福島第1原子力発電所を視察しました
先日3月4日、東京電力福島第1原子力発電所(「第1原子力発電所」または「第1」)を、国民民主党視察団の一員として訪問しました。
原子力事故の翌年2012年秋に、東京電力福島第2原子力発電所(「第2原子力発電所」または「第2」)は視察と激励に訪れていたのですが、第1発電所は事故後8年が経った時点でのはじめての訪問となりました。当時なぜ第2を「激励」するために訪問したのか、については、本メルマガの後段でお伝えします。
第1原子力発電所は、水素爆発があった1号機、3号機をはじめ、メルトダウンした原子炉建屋付近の一部こそ、まだ放射線防護マスクやタイベック防護服が必要ですが、8年に亘る技術の粋を尽くした対策の蓄積の結果、第1の敷地内の96%は防護服やマスクなしで活動できるまでになっています。基本的には、視察はバスで説明を受けながら敷地内を回りましたが、途中、1号機から4号機までを真下に見ることができる場所でバスを降り、目の前で各号機の状況を確認できました。各機とも冷温停止状態が継続されており、圧力容器底部温度は15度~25度と安定しています。
先月2月13日には、ロボットを使って溶け落ちた核燃料デブリに接触し、堆積物を持ち上げることに成功したことは報道等でご存じの方も多いかと思います。まだまだ、廃炉への道のりは遠いのですが、最大の難関であるデブリの取出しに向け、一歩前進したと思われます。試行錯誤しながら完璧なものをつくることは日本のお家芸ですから、デブリ取出しの技術と方法は一挙に進むと期待しています。
現時点で一番悩ましいのは、汚染水の処理です。核物質62種はALPSと呼ばれる多核種除去設備により除去できているのですが、トリチウムだけはALPSで除去できず、海を汚染してはならないことから、この汚染水を貯蔵するためのタンクを増設し続けています。
尚、第1発電所内の所員のみなさんに対して、国民民主党の玉木代表が激励の挨拶をしたことを付記しておきます。
第1視察の後、事故の被害を受けた双葉郡8町村の首長(双葉町・伊澤町長、楢葉町・松本町長、富岡町・宮本町長、川内村・遠藤村長、大熊町・渡辺町長、浪江町・吉田町長、葛尾村・篠木村長、広野町・遠藤町長)、そして、福島県漁業協同組合連合会(野崎会長)とも意見交換する機会にも恵まれました。
印象的だったことは、(詳細については割愛させて戴きますが)極めて冷静に現実状況を見つめ、無理のない将来見通しの中で、現実的な、そして説得力のある国に対する要望を提示されていることでした。野党の立場ながら、福島復興のため、特にご苦労を強いられてきた双葉郡のために、これらの要望を実現すべく全力を尽くしたいと思います。
また、事故で苦しむ双葉郡の中にあって、存在そのものが「希望」となっている「福島県立ふたば未来学園高等学校」も訪問しました。校長、副校長、そして、なんと2年生の生徒会長(女性)から、建学の理念、子供たちが自分で考えるようにしていくための場づくり、自分の将来の夢などについて、語ってもらいました。聴いている自分が、実践例を含む話に引き込まれ、いろいろと考えさせられる貴重な時間となりました。尚、ふたば未来学園高等学校についての詳細については、https://futabamiraigakuen-h.fcs.ed.jp/をご参照願います。
さて、事故発災の翌年(今から7年前)、なぜ第2原子力発電所を「激励」するために訪問したのかについて、当時の私の心境をお伝えします。
その奮闘の様子は、後に、NHKの特集番組でも報道されましたが、第2も第1と同じように地震と津波に襲われ、全ての冷却系ポンプを喪失し、大事故になってもおかしくない状況でした。その困難な状況を、当時の第2の増田所長の指揮のもと、生き残っていた電源盤を使って、夜中に何百キロもある銅線を人力で担いで4基の冷却系ポンプ全てに接続したのです。その結果、全原子炉の冷却に成功し、難を逃れることができたのです。事故はあってはならないのですが、あの状況下において、第2が第1と同じような大事故になっていたとしたら本当に大変な事態に陥っていたと思います。日本が潰れていたかもしれません。その第2の事故を避けえたことを、神に感謝しなければなりません。何より、増田所長はじめ、決死の覚悟と使命感を持って事故を防いでくれた第2の所員のみなさんに感謝しに行きたかったのです。
当然のことながら、第1事故を起こしてしまった東京電力の歴代経営陣の責任は追及されるべきです。同様に、否、それ以上に、「国策民営」の原子力政策を推し進め、非常用電源の配置を含む発電所の在り様に許可を与え続けてきた通産省・経産省、そして歴代の総理・通産大臣・経産大臣など、歴代政権の責任は徹底的に追及、糾弾されてしかるべきです。一番大きな責任は歴代政権であったと思っています。
それにも拘わらず、当時は東京電力だけが、会社はもちろん、社員一人ひとりに至るまで、社会から罪悪人のように扱われていました。
しかし、私は第2の事故を回避してくれた第2原子力発電所員の決死の努力に感謝したいと思いました。
また、東京電力の本社や各地の現場や営業所で何の過ちもなく頑張って仕事をしていた中堅、若手社員が、事故後は福島に赴き、被災者支援に当たりました。会社として迷惑をかけたことをお詫びし、会社としての責任を果たすために毎日毎日、罵倒されながら、それでも被災者に申し訳ない、少しでも償い、支援をしなければ、と丁寧に被災者対応に当たっていました。
社員個人には何の罪もないのに、会社が起こした事故や大損失を、わがこととしてお詫びし、事故対応や損失対応に当たる社員の苦しさを、私自身が商社勤務時代に体験していますので、罪のない東京電力社員のご苦労を労いたかったのです。
今回、第1発電所を訪問したことにより、7年前の第2訪問時の心境を思い出しました。
以上、恐縮ながら、私自身の思いが中心になりましたが、東京電力福島第1原子力発電所の視察、双葉郡町村長や福島県漁業協同組合連合会との意見交換会、ふたば未来学園高等学校訪問についてのご報告まで。
吉良州司