ポピュリズムと将来世代への責任
最近の新聞記事の中で、政治が短期志向に陥っているという記事が出ていました。
その趣旨は次のようなもの(吉良州司の意訳)です。
「参議院選挙における国民の最大関心事はやはり社会保障だったが、残念ながら参議院選挙では、社会保障を持続させるための「給付と負担」の関係、特に負担の必要性について政治家も政党もきちんと国民に説明していなかった。日本の政治が責任感を喪失し、ポピュリズムに堕している。少子高齢化の進展と、経済の長期停滞の中で、拡大する格差に歯止めをかけ、弱い立場の人に手を差し伸べるのが社会保障だが、現在は制度の維持が財政的に苦しくなっていてとても持続可能とはいえない。それを克服するための2012年に3党合意だったが、今回の選挙では全政党が消費増税先送りに賛成した。恒久財源なくして持続可能な社会保障を充実できるわけがない。短期志向の大衆迎合では 将来的なツケが大きくなる」。
至極もっともな趣旨であり、自分自身でも反省するところ大です。
今回の参議院選挙でも、個人的には「将来世代への投資と社会保障の充実、そして財政健全化のために消費増税を先送りすべきではない」という持論は全く揺らいでおらず、一度も「消費税先送りやむなし」という発言はしませんでしたが、「消費増税すべき」という訴えもしませんでした。
自分の選挙ではないことから候補者に迷惑をかけてはならないという意識が働いたことと、個人的な意見は如何であれ、民進党が党として打ち出したことだったからです。後者については、かねてより常に頭を悩ましていることです。旧民主党時代から「決まるまでは、どんな意見を持っていようが主張しようが構わないが、決まったことには一致結束して行動する」文化がなく、よく「党内がバラバラだ」と批判されていたので、公の場では個人的意見を主張することがはばかられるのです。
一方、「ポピュリズムが国を滅ぼす」と確信しており、将来世代のためにポピュリズムと戦うことが自分の使命だと思っていますので、このコラムを読んで胸が痛みました。
後世から歴史を振り返るとき、2014年の総選挙と2016年の参議院選挙は「短期的志向を優先し、長期的なツケ」を残してしまった最悪の政治であったと言われることでしょう。
いま一度、将来世代最優先の政治、そのためのポピュリズムとの決別を心に誓います。
吉良州司