のため、集団的自衛権の限定的行使(存立危機事態)を認める。
(3) そのまま放置すれば、我が国に対する武力攻撃に至るおそれがある場合など、我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態(重要影響事態)において、世界のどこでも、米軍や安全保障上の重要友好国(たとえば豪州)への後方支援ができるようにする。
(4) 国際平和協力活動(PKO)における業務内容の拡大(安全確保、駆けつけ警護)と武器使用権限の見直し(正当防衛のための自己保存型武器使用から任務遂行型武器使用権限へ)
(5) 「国際平和支援法」(新法)(5回シリーズのメルマガでは触れていない)の制定。この新法制定により「国際平和共同対処事態」(①国際社会の平和・安全を脅かす、②その脅威を除去するため、国際社会が国連憲章の目的に従い対処する活動を行い、③我が国が国際社会の一員として、これに主体的かつ積極的に寄与する必要がある、事態)において、諸外国の軍隊等に対する協力支援活動(実質的な「後方支援活動」)ができるようにすること。
(6) 上記の(1)~(4)に必要な10本の法改正(自衛隊法、国際平和協力法、周辺事態安全確保法、事態対処法、船舶検査活動法、米軍行動関連措置法、特定公共施設利用法、海上輸送規正法、捕虜取扱法、国家安全保障会議設置法)を「平和安全法制整備法」という1本の法律として、また、上記(5)の「国際平和支援法」だけは独立した1本の法案として提出。

 

2.民主党の対応

民主党内は、大雑把に言えば、ほぼ全面的に反対の人と、安全保障環境の変化に対応して抑止力を高めること、国際平和協力活動をより積極的に行うことの必要性は認めるが、憲法違反とされる集団的自衛権行使や世界のどこでも後方支援ができるようにすることについては反対の人、と大きく意見が分かれましたが、政府法案にそのまま無条件で賛成の人はいませんでした。

それ故、合意形成は困難を極めましたが、『「近くは現実的に」「遠くは抑制的に」「人道支援は積極的に」』という民主党としての安全保障政策の基本方針を取りまとめました。この基本方針は、一部を除いて私の考え方とも一致する方針ですが、政府法案に対する「対案」提出にまでは至りませんでした。

一方、日本の安全保障上、現時点で紛争の火種になる可能性が最も高いと思われる、日本の領海、特に離島やその周辺海域で起こりうる事態に備えて、警察機関である海上保安庁と自衛隊の連携を密にして、武力攻撃までには至らないが我が国の主権が侵害されるような事態(グレーゾーン)に対応するための「領域警備法」を維新の会とともに提出しましたが、実質的な審議はほとんど行われませんでした。

民主党議員の各論の議論は核心をついた素晴らしいものだったと思いますが、もう一度政権を担った時のことを想定し、「最初から反対ありき」ではなく、「現在、将来の日本の安全保障はいかにあるべきか」の大局的議論をもっと全面に押し出してもよかったと思っています。

「そう言うなら、何故、吉良州司がやらないのだ」とお叱りを受けると思います。
お叱りはもっともなことで、反論のしようがありません。しかし、2009年の政権交代時の落選後復活組や初当選組の言動を見てきた経験上、自分が落選後に復活した際には、落選中の国会や党内における事情も知らない中で(久しぶりの復活後)軽々に言動することは控えるべきと、当分の間、党内役職や委員会の理事など一斉受けないと決め、責任ある立場には就かず、全くの無役を通しています。それ故、実際上出番がなかったし、敢えて求めることもしませんでした。
民主党政権時代に防衛大綱を取り纏めた経験やその責任上、政府案に全面的、無条件の賛成でなく、「遠くは抑制的であるべき」と思っていますが、安全保障法制の充実、特に我が国周辺の防衛力、抑止力の向上は必要との基本認識を持っていますので、上記の民主党内の大勢とは見解が異なり、「民主党を代表して」意見を述べる立場にはなれませんでした。

また、「何としても政府法案の成立を阻止したい」との気持ちは理解しますが、最終盤の物理的抵抗や必要性のない問責決議などを連発して時間的抵抗をしたことについて、私自身は納得できず、従って物理的抵抗には参加していません。「野党丸出し」では、再度政権を担うことはできないと思います。

 

3.吉良州司の見解

5回シリーズのブログでもお伝えした通り、民主党の安全保障に関する基本方針である『「近くは現実的に」「遠くは抑制的に」「人道支援は積極的に」』で示されている考え方を共有しています。

(1) 我が国を取巻く安全保障上の環境変化への対応の必要性、日米同盟強化により抑止力を高めることの必要性、安全保障上協力すべき友好国との連携を強化することの必要性、国際平和協力活動の任務拡大と武器使用基準見直しの必要性、などについては、繰り返しになりますが、平成22年防衛大綱に民主党政権として盛り込んだ内容であり、今回の政府の問題認識と対応の基本方針を共有するのは当然です。
(2) 「近くは現実的に」を具体的に示すならば、北朝鮮の核・ミサイルの脅威と我が国、韓国、米国に対する敵対的意図、また、中国の軍事力の増強・近代化と東シナ海、南シナ海、尖閣諸島で見られる「力による現状変更、既存秩序への挑戦」に対する現実的対応になります。その現実的対応の最有力手段が日米同盟の強化とそれに伴う抑止力強化です。そして、日米安保条約に基づいて、我が国を守るために活動している米軍が攻撃を受けた際に「我が国への攻撃とみなして反撃」することは(たとえ、国際法上は「集団的自衛権」とみなされるとしても)「個別的自衛権」の範囲として許されると考えています。この考えを具体的に示しているのが「維新の党」の対案であり、この考え方を共有するものです。
(3) 上記(2)の考え方は、既存の「周辺事態安全確保法」を修正することで、野党(民主党や維新の党)の合意を取り付けられたはずだと思っています。それだけに、10本ひとまとめの法案にした政府の対応が残念でなりません。安全保障という国の根幹政策については、幅広く合意形成する必要があると思っています。
(4) 一方、「遠くは抑制的に」という方針に照らせば、「我が国周辺」の枠を超えて、世界のどこでも米軍等(重要影響事態時)や多国籍軍等(国際平和支援法)への「後方支援」ができるようにすることには無理があると思っています。事実上、軍事行動を行っている軍隊への兵站を担うことになるからです。勿論、時に武力を行使してでも解決すべき深刻な国際的事態が生じ、国際社会の重要な一員として参加要請を受け、且つ、我が国として協力しなければならないと判断する局面があることは充分承知しています。しかし、現行憲法の精神に照らせば、その場合でも人道支援に限定した特別措置法で対応すべきだと思います。そして、特別措置法の足らざるところ、たとえば審議に時間がかかり過ぎることには、主要政党間で時間短縮の合意形成を行い、事態に対応する訓練に時間がかかることには、予見しうる事態に備えた訓練を日頃から行えるよう自衛隊法と国家安全保障会議設置法を改正しておくことで、対応できると思っています。
(5) 国際平和協力活動の任務と武器使用基準の見直しについては、自衛隊が他国軍隊に守ってもらわなければならない現状を改めること、共に活動する他国軍隊や現地で活動するNPO従事者や国連職員、一般市民が攻撃を受けて助けを求めてきた際に、救助や安全確保ができるようにすることなど、改正案の意図と内容を共有します。

 

4.最後に

上記の「民主党の対応」のところで、『「最初から反対ありき」ではなく、「現在、将来の日本の安全保障はいかにあるべきか」の大局的議論をもっと全面に押し出してもよかったと思っています。』と書きました。
政府も10本ひとまとめのような不誠実な出し方ではなく、広く合意形成ができる道を模索すべきだったと思います。
一方、野党の側にも問題があったと思っています。一番残念でならないのは「レッテル貼り」の問題です。民主党は公式には「戦争法案」というようなレッテル貼りはしませんでしたが、一部の野党が最初から「戦争法案」とレッテルを貼ってしまったことにより、国民の冷静な理解や判断の拡がりがなくなってしまったように思えてなりません。
戦後70年を迎え、安倍政権が当該安保法制政府案を出してきた機会を捉え、今、世界情勢や東アジア情勢がどのように変化しているのか、我が国が現在の世界情勢をどう見ているのか、また、同盟国である米国はそれをどう見ているのか、現在世界的に深刻な陰を落としているイスラム世界と西洋世界との一神教間文明衝突的対立に対して、中東に石油の83%を依存する八百万の神を信じる我が国はどのように対応すべきなのか、それらを含めて、我が国の安全保障や世界秩序はどうあるべきなのか、についての深い国民的議論を行う絶好のチャンスだったと思います。
そして、望ましい国際秩序を創るために、我が国はどのような貢献をすべきなのか、またどのような貢献ができるのか、米国と共同してやるべきこと、友好国と一緒にやるべきこと、米国とは見解を異にするので我が国独自でやるべきこと、できることについて、徹底的に議論すべきだったと思います。
そして、やるべきことは、現行憲法下で許されているのか、やるべきなのに現行憲法が禁じているなら、それをどう変えていくべきなのか、などについても濃い議論が必要だったと思います。
また、「近くは現実的に」のところで、中国の潜在的脅威について指摘しましたが、現実的には、左手に剣を持って軍事的に備えると同時に、「子孫にこれ以上謝罪を繰り返させなくていいようにするためには」、過ちを認めるべきは認め、謝るべきところは謝り、右手ではしっかりと強い握手を求めていく外交努力が欠かせないと思います。これは「弱腰外交」などとレッテルを貼られる類の話ではなく、子孫が中国を「脅威」ではなく「友」として信頼し合える関係にしておく現在の大人の責任・使命だと思います。
これらの議論については、過去形にする必要はありませんので、これからも不断に議論すべきですし、私も自らの考え方を発信してゆきたいと思っています。

 

吉良州司