吉良からのメッセージ

2022年9月1日

ゴルバチョフ氏の逝去に思う

ゴルバチョフ元ソ連大統領(というより、私にとっては、ソ連共産党書記長の方が印象深いのですが)が逝去されました。深く哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りします。

ゴルバチョフ氏がソ連の最高指導者、共産党書記長になったのは1985年3月ですが、それ以前から若きエースとして注目されており、私自身も強烈な関心を持っていました。書記長就任後は「おっかけ」と言われてもおかしくないほど、ゴルバチョフ氏の情報をかき集め、日本の仲間や時には海外の取引先相手とも「ゴルバチョフ論議」に花を咲かせました。当時、世界最大最強のエンジニアリング会社だった米国ベクテル社のエリート幹部が来日した時も、寿司屋でゴルバチョフの評価などにつき(私の下手な英語を相手に補ってもらいながら)議論したことをよく覚えています。

大分県庁出向時、日商岩井入社10年目の連続2週間夏休みを利用して東欧ハンガリーを訪問しました。当時、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長によるペレストロイカ推進により、ソ連の東欧諸国締め付けが緩和されます。その影響により、1988年夏ごろから、東ドイツの人々が、ハンガリーで夏休みを過ごすとの名目で同国に移動し、国境を接する西側陣営のオーストリアに次々と亡命する様子が毎日のように報道されていた時期です。
「今、歴史が動いている。今、世界史的な大転換期に直面している」と直感した私は、2週間休暇を利用して、歴史が動いている現場を自分の目で見ることにし、大分からハンガリーに向けて飛び立ちました。この旅で一番印象深かったのは、現場の国境は(そこには物語があるので特別な感動は覚えるものの)物理的にはただの国境でしたが、貧しいと思っていた東欧ハンガリーが想像をはるかに超える豊かな国だったことでした。ブラジル留学時代に、アルゼンチンを訪れた際にも、借金国というイメージからかけ離れた豊かさを感じたのと同じでした。自分の目で見ることの重要性を痛感しました。
ハンガリー渡航から約2か月後の11月9日にベルリンの壁が壊れ、東西冷戦が終わりましたので、「今、歴史が動いている」と直感して行動したことに自分ながら感動したことを覚えています。そのような行動を起こした自分ですから、ゴルバチョフ氏にはとても親近感があります。同時に、私は、ゴルバチョフ氏が20世紀のもっとも偉大なリーダーの一人だと思っています。ソ連やその後のロシアにおいてゴルバチョフ氏に対する評価が高くない、否、低いことは残念でなりません。逆説的になりますが、そのような評価がなされるロシアの民意や世論が現在のプーチンの暴挙を許してしまっているのかもしれません。ゴルバチョフ氏も無念の思いを残して逝ってしまわれたのでしょう。

私がゴルバチョフ書記長誕生の際にもっとも興味を持ったことは、次の2点でした。

1)ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)など、それまでのソ連的価値観や強権的統治手法の大転換を期するゴルバチョフ氏が、当時のソ連共産党書記長、トップに上り詰めることができたのは何故か?

2)上記1)の大きな理由のひとつは、ゴルバチョフ氏の同郷の先輩で、15年間も諜報機関KGBのトップ、議長を務めていたユーリ・アンドロポフ氏(ブレジネフ氏の後任のソ連共産党書記長)の存在です。アンドロポフ氏がゴルバチョフ氏に目をかけ、引き上げてきたのです。しかし、1956年のハンガリー暴動では武力鎮圧を指揮していた、また、諜報機関KGBトップとして、当時のソ連社会の強権的・抑圧的統治の手助けをしていた、アンドロポフ氏が、何ゆえ、改革志向の強いゴルバチョフをそこまで評価し、自身の後継共産党書記長に指名していたのか(実際には、アンドロポフ氏やゴルバチョフ氏の政敵で、ブレジネフ側近だったチェルネンコがアンドロポフ氏の死後に後継書記長となり、チェルネンコ氏の死後にゴルバチョフ書記長が誕生するのですが)。私はゴルバチョフ氏のおっかけと同時にアンドロポフ氏にも興味を持ち、多くの情報を集めていました。

これらの疑問に対する答えは永遠に謎なのでしょう。思うに、アンドロポフ氏もゴルバチョフ氏もブレジネフ時代の腐敗と停滞を看過できず「もっといいソ連社会、もっといい社会主義の国」にしたいという思いが強かったのだと思います。飽くまで、総体としてのソ連体制は維持しながら、自由主義陣営のいいところを取り入れつつ、停滞の原因を撲滅改革し、よりよいソ連社会の実現を目指していたのではないかと思います。
アンドロポフ氏も、個人的な本音はもっとソ連国民に自由を与えたいと思っていたのでしょうが、度が過ぎるとソ連体制自体が崩壊してしまうので、崩壊しない程度にKGBを利用して抑圧しつつ、後は改革派本命のゴルバチョフ氏に託す、という思いだったのではないかと思います。

KGBトップでありながら、本音では改革を志向していたのであろうアンドロポフ氏のKGBの後輩であるプーチン大統領が、ゴルバチョフ氏に否定的で、時計の針を逆回転させていることは残念でなりません。プーチン時代の今、第二のアンドロポフ、ゴルバチョフの登場に期待し、再び世界に受け入れられるロシアの再興を願います。

吉良州司