安全保障法制に対する吉良州司の考え方 その2
前回のブログでは吉良州司の基本的な考え方として、「『近くは現実的に』『遠くは抑制的に』『人道支援は積極的に』」という基本理念に基づいた、政府提出法案に対する私の考え方をお伝えしました。
今回のメッセージは、なぜ政府提出法案に対する国民の理解が進まなかったのか、その最も大きな理由についてお伝えしたいと思います。
野党は「世論調査上、○○%の国民が政府の説明が足りない」と言っているという批判をしています。これは前回のメルマガでもお伝えした通り、政府案そのものが複雑でわかりづらい側面があったり、新3要件があいまいであったり(法的しばりというよりも、時の政府の判断に委ねられてしまう危うさ)、10本ひとからげの束ね法案のわかりにくさなどが根底にあることは否定できませんが、実は、国民に対する説明が不十分という批判は政府にとっては気の毒な側面もあるのです。
それは、安全保障法制の整備が必要になってきた最大の要因は中国の軍事的脅威であるにも拘わらず、外交上の配慮から「中国の脅威」は口が裂けても言えないからです。
私自身も現在は野党の立場だからこそ「中国の脅威」という表現を使っていますが、現職の大臣、副大臣、政務官などの政務三役、ましてや総理大臣は、口に出せないのです。
「日本を取巻く安全保障環境の変化」は、私自身が実務責任者のひとりとして深く携わった前防衛大綱の中に盛り込んだ「きれいな表現」ですが、この表現の裏に隠された本音を露骨な表現に置き換えるならば、
「近年、中国が軍事力の増強と近代化を急速に推し進めており、南シナ海における島嶼群の強引な領土主張と実態的な領有化の動きに見られるように、東シナ海、尖閣諸島、南西諸島においても同様な行動に出てくる恐れがあり、わが国との武力衝突や戦争に至るリスクが以前に比べて飛躍的に高まりつつある」
ということなのです。
中国政府、当局も「日本を取巻く安全保障環境の変化」という表現が中国を意識しての柔らかな表現だ、ということはよくわかっています。
しかし、かといって中国を名指しすれば、外交上抗議しなければならないし、中国国民に示しがつかなくなるので、目に見える形での抵抗を示さざるをえなくなります。
それは両国関係を悪化させ、切っても切れない経済関係に水を差し、国益に反する結果になってしまいます。
だから、国会において中国を名指ししての「安全保障環境変化」の議論、説明を政府側からはできないのです。
国会の質疑において、本音で中国の脅威についてやり取りができるならば、国民の理解は相当高まると思います。
実際、地元の地区集会では、中国の経済的台頭、軍事力の増強、近代化、そして、中国の軍事的戦略について、データや地図などを示しながら、「このままの状況が続くならば、日中間に軍事的アンバランス(中国が軍事的に優位に立つ)が生じ、武力紛争や戦争に至るリスクが高まってしまう。
だからこそ、同盟国である米国と日米同盟を強化して軍事バランスを均衡させるか、やや優位な状況をつくり、以って、戦争を回避する必要がある」ということを参加者に説明すると、みなさん、一様に理解と賛同の意を示してくれます。
また、地区集会の参加者に対して、私は中国の脅威とそれに対する備えの必要性を説明すると同時に、外交的に、また国民レベルで、どうすれば中国との未来志向の友好関係を築いていけるのか、についても話をしますので、対中脅威論や対中強硬論だけの説明に比べ、安心感を持ってくれるようです。
政治や外交は理想と現実のバランスを取ることが大事です。冷徹に現実を見据え、現実対応を着実に積み重ねながら理想に近づいていくことが、まさに「理想」です。
現在の東アジア情勢、日中関係を考える時、一方では現実的な脅威に対応する手段を講じながら、また一方では未来志向の友好関係をできるところから行っていくことが重要ではないでしょうか。
次回のブログでは、何故、「遠くは抑制的に」なのかについてお伝えしたいと思います。
吉良州司