政策論

私たちの暮らしとアベノミクス~経済至上主義から幸せ感を最重視する社会へ~(広報誌15号)

安倍政権が発足してから丸4年が経ちました。「アベノミクス」という言葉はすっかり定着していますが、アベノミクスによって、私たちの暮らしは本当によくなっているのでしょうか。本稿では、客観的な統計データを見ながら、アベノミクスと私たちの暮らしについて考えてみたいと思います。

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>>当記事は広報誌15号に掲載されています。

アベノミクスの実感

アベノミクスによって、金融資産をお持ちで株価上昇や投資信託の活用で受益している方、輸出比率の高い企業にお勤めで給与やボーナスが上がった方もいらっしゃると思います。一方、年金は下がり続けるのに、また給与は上がらないのに、物価は上がって生活は苦しくなるばかりと嘆いておられる高齢者や一般家庭の方々が多いのではないでしょうか。
また、原材料が上がって仕入れ額は増えるのに、地方の景気は一向によくならず、経営は苦しくなるばかりと感じている地方の中小企業経営者、輸入食材・食品の値上げや、値段は変らないけど個数・量が少なくなっている食品・菓子類などは「実質値上げだ」と感じている主婦の方々も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
私は、金融資産をお持ちの方や輸出企業に勤めている方々などの暮らしがよくなることを否定するつもりは全くありません。富裕層といわれる方々の暮らしがよくなることも悪いことではありません。問題なのは、安倍政権の看板であるアベノミクスがうまくいっていることを「演出」するために、その通信簿としての株価上昇と物価上昇を優先するために、高齢者や庶民の暮らし、特に地方の暮らしを苦しくしていることです。
このアベノミクスがうまくいっているように見せる「演出」は、各論・詳細は割愛しますが、今年の当初予算97兆円、特に国債発行額を前年度より少なく見せるやり方などにも顕著に現れています。

アベノミクスの目的・手段・評価

アベノミクスは「デフレから脱却し、力強く成長する経済を復活させること」を目的とし、

①大胆な金融緩和(第一の矢)
②機動的な財政出動(第二の矢)
③民間投資を刺激する成長戦略(第三の矢)

によって実現しようとする経済政策です。
大胆な金融緩和により円安が進行して過度な円高の解消結果、輸出企業中心に上場企業の業績が向上し、株高をもたらすことには成功しています(図3)。
しかし、円安は一方では輸入物価を上昇させ(図1)、収入が増えない一般家庭(図2)の生活を苦しくしていることも事実です。金融緩和がもたらしたものは円安誘導による「一般家計から輸出企業への所得移転」だといえます。支出性向の高い家計部門から支出性向の低い輸出企業への所得移転は、個人消費にはマイナスとなります。
輸出企業は、円安により外貨収入の円換算収益は増加しましたが輸出数量自体は大きく増えていないため、下請けへの恩恵は限定的で高度成長期のような好循環は生まれず、大企業の業績向上が徐々に日本全国に恩恵をもたらすという「トリクルダウン」は生じていません。
機動的な財政出動は、被災地の復興需要とも相俟って、急激且つ大規模な公共事業の実施により、地域では人手不足と資材不足が生じて工事費が急騰しています。特に、人手が公共事業に取られることにより介護をはじめサービス業に大きな人手不足が生じていることは深刻です。
私がもっとも恐れることは、公共事業の原資の半分近くは借金であり(建設国債も借金には変わりなし)、借金を財源とする財政出動は将来世代の所得と需要の先食いだということです。将来世代には借金ではなく夢と希望に溢れた社会を引き渡すことが今を生きる大人の責務だと思うからです。
成長戦略については、構造改革対象業界が選挙時の自民党支持業界ゆえに、その既得権益に切り込めず、規制緩和がほとんど進んでいませんし、進む期待感も出てきません。結果として、成長戦略を発表したその日に株価は暴落しました。市場は成長戦略を全く評価していないことの証左です。

地方の実体経済を停滞させる

地方においては、一般家庭の生活が苦しくなっていることに加えて、地方経済にもアベノミクスの負の側面が深刻な影を落としています。マイナス金利など極端な金融緩和政策により利回りが低下し、長期金利の市場原理が働かなくなるなどした結果、銀行の安定運用収益が減少しています。安定収益の喪失により、地方の銀行融資が縮小傾向にあり、特にリスクを伴う貸出しには慎重になるなど、実体経済に停滞をもたらしているのです。マイナス金利は金融機関から政府への所得移転であり、実質的な銀行課税です。アベノミクスの極端な金融緩和策は強引な株価引上げや物価上昇を追求するあまり、地方の実体経済を停滞させつつあるのです。
極端な金融緩和は出口のタイミングなどマクロ経済的な政治判断が非常に難しく、いたずらに継続すれば、将来的に国債暴落、極端な円安、ハイパーインフレに陥るリスクがあります。

経済停滞原因は潜在成長率がゼロ

現在の我が国経済に元気がないのは、人口減少、高齢化など構造上の問題から、図4の通り、潜在成長率そのものがゼロになっているからです。潜在成長率の低迷が原因なのに、将来を見据えた成長戦略を実行できず、短期的なその場限りの景気対策ばかりに注力する結果、却って潜在成長力を弱めているのです。紙数の関係上、詳細説明は割愛しますが、景気対策を打ち過ぎることは、民間が自力で成長する力を削いでしまうのです。しかし政治的には、企業も国民も「景気対策」を望むので、止めるに止められないのが現在の我が国経済の最大の問題なのです。
図6の通り、日本経済は世界経済と連動しています。現在は世界経済の成長力が鈍化しており、そのことが日本経済の大きな停滞要因です。 また、トランプ大統領の誕生とグローバリゼーションの否定、保護主義的政策の採用は世界経済の大きな不安材料になっています。

アベノミクスに対する間違った認識
藻谷浩介理論より

アベノミクスの成績表であるGDP成長率について、図5をご覧ください。アベノミクス始動後のGDP成長率は3年間の「暦年」平均で名目1・6%、実質0・6%です。因みに、民主党政権時代のGDP成長率は3年間の「暦年」平均で名目0・3%、実質2・0%でした。失われた20年といわれる1997年から2015年までの18年間の実質は0・6%ですから、アベノミクス3年間の実質GDP成長率平均と失われた20年の実質GDP成長率平均は同じなのです。
図7をご覧ください。安倍政権発足後の金融緩和は株価上昇には貢献していますが、個人消費やGDPの増加には貢献していません。個人消費は株価の上昇に伴って伸びておらず、1997年まではゆるやかな上昇、それ以降はずっと横ばいで現在に至ります。GDPの推移は個人消費の推移とほぼ同じです。

アベノミクスの限界

これまで、客観的データで見てきましたが、アベノミクスは金融緩和を誘引とする円安により輸出関連企業の業績向上と株価上昇はもたらしているものの、個人消費やGDPの増加には貢献しておらず、一般国民の暮らしをよくしていないことがわかります。
それは、(1)収入が増えない中で輸入品を中心に生活費が高くなっていること、(2)GDPの増加は、その6割を占める個人消費の伸びにかかっていますが、アベノミクスで個人消費はほとんど伸びていないこと、(3)個人消費が伸びないのは、収入が増えないことに加えて将来不安があること、などが理由です。
GDPの構成は、「個人消費」+「民間設備投資」+「政府支出」+「輸出―輸入」です。
民間設備投資は供給と需要の両方を充たし、長期的な経済成長に貢献しますが、設備投資が増えてGDPが増加しても国民の身近な幸せ感には繋がりません。一方、人が一番幸せを感じるのは精神的に愛情を感じる時ですが、欲しいものが手に入ったときも小さな幸せを感じます。個人消費の伸びはマクロ経済的にGDPの増加に貢献するだけでなく、人々の幸せ感に繋がります。
そうです。アベノミクスの最大の問題は、企業の設備投資や輸出や政府支出に依存しており、GDPの最大要素であり、国民の幸せ感に繋がる個人消費を伸ばせていないことにあるのです。
では個人消費を伸ばすためには何が必要でしょうか。それは、収入が増えることと将来不安をなくすことです。収入を伸ばすには個人の能力を高め、より付加価値の高い仕事に就いて高い給料をもらうことが一番です。そのために人への教育投資(学齢期と社会人の両方)が大切なのです。将来不安をなくすには社会保障の充実が不可欠です。そして、今は巨大資本を中心に企業に集中している富を従業員への配分と税制と社会保障給付等によって一般国民に再配分する仕組みの構築が重要です。

成長至上主義経済は限界に

現在の世界的経済不振は、(米国を除く)先進国における実体経済での成長に限界がきていることが原因だと思います。実体経済に限界がある中で、高い成長、高い利回りを追求するあまり、結果的にバブル経済を生起させ、その崩壊と回復過程において長期に亘る経済停滞と国民の厳しい生活が余儀なくされます(日本のバブルと崩壊、リーマンショックとその後の世界、いまだに尾を引く欧州経済など)。アベノミクスも政策的にはバブルの追求なのですが、都市部の不動産と株価の上昇を除き、国全体としてはバブルすら起こせていないのが現実です。
一昨年フランスの経済学者ピケティが注目を集めましたが、今は、豊かになった国や社会における資本主義の限界について冷静に考える時かもしれません。何故なら、経済的フロンティアは、空間的にはアフリカまで達し、時間的にもファイナンス手法により将来的な需要を現時点で先食いしており、時空ともに経済フロンティアが消滅しつつあるからです。

技術革新と成長

これに対して、技術革新と新しいビジネスが常に経済を牽引し、成長を持続させることができる、という反論があります。確かに、技術進歩はすさまじく、たとえば5年前の10倍以上の性能を持つパソコンを5年前と同じ値段で買えるなど、技術進歩は確実に私たちの生活を豊かにしてくれています。しかし、かつて高度成長時代やそれに続く安定成長時代に重化学工業が生産性を急向上させ、国民全体の所得を大きく上昇させたことに比べ、現在進行形の技術革新とそれに伴うビジネスは国民全体の所得を大きく向上させるまでには至っていません。
かつては技術もそれを活かした生産拠点も先進国がほぼ独占しており、生産性向上の果実である会社収益の増加や賃金上昇も先進国が独占していました。しかし、グローバル化の進展により現在は途上国も先進国の技術を活用した生産拠点となり、世界を巻き込む国際競争の影響で、ものの質は高くなって生活を豊かにするが、値段は上がらず上げられず、GDPの増加には貢献しない構造になっているからです。

幸せ感を最重視する社会へ

では「ポスト成長」、「ポスト経済成長至上主義」の時代が求めるものは何か、それは「一人ひとりの幸せ感」を最重視する社会ではないでしょうか。「経済成長が全てを解決する」という発想からの意識改革と、「租庸調」的発想に基づく、物々交換によって幸せ感や満足感をキャッチボールする場としてのコミュニテイーの再構築などが求められる世の中がくると思っています。このことについては、本広報誌26ページの「地方創生特別委員会議事録」をご参照ください。
日本経済と世界経済は完全にリンクしており、世界経済がよければ日本経済も良くなると説明しました(図6)。世界経済がよくない時に日本だけがよくなるということは、いい悪いは別にして、グローバル経済下ではありえないことなのです。だからこそ世界経済の成長に貢献しながら我が国の国益を最大化できる経済連携の拡大やTPPの推進が重要なのです。
世界経済がよくない時に、アベノミクスのように効果が限定的なのに過大なリスクを伴う政策を打ってはなりません。ましてや、我が国の失業率はここ数年3%台の完全雇用状態なのですから、政府があれやこれや口出しするよりも、民間や市場に任せるべきなのです。日本の経済政策や金融政策の効果・影響が国内完結する時代はとっくに終わっていることを銘記すべきです。

今やるべきは「人的投資」

今、我が国がやるべきことは何か、それは徹底して人への投資を行うことです。
そして、国際的にはTPPのように、企業が世界中どこでも自由に活動できる環境整備を行うこと、国内的には規制緩和による民間支援と、富の再分配により格差拡大を抑制することです。何よりも大事なことは、一人ひとりの能力を伸ばすこと、イノベーションを加速させながら生産性を向上させることです。子供・将来世代への徹底した教育投資と子育て世代への国を挙げての支援、社会人の再挑戦のための自己投資支援(教育や職業訓練など)こそ最優先すべきなのです。また、国内の成長戦略としては既述の規制緩和に加え、大胆な少子化対策を実行すべき時です。
「米国を除いた先進国の成長には限界がある」と書きました。米国が例外なのは、移民の受け入れを含めて現在も人口が増加し続けているからです(今後のことは、トランプ政権による不確定要素はありますが)。我が国において、大胆な少子化対策を実行したとしても効果が現れるのは数十年後のことです。今、わたしたちの社会や経済規模を維持していくため、一人ひとりが幸せ感に満ちた社会にするためには、各人の能力を高めるしかないのです。

対案は「人への投資」

よく「批判するなら、アベノミクスの対案を示してみろ」との議論があります。アベノミクスの対案といえば、何らかの経済政策、金融政策、財政政策だと思い込んでいること自体が「過去の高度成長期」や「経済成長至上主義」に洗脳された発想です。
一人ひとりの能力向上なくして成長はありえません。その能力を伸ばすことに大きく立ちはだかる「親の経済力格差による子供たちの教育格差」など「教育の機会均等」の崩壊を何としても食い止めなければなりません。誰しもが教育を受ける権利と機会を保障され、頑張れば必ず報われる、何度でもやり直しができる、何度でも何十回でも再挑戦できる社会をつくっていこうではありませんか。
今は、成長至上主義から幸福感追求社会へと意識改革をしながら、ひたすら人的投資にまい進すべき時であり、これこそがアベノミクスに対する対案なのです。

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