明仁天皇の忠恕の心と「心の教師」小泉信三氏について
今日から、新年の仕事にとりかかっている方が多いと思います。みなさんの今年1年の仕事上の目的が達成されますようお祈りしています。
年末のメルマガでは、平成最後の天皇誕生日を迎えるにあたって陛下が述べられたお言葉について、涙が止まらなかった、その感動をお伝えしました。
先日2日の一般参賀には平成時代最多の15万5千人が訪れ、通常5回のところ、入りきれない人のことを想い、7回も受けられたとのこと、やはり陛下のお覚悟が伺えます。
「本年が少しでも多くの人にとり、良い年となるよう願っています」という言葉を、わざわざ一般参賀にきてくれた、ひとりでも多くの国民に直接伝えたいという、お気持ちの表れだと思います。
昨年の天皇誕生日のお言葉と同じく、今回の一般参賀を7回にされたのも、陛下の慈愛に充ちた「忠恕」の心の表れだと思います。
陛下が「忠恕の心」を一番大切にされるようになった背景には、元慶應義塾大学塾長小泉信三氏の存在と教えがあったことを、昨年12月にNHKで放送された、歴史秘話ヒストリア 「天皇の先生になった男 小泉信三」を見て知りました。
「忠恕」。「自分の良心に忠実で、他人のことを思いやる精神」です。この精神は、陛下の「心の教師」だった小泉信三氏の教えの根本であり、平成時代は、陛下が「忠恕」を体現する「国民の象徴としての天皇」であろうとした30年であったことがわかります。
災害時にいち早く被災地に駆けつけ、被災者にひざを折って、目線を同じくして、労いと励ましの言葉をかけ続ける。このことは、「他人のことを思いやる心」、特に「苦難にある人々を思いやる心」そのものです。
私が語ることは僭越ながら、明仁天皇は『「象徴天皇」とは「国民への慈愛に充ちた忠恕を体現する天皇」』であると認識し、その姿を平成の世で示し続けたのだと思います。
また、昨年の天皇誕生日にあたってのお言葉の中に、美智子皇后に対する労いの言葉がありました。皇太子と秋篠宮に対する期待の言葉もありました。国民の象徴として、家族に対する思いやりと、配偶者にも恥ずかしがらずに感謝の気持ちを伝えることを体現したのだと思っています。そして、このような思いやりや感謝の気持ちを直接伝える行動の背景にも小泉信三氏も影響があるのではないかと思います。
小泉氏は出征していく最愛の息子(直後に戦死)に対して、次のような手紙を送っています。
『君の出征に臨んで言っておく。
われわれ両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕はもし生まれかわって妻を選べといわれたら、幾度でも君のお母様を選ぶ。同様に、もしわが子を選ぶということができるものなら、われわれ二人は必ず君を選ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたいと思っているかもしれないが、われわれ夫婦は、今日までの24年間の間に、およそ人の親として享(う)け得るかぎりの幸福を既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。今日とくにこのことを君に言っておく。
父より 信吉君』
戦地に赴く息子への手紙だという状況を差し引いても「無条件の愛情と信頼」を表した手紙だと思います。「無条件の愛情と信頼」こそが「人が自信をもって生きていける源泉」ではないでしょうか。
「忠恕の心」を体現され続けている明仁天皇と、その心の師であった小泉信三氏に最敬礼したいと思います。
吉良州司