戦後70年を迎えて その3
【多大な迷惑をかけたことについての謝罪】
最近のブログでは、「戦後70年を迎えて 先の大戦を検証する」というテーマで、前回は、大戦終了時の中国大陸における当時の中国国民政府、蒋介石総統、中国の人々の温情により、大陸にいた多くの日本人軍民の復員・引揚がスムーズに進んだ。この事実を取り上げて、当時は国民政府(現台湾)であり、中国共産党政府ではなかったとか、国民政府、蒋介石総統の真意は別のところにあったのではないか、というような詳細は捨象して、結果として、大陸にいた日本人軍民が救われたことに対して、「中国の人々」にお礼を言い、日本人の対中感情を好転させたい、という思いをお伝えしました。
このことによって日本人の対中国感情が劇的に改善するとまでは思っていませんが、地元における地区集会で参加者の方々の反応を見ていると、改善の第一歩にはなるという手ごたえを感じています。
さて、今日の主題は中国、韓国をはじめとして近隣諸国に多大な迷惑をかけたことについて、謝罪をしなければならないということです。
私は、地元で地区集会を開催する際に、先の大戦の犠牲者数について、参加者の皆さんに質問してみることがあります。先の大戦で、日本の軍民はいったい何人犠牲になったのか、中国は満州事変以降大戦終結まで、何人犠牲になったと言われているのか、欧州も含め、先の大戦で数多くの犠牲者を出した国と犠牲者数はどれくらいなのか、について、日本の犠牲者についてはご存じの方もおられますが、日本以外のことについては、概数であってもなかなか答えられる方にお会いすることができません。
これから、その犠牲者数についてお伝えしたいと思いますが、前もってお断りしておくべきは、大戦による死傷者の信頼できる数字はほとんどないということです。
理由は、欧州においても中国、アジアにおいても、米国と英国を除いては、戦時中、戦後、政府がほぼ壊滅状態にあり、米英を除く国々で発表されている数字は信用度がまちまちであって推定に過ぎないからです。連合国、枢軸国を問わず軍隊が解散、降伏した後に犠牲者の統計を取ることはほとんど無理だったのです。
死亡者数を正確につかもうとする試みも、ゲリラ戦、国境変更、住民の大量移動のため困難でした。また、ソ連と中国は最大の人的損害を被った国々ですが、信頼できる数字はないと言っても過言ではありません。
しかし、それでも多種多様な文献を収集して調べた結果、幅はあるものの、「言われている犠牲者数」は把握できます。
大戦による死者総数は大きな幅がありますが、3500万人~6000万人と推定されています。
その中で、犠牲者数が大きい国と(一部「言われている」)犠牲者数は、
ソ連:2000万人、
中国:1200万人、
ドイツ:700万人、
ポーランド:600万人、
ユダヤ人:500万人、
日本:310万人です。
犠牲者が多ければ謝罪し、少なければ謝罪しないという類の話ではありませんが、中国の犠牲者(軍人は130万人で、日本軍による食料生産地の占領等による餓死者、病死者なども含めた民間人800万人以上で最大1200万人と言われている)がここまで大きいことを考えると、多大な迷惑をかけたことについて謝罪をすることは、皆さんも十分納得するところではないでしょうか。
一方、前々回のメルマガでも触れましたが、日本はシベリアへの57万5千人の抑留者中、残念ながら5万5千人が祖国の地を踏めませんでした。ドイツの場合は、死亡者数の中でも、復員途上の犠牲者が300万人と突出しており、ナチスが占領地域で相当に残忍非道なことをしていたと推察されます。
いくら蒋介石総統が「徳を以て怨みに報いよ」と国民に訴えかけても、一般の中国の人々が日本の軍民に対して怨み骨髄であったならば、リーダーの言うことをきくはずがありません。最大1200万人と言われる膨大な犠牲者であったと言っても、日本の軍民、特に民間人は一部の人達を除き、中国の人々に対してそこまで怨みを買う日常行動を取っていなかったのではないかと思っています。
吉良州司