吉良州司の思索集、思うこと、考えること

2019年6月4日

北方領土問題の本質(広報誌18号)

はじめに

プーチン大統領の平和条約提案

2018年9月、ウラジオストクの「東方経済フォーラム」で、プーチン大統領が安倍晋三首相に突然、「あらゆる前提条件を抜きに、今年末までに平和条約を結ばないか」と呼びかけました。この発言を契機として、日ロ平和条約締結に向けた活動が加速します。一方、ロシア側が「第二次世界大戦の結果として北方4島はロシアの主権下にあることを認めよ」との原則を譲らないため、一時の期待感が薄れている気もします。しかし、安倍政権も最優先と位置付ける「北方領土問題の解決と日ロ平和条約締結」は今なお国家的、歴史的重要課題です。

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>>当記事は広報誌18号に掲載されています。

択捉島散布山 外務省ホームページより

外交交渉はお互い相手がある

言うまでもなく、外交交渉はお互い相手があることであり、自国の主張が正しいとする一方、相手の主張にも相手国なりの正論があります。
国家の一番の使命は、「国民の生命・財産を守る」「主権・領土を守る」ことですから、日本政府が北方4島全ての主権を一切放棄せず、正論を貫き通すことも国家としての矜持だと思います。
しかし、この場合は、日ロ平和条約の締結も、4島どころか1島の返還も実現できない可能性が高いと思われますが、日ロ間は現在、国交もあり、経済活動も投資も人的交流も支障なく行われており、平和条約締結によるプラス要素は得られないものの、現在得られている国益上のマイナスはないと思われます。

歴史を踏まえた現実的解決策

一方、我が国の安全保障上の現時点での現実的脅威は中国でありロシアではありませんが、ロシアの安全保障上の潜在的脅威を最小化し、中国に集中対処するため、また、エネルギー安全保障上、地理的優位性を持つロシアからのLNGや原油の調達を確実にするため、日ロ平和条約を締結することは重要な国家戦略だと思います。
日本の国益、国家の矜持を第一に考えることは当然ですが、本稿では、歴史的経緯も踏まえ、ロシア側の観点にも立ってみながら、この問題を客観的に俯瞰してみたいと思います。相手がある外交交渉において、現実的な解決策を追求したいからです。

1956年10月19日 日ソ共同宣言に署名する鳩山一郎首相とソ連・ブルガーニン首相

40年前初めて見た国後島の衝撃

私が初めて北方領土を見たのは、大学2年の時でした。今から40年前になります。友人と二人で、知床半島の斜里町を起点に羅臼岳に登りました。熊に怯えながら山道を登り、誰もいない山中で一泊し、羅臼岳に登頂後に羅臼町に下るスリル満点の知床半島横断の旅でした。羅臼岳から見た、目の前に迫る国後島の大きさが今でも忘れられません。「こんなに近いんだ」と衝撃でした。
余談になりますが、羅臼岳中腹のテントで食事をしていた時の事です。突然サーチライトで照らされ、入り口を開けられました。「あっ、失礼しました。実は、網走刑務所から極悪囚人が脱走しこの山に逃げ込んだので、今、斜里と羅臼から追い詰めているところです。是非、ご協力ください」とのこと。「えっ、こんなことあるの。熊より怖い」と思いました。いざという時に備えながら、「こうなったら北海道新聞に勇名をとどろかせよう」と友人と武者震いした思い出があります。

ビザなし交流で国後・択捉島訪問

それから38年後の2017年7月、ビザなし交流で、国後島・択捉島を元島民とその子孫の方々などと一緒に訪れました。
最も印象深かったのは島民1世の方々が「戦後70年が経ち、島は私たちにとっての故郷であると同時に、今そこで暮らすロシア人にとっても故郷なんです」「島は返還してもらいたいが、自分たちが島を追われた時の辛さを、今島に住むロシア人に経験させたくない」「日ロ住民はよき隣人として共存共栄しかない」とおっしゃっていたことです。あれだけ辛い経験をしていながら、今島に住むロシア人のことを思いやる元島民の方々の人としての深さに心を打たれました。

強く思う「もっと終戦が早ければ」

7年前に母が亡くなりました。母は実の親と暮らせない不幸な生い立ちでしたが、「小さい頃、宣信おいちゃんに、いつもかわいがってもらった」と口癖のように話していました。不憫な幼い母を本当に愛しく思ってくれていたのだと思います。母が亡くなり、戸籍を取り寄せた時、涙が溢れてとめることができませんでした。母の叔父になる宣信おいちゃんは、昭和20年4月20日戦死、享年24歳でした。あと4か月早く戦争が終わっていればと思うと本当に悔しく、母も戦死の報に触れた時どれだけ辛かっただろうかと思うと胸が張り裂けそうになりました。
国後島、択捉島を訪れ、元島民の方々から、ソ連に故郷が占領され、島を追われる際の辛い話を聞いた際にも、1か月早く戦争が終わっていれば、ソ連の北方領土占領はなかったと思うと、悔しさが込み上げてきます。

北方領土問題の本質を考える

ソ連の対日参戦、北方領土占領、その後の実効支配を容認することはできません。しかし、我々日本人は、ソ連、ロシアを悪者にすることによって、北方領土の元島民は、日本が戦争を始めた犠牲者、もっと早く戦争を終わらせられなかった犠牲者だということを忘れているのではないか、と強い問題意識を持ちます。

この問題意識を持ちながら、北方領土問題の本質について、読者のみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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