吉良からのメッセージ

2025年4月14日

トランプ関税が示す「資本主義の限界」と「民主主義の機能不全」 その2

前回のメッセージでは、世界を大混乱させているトランプ関税、そのトランプ大統領を誕生させた米国社会の分断、また、世界的な傾向となりつつある極右政党などポピュリズム政党を生みだしているのも各国の社会の分断であり、その背景にあるのは、現行資本主義の限界、それが民主主義の機能不全に直結していることを総論的にお伝えしました。
今回と次回のメッセージにおいて、その背景についてもう少し掘り下げた考え方をお伝えしたいと思います。説明を分かり易くするためではありますが、釈迦に説法するような内容も多くなることをご容赦願います。

1.政治の使命は「自由と平等のバランス」をとること

一般論として、個人は自分の内面的自由、言動の自由を強く希求しますが、社会は「個人の自由を尊重しつつも、社会の安定のために、個人間の格差が拡大しないよう、できるだけ平等であること」を求めます。
平等を徹底しようとすると、かつての共産主義国家でも明らかなように、人々の言動の自由、時には内面の自由までを抑圧します。一方、経済活動において、自由に任せ、無制約な市場原理が放任されると経済格差が拡大し、平等が損なわれてしまいます。近代社会においては自由も平等もどちらも極めて大事な価値、尊重されなければならない価値なのですが、こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず、という両雄並び立つのが難しい価値なのです。

それ故、どういう仕組みによって「自由と平等がバランスする」安定した社会にできるのか、それを追求し、実現しようとするのが近代国家における政治の根源的な使命です。そして、敢えて単純化すれば、自由をより重視する国が自由主義経済を志向し、保守系政党がこれを支えます。一方、平等をより重視する国が社会主義的経済を志向し、リベラル系政党がこれを支えます。

2.ソ連の存在が西側諸国に福祉国家志向をもたらした。

さて、既に過ぎ去ってから25年が経ちますが、20世紀とは一体どんな世紀だったのでしょうか。科学技術飛躍の世紀、(第一次、第二次世界大戦など大規模な)戦争の世紀、世界中で国民国家が誕生した世紀、などなど多種多様な見方ができると思いますが、私は「社会主義の実験の世紀」であったとの見方をしています。
1917年のロシア革命から1991年に崩壊するまで東西冷戦の一方の主役であった「ソビエト社会主義共和国連邦」は、自由より平等を重視する社会主義国家、というよりも、現実的には自由をとことん抑制し、(共産党幹部は特権階級化する)表面的な平等を装う社会主義の実験国家であったと見ることができると思います。
歴史の面白いところは、第二次世界大戦の欧州東部戦線でソ連がドイツ東部に攻め込みベルリンを陥落させた結果、多くのドイツ人科学者を、ソ連の科学技術発展に利用できたことです。このことが幸いして、東西冷戦の初期段階ではソ連が米国に先んじて有人宇宙飛行に成功するなど、更にはソフホーズ(国営農場)、コルホーズ(協同組合による集団農場)といった農業政策が(飽くまでも初期段階においては)大きな成果を上げていたことなどから、米国を除く資本主義西側諸国においても、「平等を強く志向する社会主義国家」を理想とするイデオロギーが深く浸透していきます。
この傾向に危機感を持ったのが共産主義の浸透(その結果起こるかもしれない共産主義革命)を恐れる保守を自任する人たちと保守政党でした。何としても自由主義経済体制を守るため、自由主義体制は維持しながら、「福祉国家」「社会保障の充実」といった社会主義的要素を取り込むようになっていきました。この傾向は欧州において顕著であり、西側欧州諸国に社会党、社会民主党など、社会主義国家まではいかなくとも、自由を重視しながらも平等をより重視した社会の実現を志向する政党が生まれ、政権まで取るようになります。

このように、社会主義国家ソ連の誕生と初期段階での成功が、西側資本主義諸国に社会保障を重視した福祉国家を志向させたのです。

3.福祉国家「ゆりかごから墓場まで」の反動としての新自由主義

福祉国家思想の代名詞として有名な「ゆりかごから墓場まで」といわれる手厚すぎる社会保障は、「頑張らなくても生きていける」ということで人々の勤労意欲や競争心を失わせ、社会と経済の活力が減退していきます。その反動として、英国ではサッチャー首相、米国ではレーガン大統領、日本では中曽根康弘総理が新自由主義を掲げて登場します。また、共産主義国家中国も1979年から鄧小平による改革開放路線が示され、平等志向は一旦脇に置き、先に豊かになれる者から豊かになっていい、として政治的には共産党一党独裁体制を堅持したまま、自由主義経済を導入します。更には、国民の自由を制限しながら体制を維持してきた社会主義宗主国のソ連までもが、経済低迷が続いた結果、改革派のゴルバチョフソ連共産党書記長が誕生し、改革(ペレストロイカ)と情報公開(グラスノスチ)、そして西側との宥和を推し進めます。
このように、東西両陣営ともに、経済や社会に活力を取り戻すため、「自由」をより重視する政治、経済体制を志向していくことになるのです。そして、1989年のベルリンの壁崩壊を経て、1991年にソ連が崩壊します。

4.ソ連崩壊の原因

ソ連崩壊について、よく資本主義、自由主義の社会主義、共産主義に対する勝利だと断じる人たちがいます。この見方は100%間違っているとは思いませんが、私は全く異なる2つの観点からソ連が崩壊したと思っています。

第一点は、アブラハム・マズローの人間の欲求5段階説からの社会主義崩壊理論です(吉良州司理論です)。人間の欲求を「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」の5段階で示した理論で、生理的欲求が底辺、自己実現を頂点とするピラミッド型になっており、低い段階の欲求が満たされれば、次の上の段階の欲求を求めるようになるという理論です。私は、常々、この理論は人間のみならず、社会や国家においても成り立つと主張してきました。

ソ連(ロシア帝国)も中国も東欧諸国も社会主義国家が成立しえたのは、中間層が少なく、領主的貴族階級に支配される農奴的農民層が圧倒的に多い社会構造だったからです。逆に言えば、西側先進国は中間層が育っていたからこそ、共産主義革命は成立していないのです。
マズローの5段階の欲求理論で言えば、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求の3段階まで充たされた人間や社会は、言わば「衣食住が充たされた」段階だと思っています。
ソ連が初期段階で成功を収めたのは、圧倒的多数である農奴的農民層が、ある程度自由が束縛されようとも、衣食住が充たされる段階に至るまでは、自由の制限を許容したからだと思います。衣食住が足りてくると、社会的に認められたい(承認欲求)、自分の夢を叶えたい(自己実現欲求)と思うようになります。そうなると、自由な言動が許容される社会、より自由を重視する社会、国を望むのは至極当然のことです。そうなると、自由を制限する社会や国は崩壊していく宿命があります。衣食住が充たされると人は平等よりも自由を求めるようになるからです。

二点目は、官僚統制経済の崩壊だということです。社会主義国家は、一部の党官僚、経済官僚が「計画経済」によって国の経済を運営します。この計画経済も、衣食住が充たされるまでは有効に機能します。しかし、承認欲求、自己実現欲求の段階になると、選択肢が多い社会であればあるほど豊かな社会なので、もはや、一部の党官僚や経済官僚たちが考える(狭い選択肢の)モノやサービスで満足できるはずはないのです。民間主導の市場原理に任せる方が圧倒的にいいモノやサービスを生み出し、人々が求めるものを提供することができるのです。
それ故、ソ連崩壊と同年の1991年を境にバブルが崩壊し、失われた30年に突入していく日本も、発展途上国段階(衣食住追求の時代)には開発独裁といってもいい自民党一党独裁と官僚引率経済が機能して経済大国にまで押し上げてくれたのですが、先進国化した経済・社会(自己実現を求める人と企業になってきた経済・社会)では官僚引率経済が機能しなくなった結果、成功体験であったはずの「官僚引率社会主義経済国家日本」がバブルと同時に崩壊するのです。

こんなに長い説明になるとは思わず書き始めたのですが、かなり長くなったので、続きは続編にてお伝えしたいと思います。
次回、(場合によっては次々回)では、ソ連崩壊の日本政治への影響、ソ連崩壊の世界的影響として、平等志向が減退して資本主義原理が突っ走りはじめ格差が生じていくこと、グローバル化の進展に伴いその格差が更に拡大していくこと、しかも、仕事上の成果主義は、それまでは人によって大きな差がなかった筋肉の投入量から、ITの普及とも相俟って頭脳の投入量に変化してきた結果、更に大きな格差を生み出していること、その格差拡大が米国や欧米において不満分子を生み出し、トランプ誕生や極右政党。ポピュリズム政党の支持拡大につながっていくことなどについてお伝えしようと思います。

吉良州司