吉良からのメッセージ

2023年11月14日

「民族とは何ぞや」 ウクライナ戦争の停戦に向けて

1.何故、「民族とは何か」の認識が必要なのか

ウクライナ戦争の停戦条件を考える際、「民族とは何か」ということについて考えてみたいと思います。

何故なら、停戦交渉開始段階の条件として、双方は下記を求めます。
1)ウクライナ側はロシアが侵略し併合した全てのウクライナ領土の全面返還とロシア軍の即時撤退。
2)一方、ロシア側はウクライナの軍事的中立化(中立国化)、および、クリミア半島と軍事占領し勝手に併合した南東部4州(ヘルソン州、ザポリージャ州、ドネツク州、ルハンシク州)のロシア主権の承認。

両者の要求は平行線をたどること必至ですが、それでも折り合いをつけなければ停戦合意には至りません。
折り合いをつけるということは相互に妥協するということです。従い、ロシア側はクリミアを含む併合地の一部をウクライナに返還しなければなりませんし、ウクライナ側は、軍事的中立化に加え、併合されてしまった領土の一部をロシアに譲らなければなりません。

その際、将来に亘って平和を維持できる具体像を導きだすには、どういう人たち(民族)が歴史的にどのような生活を送ってきたのか、今はどのような国や社会や体制での暮らしを望んでいるのかなど、そこで生活する人々が自然体で暮らせる国や社会の姿やあり方が求められます。自然体で暮らせる国や社会のあるべき姿を描き出す際に、以下で述べる「民族とは何か」の考え方が重要になってくると思うのです。

2.クリミア半島と親ロシア派支配地域の帰属問題が最も重要な停戦条件

上記の通り、停戦交渉開始段階では両国の主張が全くの平行線をたどること必至となる中で、最も重要な停戦条件はクリミアと親ロシア派支配地域(ドネツク人民共和国とルハンシク人民共和国)の帰属問題です。
この両地域はロシア侵攻前のミンスク合意上、ロシアによる実効支配を事実上黙認していた地域です。もちろん、ウクライナが主権を放棄したわけではありません。しかし、ドンバス地域での内戦を停戦させるためにロシアによる実効支配をいわば黙認したのです。
日本の多くの方は、親ロシア派支配地域を含む南東部4州とクリミア半島はウクライナ帰属で当然と思っていると思います。もちろん、1991年にウクライナ共和国が正式に独立を果たしていますので、国際法的にはウクライナに帰属することは異論の余地がありません。しかし、「民族」という観点からは、いろいろと考える余地があると思っています。

3.大和民族(日本人)と朝鮮民族(韓国人、北朝鮮人)の違いとウクライナ民族とロシア民族の違い

我々、大和民族(日本人)、と朝鮮民族(韓国人、北朝鮮人)は人種的、身体的には(顔や体形など)極めてよく似ています。欧米人には見分けがつかないと思います。何が違うのか。各々の民族が共有する歴史と文化が違います。何よりも「言語」が全く違うのです。

ではウクライナ人とロシア人の違いは何か。これは日本人の感覚では理解することができないほど難解です。ウクライナ人とロシア人はもともと同じ東スラブ族であり、人種的、身体的同一性を持っています。日本人でウクライナ人とロシア人の区別がつく人はまずいないと思います。それゆえ、ソ連時代まではもちろん最近までも父親はロシア人で母親はウクライナ人(その逆もしかり)なんていうのはごく普通の家族のあり方です。

以前のメールマガジンでも詳説しましたが、歴史的には両民族とも「キエフ公国」を母体としています(建国は「ルーシ」と呼ばれる北欧バイキングによるものですが)。その後、13世紀からモンゴル帝国の支流キプチャク汗国が、ドニエプル川より東のウクライナ地域(「東部ウクライナ」)を含むロシアを二百数十年支配します。
クリミア半島とその付け根にあたる現在のヘルソン州南部は、キプチャク汗国の後継であるクリミア汗国(但し、オスマントルコ帝国の保護下の国)に18世紀まで数百年間支配され続けます。しかし、ロシア皇帝エカテリーナ2世の治世にクリミアをロシアが領有するに至ります。一方、ドニエプル川より西のウクライナ地域(「西部ウクライナ」)はリトアニア大公国とポーランド王国(ほんの一部一時はハプスブルク帝国も)による支配が数百年続きます。
ロシアによる支配が長く、ロシアの影響を強く受けてきた東部ウクライナと、リトアニアやポーランドなど西側の影響を強く受けてきた西部ウクライナのそれぞれの歴史はかなり異なるのです。

4.ウクライナの実態を日本の国情の延長で考えると真相把握を誤ってしまう

上記のように、歴史の共有という意味においては、現在の東部ウクライナの人々は西部ウクライナよりもむしろロシア民族と歴史を共有しています。
言語的には東部ウクライナは日常的にロシア語を話している人々が多いのです(一部大都市を除けば、南東部およびロシアとの国境に近くなればなるほどロシア語話者は多くなる)。
上述した、大和民族と朝鮮民族との対比でいくと、東部ウクライナの人たちは歴史と文化をロシアと共有し、ロシア語を話す人々だという点から言えば、ロシア民族に近いとも言えます。
ましてやクリミアとドネツク州やルハンシク州の親ロシア派支配地域には正真正銘のロシア人が多く暮らしています。クリミアではロシア人が全人口の60%強を占め、ウクライナ人は20%台しかいません(言語的にはロシア語話者77%、ウクライナ語話者10%、2001年当時)。

このような歴史的背景から、西側志向が強く、強烈なウクライナ民族意識を持つ人々は西部ウクライナに多く、東部ウクライナの人々はソ連時代的社会への郷愁が強く、親ロシア感情を持つ人々が多く暮らしています。少なくともロシアによる軍事侵攻前まではそう言えたと思います。

それゆえ、ウクライナの歴代大統領選挙では西部出身大統領候補は西側との友好を訴え、東部出身候補はロシアとの友好を訴えて各々大統領になっていた経緯があります。

このようにユーラシア大陸の歴史と民族構成は極めて複雑で、海に囲まれ、ほとんどが大和民族である(日本にも少数のアイヌ民族と朝鮮半島にルーツを持つ人、また現在では外国籍を持つ人も日本で暮らしていますが)日本の常識は通用しません。

ウクライナの実態を日本の国情の延長で考えると真相把握を誤ってしまいます。

5.ウクライナの領土が現在のようになった歴史的背景を考えてみる

では何故、民族的には必ずしも一体性がないと思われるのに現在の領土を持つウクライナ共和国となっているのでしょうか。実は私もその正確な理由・背景を知っているわけではありません。しかし、下記の3つの理由があるからだと思っています。

(1)「コサックの末裔思想」

15世紀後半以降の一時期、「群れからはぐれた者」という意味の「コサック」という自由を求める軍事集団(騎兵集団。但し、民族的な同一性はない集まり)が、ポーランドやロシア支配を嫌い、現在のウクライナ地域でコサック国家を創ろうとした歴史的事実があり、現在のウクライナは歴史的に単独国家を持ったことがないので、コサックの末裔という誇りを現ウクライナのアイデンティティにしているのだと思います。

(2)「ソ連邦内共和国」

ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)建国当時、連邦内の各共和国が将来、独立国家となることを想定しておらず、大分県と福岡県の県境をどうするか程度の感覚で線引きがなされていたのではないかと思います。

ソ連は各共和国の集まりである連邦国家とはいえ、ソ連共産党による権力集中とそれを前提にした中央集権の強い国家であったため、各連邦内共和国に対して統制が効く(つまり、各国内共和国の統治の仕方や共和国間の国境線はソ連全体の中央集権の前には大した意味をなさない)ことが前提の線引きであったともいえます。

何よりの証拠に、現在、ロシアにより不法占拠されているクリミアは、ソ連邦誕生時はソ連内のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(以後「ロシア共和国」または「ロシア」)の領土でした。しかし、1954年にロシアからウクライナに移管されます(移管の背景については諸説ありますが割愛)。ロシアとしては飽くまでソ連内の国内共和国の線引きであるため、ソ連としての中央集権的統制が効くことを前提にしての移管だったと思われます。

(3)「ソ連崩壊時の大混乱」

ソ連崩壊当時、本来ソ連邦構成共和国の中で盟主であるべきロシア共和国の実態的な権力空白と壊滅的経済状況により、盟主としての役割を果たせなかったことが、現在のウクライナ戦争など旧ソ連圏内の紛争の原因になっていると思います。

もし、ロシアが当時盟主の役割を果たせる国力を持っていたならば、ロシア共和国とウクライナ共和国の間の国境確定交渉において、クリミア半島や現在の親ロシア派支配地域はロシア領になっていた可能性が高いと思っています。

この「ソ連崩壊時の大混乱」については、もう少し詳しく説明すべきだと思いますので、次回のメルマガにてお伝えします。

吉良州司