2018年3月13日
財務省公文書改ざん問題に思う
森友学園への国有地売却を巡る決裁公文書改ざん事案は、あってはならないことであり、政権そのものの体質が問われる極めてゆゆしき問題です。
この問題を考える時、今さらながら政治の難しさを痛感します。「忖度行政」「忖度官僚」を生み出したものは何か。それは、内閣人事局制度とその運用に他なりません。
かつての官僚人事は各省の事務次官を中心に事務方がほぼ決めていましたが、「省あって国なし」という言葉に象徴されるような「縦割り行政」の弊害が大きかったため「省ではなく、国全体をみてもらう」べく、各省の幹部人事については、内閣総理大臣を中心とする内閣が一括して行う「内閣人事局」が創設されました。「縦割り行政」「官僚主導政治」の弊害をなくし「政治主導の政治」を実現するための組織、制度のはずでした。
しかし、創設目的は正しかったとしても、その運用において、この制度は「安倍一強政治」といわれる権力の独占・集中を許し、幹部官僚をして常に官邸の顔色をうかがう「忖度官僚」を数多くつくりだしてしまいました。行政を「忖度行政」へと変質させてしまいました。
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」。歴史的に、また現在でも国によりこの英国の歴史家ジョン・アクトンの言葉は証明されています。制度発足時の目的は正しくとも、悪しき権力、腐敗した権力に悪用されてはなりません。
内閣総辞職の要求を含む責任論も極めて重要ですが、腐敗する可能性のある権力による制度の悪用をどう取り除いていくのか、という本質議論も同じくらい重要だと思います。
吉良州司