吉良からのメッセージ

2022年3月9日

ウクライナ問題を考える その5 ウクライナ訪問で感じたこと

ウクライナ問題シリーズの第5弾です。

私は、外務委員会視察団の一員として、2005年11月6日、ソ連崩壊に伴う独立後15年が経過したウクライナ(キエフ)を訪問しています。2004年の大統領選挙を再選挙に持ち込み、西側志向のユシチェンコ大統領を誕生させた市民運動オレンジ革命の直後の訪問でした。

このウクライナ訪問時に感じたことを、当時、写真付きメルマガで発信していますので、まずは、それをお目通し戴きたいと思います。
中央アジア視察・ウクライナ編のメルマガはこちら

1.複雑なウクライナの民族構成、歴史

当時のメルマガをご覧戴いた通り、その時もやはり、ウクライナの民族構成や歴史について言及しており、ここ数回発信した、ウクライナ問題に関する私の持論の前提となっています。民族構成や歴史的に非常に複雑な国であり、基本的に西側志向の西ウクライナと親ロシア色が強い東ウクライナの考え方が真っ向からぶつかり合う東西対立の構図であることは、その当時も今も基本的に変わっていません。

その意味で、最近の報道は、ロシアはロシアで意図的に真実ではないフェイク報道に終始している一方、西側の取材先は首都キエフか、ポーランド、スロバキア、モルドバ、ルーマニアに近い西ウクライナの報道が中心であり、ウクライナ全土というより西側志向が強い人々の報告に偏っていることは留意しておく必要があります。
もちろん、今回のロシアの軍事侵攻によって、親ロシア色の強かった東ウクライナの人々も今は反ロシア、嫌ロシアに変化している可能性は強いと思っています。
しかし、同時に、何故、このような軍事侵攻を招く前に、西側との友好に加え、ロシアとも友好関係を築かなかったのか、何故、NATO加盟にこだわり、結果として軍事侵攻を招いてしまったのか、ゼレンスキー大統領に対する批判の声も強いと思っています。しかし、残念ながら、西側報道ではこのような声は世界に届かないと思います。

2.西側志向のユシチェンコ大統領が最初に訪問したのはロシア(プーチン大統領)

2005年のメルマガで書いていますように、オレンジ革命によって誕生した、西側志向の代表選手ともいえるユシチェンコ大統領が最初に訪問したのはロシアであり、プーチン大統領と友好関係を築こうとしていたことは、民族構成、歴史、常なる東西対立を抱えるウクライナ全土の大統領として、安全保障面やエネルギー確保の視点も含め、優れたバランス感覚と大局観を持っていたと思います。

3.西ウクライナだけではなく、東ウクライナの代表も全土の大統領に選ばれてきた

私のウクライナ問題シリーズのメルマガは、日本や西側の常識の延長で現在のウクライナ問題を考えている方々に、違う視点、違う見方もあるということを伝えるために発信しており、決してロシアを擁護しているわけではありません。

ウクライナの国情は本当に複雑です。一方通行の情報や知識では、真実が見えなくなってしまい、解決の選択肢を狭めてしまうという危機感から、違う視点や情報を提供しているつもりです。

元々は西側志向の急先鋒であったユシチェンコ大統領がロシアを最初に訪問したことには、本当に頭が下がります。好き嫌いではなく、安全保障上、また、経済的国益上、平和に生き抜いていくための全ウクライナ国民のための行動だったと思っています。

ロシア独立後30年、ウクライナ大統領選挙の結果と支持基盤は下記の通りです(西暦は大統領就任年。情報源は石郷岡健氏の論文「ウクライナ危機の背景の東西分裂とその行方」)。

・1991年 クラフチュク(元共産党幹部、大統領選挙では圧勝)

・1994年 クチマ(1期目は、東西対決大統領選の結果、東ウクライナの支持を得て勝利。但し任期中に市場経済化を推進し、西側志向を強める)

・1999年 クチマ(2期目は市場経済を志向する候補として西ウクライナの支持を得て、社会主義回帰を主張し、東ウクライナの支持を得ていた候補に勝利)

・2005年 ユシチェンコ(親西側候補として西ウクライナの支持を得て、親ロシアで東ウクライナの支持を得るヤヌコーヴィチ候補に僅差で勝利)

・2010年 ヤヌコーヴィチ(親ロシアで東ウクライナの支持を得て、西側志向のティモシェンコ女性候補に僅差で勝利)

・2014年 ポロシェンコ(西側志向候補同士の戦いながら穏健派のポロシェンコ候補が東ウクライナの支持は勿論、ロシアに編入されたクリミアを除く全州の支持を得て、西側強硬派と目されるティモシェンコ女性候補を1回目投票で破り当選)

・2019年 ゼレンスキー(現職。俳優、コメディアンとして人気を博し、ウクライナ大統領を演じたテレビ番組『国民の僕』の題名を政党名として、ポロシェンコに圧勝)

歴史的にポーランドやリトアニア大公国、オーストリア・ハプスブルグ帝国の支配下にあったドニエプル川より西の西ウクライナは西側志向が強く、ドニエプル川より東の地域を中心とする東ウクライナは、ポーランドやリトアニア大公国の領土になったことはなく、親ロシア色の強い地域となっています。また、クリミアがロシアに編入される前は、東ウクライナ人口の方がわずかに多い(昔みなさんも地理で勉強されたように、ウクライナ東部のドネツク州はソ連時代から重工業地帯で人口が多い)こともあり、大統領選挙では上記のように常に相拮抗してきたのです。全ウクライナのリーダーとしては、東ウクライナの人々への配慮も必要なのです。

4.東ウクライナに多い、親ロシア住民の文化的社会的背景

東ウクライナに多い親ロシアの人々の文化的社会的背景はロシア語話者が多いということです。東ウクライナに住むロシア人はもちろん、民族的にはウクライナ人ながら日常的にロシア語を話す人々は「ロシア語の公用語化(第二公用語)」を求めています。この「ロシア語話者」が「親ロシア」志向が強く、大統領選挙では、親ロシア、親東ウクライナの候補を支持する傾向が極めて強いのです。

因みに、全ウクライナの民族構成は2014年の全土で、ウクライナ人73%、ロシア人22%です。しかし、このロシア人比率は東西で大きく異なり、西ウクライナでは5.4%、東ウクライナでは30.3%、首都キエフは13.1%、クリミア(セバストポリ市を含む)では60.4%、ドネツク州は38.2%にもなるのです。しかも、上述のように、日常的にロシア語を話すウクライナ人も多いのです。

5.複雑なウクライナ事情を冷徹に見つめた上で、早期解決、早期停戦を!

クリミアを「力によって一方的に現状変更(ロシアに編入)した、けしからん」と認識している人が多いのですが、歴史的にクリミアは、ソ連になるまでウクラナの領土であったことはなく(複雑な歴史ながら、ロシア領であったといえる)、上記のように民族的にも圧倒的にロシア人(60%強)が多く、それゆえ、クリミアの住民の多くがロシア編入を希望していたのです(ロシアの圧力の下での住民投票と批判されますが、クリミア自治共和国で投票率83.1%、ロシア編入支持96.8%、セバストポリ市で投票率89.5%、ロシア編入支持95.6%なのです)。

それゆえ、停戦条件として、ウクライナの中立国化に加え、クリミアのロシア主権を承認することも受け入れ可能ではないかと言っているのです。ロシアは無条件のクリミア主権を認めろと主張するでしょうが、ウクライナ憲法上、「領土変更は全ウクライナの住民投票による」となっていること、および西側諸国からのぎりぎりの合意を得るために、(停戦交渉時に左記の憲法の特例を認めることとし)、再度のクリミア住民による住民投票の実施を提案しているのです。

6.私たちの認識や想像とは大きく異なるウクライナの国民意識

また、2005年と現在のウクライナは相当違う社会になっているとは思いますが、私が、2005年にウクライナを訪問した際の第一印象は「ソ連にやってきた」というものでした。ホテルに到着しても、従業員は、荷物運びはもちろん、何ひとつ手伝おうとしません。受付も全く愛想がなく「勝手にやってくれ」という感じで、ホスピタリティはゼロでした。これが東側であり、ソ連なのか、と感動したことを覚えています。

2013年のウクライナ国民の「理想の政府」意識調査では、下記のような結果が出ています。
ウクライナ全土では、
(1)ソビエト体制 19%
(2)ソビエトに近いがより民主的で市場主義的な体制 29%
(3)自由より秩序を重んじる強い権威を持った体制 8%
(4)西欧スタイルの民主的共和制 28%
というもので、(2)や(3)も緩やかながらソ連を理想としているといえ、ソ連かソ連に近い体制を望む人は56%と、西欧スタイルを望む28%の2倍となります。
これを東ウクライナに限定すると、
(1)ソビエト体制 23%、
(2)ソビエトに近いがより民主的で市場主義的な体制 34%
(3)自由より秩序を重んじる強い権威を持った体制 11%
(4)西欧スタイルの民主的共和制 15%
と、親ソ連が68%と親西側15%の4.5倍にもなるのです。

上記2でお伝えした、1991年の独立後の初代大統領クラフチュク氏が、元共産党幹部であり、当時の大統領選挙で圧勝したことは、これらのデータから頷けます。

7.ウクライナの現状を正しく認識した上での訴えと提案

これらの数字は、多くの日本人が現在のウクライナ情勢を見る際に持っているウクライナに対する潜在的認識と随分異なっているのではないかと思います。

現職のゼレンスキー大統領は、「どんな犠牲を払ってでも祖国を守り抜く」と大事な国民を犠牲にし続けるのではなく、大統領就任当初のユシチェンコ氏のように「(東西どちらの地域に住んでいようと)大事なウクライナ国民が平和に生き抜いていけるように」、バランス感覚と大局観を持って、西側との友好関係を深める一方、NATOへの加盟は凍結し、兄弟国であったロシアとも共存共栄するための道を模索してほしかった(妥協をしてほしかった)と、現在進行中の悲惨な状況が残念でなりません。

以上、事実を見ることで、私が主張していたNATO加盟凍結による軍事紛争の未然防止やウクライナの人々の命を守るための停戦条件に対する理解を深めて戴けるのではないかと信じます。

2005年のウクライナ訪問時のメルマガ報告と併せれば、今回もかなり長いメルマガとなってしまいましたが、最後まで読んで戴きありがとうございました。

吉良州司

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